2014年12月20日 (土) 20:54
魔人種族、ヴァンパイア族、魔術師A級、ダン・ゲート・ブラッド伯爵。
彼は警備長である獣人種族、狼族、魔術師Bプラス級のギギに裏切られ、妻であるセラス・ゲート・ブラッドを人質に取られた。
結果、抵抗する術を失い実兄であるピュルッケネン・ブラッド、ラビノ・ブラッドに降伏した。
そして、彼は兄達によって奴隷商へと売られ、魔物大陸へと売られることになったのだが――
「ふむ、我輩は確か魔物大陸に売られると兄達から聞かされていたのだが……」
ピュルッケネンとラビノ達からすれば『脅し』だったのだが、ダン的にはまったく意に介していなかった。
そんな彼の目の前に広がる光景は――雪、雪、雪!
一面の銀世界。
若い頃世界狭しと飛び回り、冒険者をやっていたダンだから分かる。ここが魔物大陸ではなく、北大陸だということが。
現在、ダンは奴隷商人達に港街でおろされ、他の男性奴隷達と一緒に大型馬車で数日揺られ、北大陸の内陸部にある鉱物採掘所へと連れてこられたのだ。
黙々と黒い煙をのぼらせる煙突。
周囲は高い塀に囲まれ、馬車が入ってきた門が重い音をたてて後方で閉じる。木材と石材でできた、ダンの屋敷にも劣らない大きな建物がそびえ建っていた。
ねずみ色の作業服姿で、鉱山に入っていた男達が数人で土砂や岩を野外へと運んでいる。
雪がちらちらと降ってくるほど寒いのに、男達は袖を捲り体から汗と湯気をのぼらせていた。
男達の作業がなければ、刑務所か監獄の様な光景だ。
そんな作業風景を眺めていると、軍服にも似た服を着た顔が傷だらけの男が、鞭を手に現れる。
背後には似たような服装の部下2名を連れていた。
「よく着たな野郎共! 今日からここが貴様等の職場で、家で、故郷で、墓場だ!」
男が手に持っていた鞭で地面を叩く。
ダンの周りに居た男性奴隷達が小さな悲鳴をあげる。
「貴様等は着いたばかり! 長旅で疲れているだろう! だから特別に今日は風呂と食事と休息を与えてやる! 感謝しろ!」
男は再び、地面を鞭で叩く。
「しかし明日からは馬車馬のごとく働いてもらうから覚悟しろ! 分かったな!」
そしてダン達、男性奴隷達は男の部下に従って建物内に入っていった。
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風呂から上がるとダン達、到着したばかりの男性奴隷達は食堂へと案内される。
金属プレートを持ち、台所前のカウンターに置かれている木椀と黒パンを自分で掴んで行く。
最後にデザート、氷ジャムをプレートへ載せる。
氷ジャムは削った氷の上に、ジャムをかけて食べる北大陸名物のデザートだ。
氷は山ほどあり、保存食のジャムも大量にある。
一般的には暖炉などでガンガンに温かい部屋で、食べるデザートだ。
鉱山の男達は運動をして汗を掻き、体が火照っている。
そのためこの氷ジャムはわりと喜ばれるデザートだ。
魔人種族であるダンは甘い物に眼がない。
いそいそと席に座り、食後の楽しみとして氷ジャムを残しておく。
「へっへっへっ、待ちな新人」
ダンの後に食事をプレートに載せていた新人男性奴隷達に、声が掛けられる。
声を掛けた男は――毛が1本もないスキンヘッド。
顔には頬から口元まで深い傷痕が走っており、身長も高くダンとほぼ変わらない。
変わらないのは身長だけではない。
筋肉もダンに負けないほど発達している。
ラフなねずみ色の作業着の上着を脱ぎ、腰に巻いていた。
上半身は薄汚れたシャツ一枚。
それ故、発達した筋肉が自然と人目を引きつける。
「先輩である俺様が、おまえ達にここでの過ごし方を特別に教えてやる。だが、もちろんタダじゃねぇ。授業料としてデザートの氷ジャムを渡してもらおう。ここでの生き方、ルールがデザート一つで分かるんだ。安いもんだろ?」
からまれている新人の男性奴隷はスキンヘッドの男と比べれば木と紙でできたように細い。
あんな細い筋肉では彼に逆らうことなどできる筈がない。
席に着いている鉱山ですでに働いている従業員達が囁きあう。
「あの新人も運がない。|筋肉《マッスル》四天王の1人、人種族、|顔傷《スカー・フェイス》のジェンリコに目を付けられるなんて」
「おれも一昨日、デザートが余ったから、皆でジャンケンをして誰が食べるか決めようとしたのに、ジェンリコの奴に奪われたんだ。あんな筋肉で迫られたら断られるはずないじゃないか……ッ」
そう、ここは鉱山、採掘場。
男達による男達の仕事場。
まさに|弱肉強筋《じゃくにくきょうきん》の世界なのだ!
弱い筋肉は強い筋肉には逆らえず、ただ糧となるしかないのか!?
しかし、そんな荒廃とした筋肉社会に期せずして放り込まれた1人の正義――いや、紳士がいた。
「止めたまえ、人のデザートを奪うなど。紳士的ではないぞ」
「……なんだと」
ダンは立ち上がり、正面からジェンリコを非難する。
「デザート、甘味とは――そう、筋肉と一緒だ。筋肉も、デザートも荒くれた心を静め、悲しみの涙を止め、明日の活力を与える癒しなのだ。それを筋肉で奪おうなどと、筋肉に対する冒涜ではないか」
ジェンリコは新人から標的をダンに変え、向き直る。
「まさかこの俺様が、新人如きに筋肉のなんたるかを教わるとはな。なら俺様はその礼にこの場、いや、この世界のルールというものを教えてやるよ――ふんッ!」
ジェンリコが両腕を天に向けて曲げ、上腕二頭筋を見せ付けるように強調する。
地球で言うところのダブルバイセップス・フロントだ!
両腕の|上腕二頭筋《バイセップス》を強調するところから付いた名前である。
なんという|筋肉《きんにく》レベル!
鉱山という仕事場上、自然と鍛えられた腕、腹筋、足、胸、背中――体全部の筋肉! まさに男の中の男の筋肉だ!
まさに鬼神も唸る|上腕二頭筋《バイセップス》!
一般人なら、これほどの|筋肉《きんにく》レベルを見せ付けられた時点で腰を抜かし倒れているところだ。
しかしダンも負けてはいない。
「ふんぬッ!」
すぐさま上着どころか、シャツまで脱ぎ捨て対抗してポージングをとる。
右手で左手首を掴み、相手に対して体を斜め横へと向ける。
サイドチェストと呼ばれるポージングだ。
体を|横《サイド》にして|胸《チェスト》や体全体の厚みを強調することから、名前が付けられたポージングである。
ダンの魔人大陸の屋敷で鍛えに鍛え抜いた筋肉が胸、腕、足、肩、体全体の厚みを強調するポーズを取ることで、見た目的にただ立っている時と比べて2倍以上に膨れ上がる。
野次馬の男達が、2人の|筋肉《きんにく》レベルに耐えきれず半円状に距離を取る。
「ま、まさか新人奴隷が、あの|筋肉《マッスル》四天王の1人、|顔傷《スカー・フェイス》のジェンリコに対抗するなんて!」
「しかもあの筋肉。そんじょそこらの筋肉じゃないぞ……ッ」
「いったい奴は何者なんだ!?」
ギャラリーがダンの筋肉にざわめく。
「なんというカット……ッ、とくに肩が絞れてキレが深い。胸筋もバリバリ! 貴様、ただの新人ではないようだな……」
しかし、ジェンリコは不敵な笑みを浮かべるだけで、まったく怯えてはいなかった。
彼はゆっくりと上げていた両腕を動かし、次のポージングに移ろうとしている。
その動きに気付いた周りに居た野次馬達――特に彼を知る従業員達が新人達に声を張り上げる。
「まずい! ジェンリコの必殺の|筋肉芸術《マッスル・アート》が炸裂するぞ!」
「筋肉が足りない奴はもっと距離を取れ! もっていかれるぞ!」
「ふんぬばァアァッァアァアッ!」
そしてジェンリコは|筋肉芸術《マッスル・アート》であるポージングをとる!
左手で、右手首を掴み力を込める。
お陰で腹筋はもちろんのこと、腕、胸、肩などの筋肉が強調される。
前世、地球でいうところの『モストマスキュラー』と呼ばれるポージングだ!
このポージングによって、ジェンリコの鉱山で鍛えに鍛え抜いた上半身の筋肉達が、力強く強調される!
「ぐうぅ!?」
さすがのダンも、ジェンリコの『モストマスキュラー』に圧倒され思わずポージングをとき膝を突いてしまう。
2人を遠巻きに見ていた野次馬達がさらに声を張り上げる。
「馬鹿野郎! もっと距離を取れ!」
「もっと筋肉を震わせないと意識を失うぞ!」
「クソ、駄目だ! これ以上は筋肉が持たない!」
一般筋肉レベルである男達には到底耐えきれない筋肉アピール!
ジェンリコがポージングをとったまま、ダンに降伏を促してくる。
「くっくっくっ、新人にしてはよく頑張った筋肉だ。しかし、このまま潰すには惜しい筋肉……新人、どうだ俺様の下に付かないか? 俺様の下につけばデザートも、筋肉も労働で鍛え放題。どうだ? 全て思うがまま―――」
「断る」
しかし、ダンは彼が言い切る前に拒絶する。
ダンは膝を突き、口の端から流れた血を拭いいつも通りの笑みを浮かべる。
「筋肉とは独占するものではない。筋肉とは全ての人々が平等に持ち、鍛える権利がある。貴殿も最初はそうだったのではないか?」
ダンの瞳には、ジェンリコへ対する怨みや憎しみといった悪感情はない。
むしろ、息子を諭すような慈悲深き光が宿っていた。
「初めての腹筋。初めての腕立て。初めてのスクワット。初めての筋肉痛。初めてのカット――筋肉が震え、歓喜する喜びを知った幸せ。そしてその幸せを皆と分かち合った思い出……どうして忘れてしまったのだ?」
「だ、黙れ……ッ。筋肉で勝てぬと知って口で丸め込もうなどなんたる貧弱! 筋肉の風上にも置けない!」
状況だけなら圧倒的に有利なジェンリコが、ダンの言葉に動揺し声を上擦らせる。
彼の筋肉に走り抜ける過去の思い出。
――ダンの指摘通り、最初はジェンリコもただ筋肉を鍛える喜びに夢中になっていた。
同じ志を持つ筋肉仲間と筋肉を鍛えるトレーニングに明け暮れていた。
もちろん辛い時も多かったが、同じように楽しいことも多かった。筋肉仲間と笑い合い、筋肉談義をして、トレーニング方法で筋肉をぶつけ合い、筋肉で汗を流し合った。
だが、いつからかジェンリコは仲間達の筋肉に嫉妬していた。
彼らの三角筋に、背筋に、僧帽筋、大腿筋、大胸筋、三頭筋、etc――彼らよりもっと鍛え抜いた、キレのある筋肉を!
そして気付けば現在のように振る舞うようになってしまっていた。
ダンはまるで彼の全てを見透かすような清んだ瞳で見つめ続ける。
その瞳がジェンリコを怯ませた。
「くッ! 部下にしようと思ったが止めだ! 貴様はそのまま俺様の筋肉に押しつぶされるがいい!」
ジェンリコはさらに筋肉に限界以上のパワーを注ぎ込む!
ここで確実にダンを始末するために!
しかし、そんな殺意をも超越した筋肉プレッシャーを向けられているのにもかかわらず、ダンの瞳には絶望という色はまったく浮かんではいない!
「筋肉が悲しんでいる。ならば救おう――魂も、その筋肉も全て!」
ダンは立ち上がり、ジェンリコへと背を向ける。
「憶したか!」
ジェンリコの絶叫!
しかし、その叫びはすぐに掻き消される。
「フンヌバァアァッァァァァァッァァァッァァッ!」
ダンは叫び声と共に両腕を力強く曲げる!
背中の筋肉が盛り上がり、凹凸が深く陰影を作るほどだ。もちろん背中だけではない。曲げた腕、肩、足――全身余すことなく大きく、深く見せ付けてくる。その迫力たるや見る者全ての魂を震わせるレベルだ。
ダブルバイセップス・バックと呼ばれる背中の筋肉を強調し、見せ付けるポージングである。
ダンの背中のカットは谷底のように深い。
まるで背中に羽根が生えたように凹凸があるのだ。
いや、もうそれはまさに筋肉の羽根と呼んでもいいレベルである!
北大陸の鉱山に1人の筋肉天使が舞い降りる。
そして――ジェンリコがその圧倒的筋肉を前に吐血する。
「ば、馬鹿な! この俺様が……! 俺様の筋肉が負けるなんて……ッ!」
ジェンリコはたまらず意識を手放し、冷たい床へと倒れる。
そんな彼に対してダンは、悲しげに1人呟いた。
「……筋肉が負けたのではない。筋肉に敗北も、勝利も、悪も、善もないのだ。ただ筋肉があるだけなのだ」
ダンは脱いだ上着を倒れたジェンリコの上に被せ、彼をお姫様のように抱き上げる。
「だ、旦那、ジェンリコをどうするつもりですか?」
野次馬の1人が尋ねる。
勝敗は決まった。
なのにそれ以上の仕打ちをしようとするのは、いくら暴力的だったジェンリコが相手でも気持ちがいいものではない。
しかし、そんな不安を吹き飛ばすようにダンが大声で笑う。
「はっはははははッ! 決まっている、医務室へ連れて行くのだよ! 彼が目を覚ましたら筋肉談義やトレーニングを一緒にしたいからな! 早く目を覚まして欲しいものだ!」
「だ、旦那……いや、兄貴と呼ばせてください! 医務室はこちらです!」
「我輩はここに付いたばかりで場所に疎い。手助け感謝するぞ」
そしてダンは、気絶したジェンリコをお姫様抱っこのまま、野次馬の1人に先導され医務室へと向かう。
他の野次馬達がそんなダンの紳士的態度に歓声を上げる。
『筋肉! 筋肉! 筋肉!』
『マッスル! マッスル! マッスル!』
『兄貴! 兄貴! 兄貴!』
『紳士! 紳士! 紳士!』
その歓声は、ダンが食堂から姿を消しても鳴り響いて消えなかった。
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|筋肉《マッスル》四天王の1人、|顔傷《スカー・フェイス》のジェンリコ敗北――その一報は、すぐさま鉱山全土に広がった。
その知らせは残りの|筋肉《マッスル》四天王の耳にももちろん届いている。
とある一室。
目を凝らしても相手の筋肉が見えないほど暗い部屋に、3人の男達が集まっていた。
暗闇の中で筋肉が揺れる。
「どうやらジェンリコが、新人に負けたようだな」
「ふん、所詮はジェンリコなど|筋肉《マッスル》四天王最弱の筋肉。まったくいい面汚しだ」
「安心しろ。四天王の名前を傷つけたジェンリコの始末はおれが付ける。二度とトレーニングができない体にしてやるさ」
最初に口を開いた筋肉が、さらに続ける。
「ならば自分はジェンリコを倒した新人を頂こう。久しぶりに自分の筋肉を震わせてくれる奴が来たようだからな。ふふふ」
こうしてダン・ゲート・ブラッドは新たな四天王の1人に狙われることになる。
――そして、まさかこの戦いが、筋肉最終戦争を引き起こす切っ掛けになることをまだ誰も想像することはできなかった。
END
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以下、次回(嘘)予告。
「筋肉が、泣いている……だと!?」
「民衆は無駄な筋肉を持つべきではない。今日も、明日も、明後日も――未来永劫な」
「ダンの兄貴。俺様も……いや、俺ももう一度、筋肉に素直になっていいのか?」
「筋肉は……もっと自由だ」
「止めたまえ! そんな紳士的ではないことを!」
「ダンの兄貴……俺のことはいい! 先に行ってくれ!」
「ジェンリコ!」
「おれには|筋肉《これ》しかないんだ!」
「なぜ貴殿は……そんなにも悲しい筋肉をしているのだ?」
踊る筋肉!
迸る汗!
噎せ返る男臭!
そして始まる男達の厚き筋肉のぶつかり合い!
実写化、アニメ化、漫画化、他メディア化絶対不可能な史上最強筋肉頂上決定戦世紀末|無双《チート》成り上がりバトルが開幕する!
「ダン・ゲート・ブラッドの名において、これ以上、無益な筋肉は許さん!」
そして再び、北の大地に筋肉の天使が舞い降りる……!?
次回タイトル――『ダン! |北天《ほくてん》に死す!』
お楽しみに!
■あとがき――なろう特典SS 旦那様編
こちらは軍オタ2巻発売『なろう読者向け特典SS』になります。
まず最初に言いたいことがあります――オレ、何やってるんだろう……。
『なろう読者向け特典SS』として思いついたこの話を喜々として書きました。クリスマスも近い12月に!
恋人や家族、友達同士で過ごすため皆がレストランやケーキ、フライドチキンを予約している時期に自分は1人ニヤニヤしながら筋肉満載の男しか出てこないこの話を書いていました。
オレ、本当になにやってるんだろう……。
ちなみに作者もなぜこんな筋肉押しになったのか分かりません。
書いているうちに天から筋肉的な何かが下りてきて、自分に書かせたような気がします。
気付いたら指が動いていました。
あと報告として、一定時間たったら活動報告にアップしたこの特典SSを、本編の方へ移したいと思います。そちらの方がルビを使用することが出来て見やすくなるので。なので現状やや読みにくいとは思いますが、『|《》』は誤字ではありません。
さてさて最後に……特典SSが面白いと思った方々は是非、軍オタ2巻をよろしくお願いします!
2巻は書き下ろしも1巻同様に満載で、リュートのソードオフと戦うダン・ゲート・ブラッドの筋肉もいっぱい出て来ますので! さらに旦那様以外の強敵も出るよ!
また軍オタ1巻も発売中なのでまだの方は是非ご一緒によろしくお願いします!