2015年10月01日 (木) 06:35
ファンタジーやSFは、現実と異なる状況を前提としており、その状況に合わせたイデオロギーが語られます。 中世風ファンタジーなら、中世的価値観が前面に押し出されますし、近未来的SFなら、近未来的と想定される価値観がまず提示されるはずです。
が、ごく一部において、前提とされる世界観を無視して、現代的価値観を全面にだす作品があり、特に人権問題などの善悪を基準とする物語は多い。
おそらく意図してそうしている訳でないでしょうが、そうしたものの大抵に、いわゆる多文化共生といった極左的プロパガンダが多くみられます。 はっきり言えば、そうしたファンタジーは唾棄すべき代物だと思う。
これはプロパガンダを批判しているのではなく、「プロパガンダ小説を作るならば、そのプロパガンダを成立させる舞台状況を、きちんと構築してほしい」という事なのです。
というのは、極左にしても極右にしても、その主張が正しいとされるシチュエーションは、(極めて限定的だとしても)必ず存在するからです。
更に付け加えるなら、そうした舞台がきちんと設定されるなら、その主張が正しくない状況も、必然として浮き彫りになります。 つまり、イデオロギーの無謬性が否定される。
イデオロギーとはある価値基準でしかなく、必ず表裏両面がある。それを提示するのは当然の姿勢だと思うし、そもそも、ファンタジーやSFだけでなく、善悪など価値観をテーマにした小説というのは、そのシチュエーションに神経を使うものであって、その価値基準が無謬だと語るべきではないのです。
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作品は、作家の視点によって構築されるものである為、結果的に、作家が生きるその時代が反映されてゆく。
だから、20年前に多文化共生をテーマとして創作するならば、(EUが作られた時代背景も含めて)肯定の色合いで描くのは自然なことだし、逆にここ2,3年でソレを物語るならば、(EUが破綻しかけてる現状も含めて)多文化共生への疑問があってしかるべきだと思う。
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中世風ファンタジーにおいて、人権問題をどう描くべきか?
いわゆる人権問題とは、現代的なものですから、中世風ファンタジーにおいてそれを提示する場合、人権意識が無い所から出発しなければなりません。 つまり、奴隷や差別が善悪ではなく常識として、ある種の階級問題《カースト》として、存在するように描く必要があります。
現代日本とは異なる中世風世界において、現代日本の善悪が通用するかと言うと、まずありえません。 つまり、現代的な善悪観念をそうしたファンタジーで扱う場合、非常識なものとされるハズです。
例えば、奴隷を友の様に扱う主人公は、その世界では変わり者として存在させる必要があり、それを社会全体に適用させようと主人公がするなら、主人公は理想主義の革命家、もしくは非常識な独裁者、といった役割に迫られるでしょう。
そもそも、大幅に社会制度を変えるという事は、多大な混乱を呼び、不幸も作ることであるし、どのような素晴らしい制度を創ろうとも、意識がついてゆかなければ、結局、制度は変わったのに結果は変わらない、それどころか酷くなった、という事になりかねません。
これは、アラブの春が良い例となります――独裁を切り崩し民主化を立ち上げれば、新たな権力闘争と混乱が待ち受けていた――そういうのはよくある話なのです。
そもそも、民主主義が正義だというのは、ここ数百年の話であって、そして現代においてもその民主主義(正義)は、人々の無見識や短絡的に理想を求める姿勢によって、誤った方向へ共同体を導いています。 民主主義において、大衆の自殺とでもいえる衆愚が、普通に起こり得るのです。
更に言えば、もし現実的視点をもった仁徳者がおり、経済を含めた安全保障をも理解しているならば、その人に独裁をしてもらった方が、世の中は良くなるという事実です。
もちろん、そうした仁徳的独裁者の判断を正しいと大衆が理解するには、人々が教養をもち、長期的な視点で政治を見れなければならない訳で、つまり、民主主義にしても専制政治にしても、大衆が政治の正しさに満足を得る為には、教養や道徳心が必要になる訳です。 そこまで考えた時、政治体制はそこまで重要なのか? という所に行き着くと思います。
――そして、
――現実において人々は衆愚であることが多いが故に、
――世の中を良くしようとする政治家は、
――民衆への深い愛情と共に、
――民衆の不理解に対する強固な忍耐が、
――求められる。
個人的に、これは、恐ろしいまでの孤独と献身性だと思う。
そうした現実を主人公が理解していないのなら、その壁にぶつかることがストーリーとなりますが、冒険活劇といった爽快なものにはなりにくいでしょう。
現実的なのは、主人公が支配階級になり、己の領内のみある程度の人権が守られる、といった程度でしょうか。 これなら支配階級になる為の冒険活劇は可能ですし、社会を革命するというより、自分のテリトリーを作るという形で収まりますから。
イデオロギーを現実化するという事は、社会や大衆とどう対峙し折り合いをつけるか?という問題でもあり、リアリズムのある政治世界が描かれる必要が出てきます。
それをエンタメに仕立てるというのは、当然、相当な力量が求められる事になりますが、そもそも、そうした物語を描きたいのか?と考える必要があります。 なろうファンタジーでは、人権や奴隷が定番のテーマになっており、気軽なネタとして取り扱われやすいからです。
こうしたテーマは、のほほんとしたお気軽世界観なら、コメディタッチで誤魔化せますが、半端にシリアスな作品だと作品世界観を揺さぶる爆弾となります。
とはいえ、中世風ファンタジーにおいて、きちんと中世的価値観を意識できているなら、そうした爆弾を回避することが出来ると思います。
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