- 雑談 無差別殺人に読む
- この前、マツダの工場で無差別殺人事件がありましたね。「だれでもよかった」こういう事件が続発しています。怖いですよね。テレビでもバンバン取り上げられています。つーかアニメやゲームなんかより、こういう事件報道の方がよほど模倣事件に繋がっているんですが。例の条例促進派はその矛盾に気付いているのでしょうか。
まあ、それはおいておいて。
「何の不満もなかった」遺書にそう残して自殺を図った女子高生が過去にいたそうです。確かにその人は、客観的に見れば、何か不自由しいるようには見えなかったらしいですが、でも不可解ですね。不満があっても人が死ぬ。不満がなくても人が死ぬ。事件の是非は置いておいて、ワタシは原因は何なのだろうと考えます。
例えば、死ぬのって面倒くさいですよね。生きるのはボーッとしてても割と生きられますけど、死のうとなると色々努力をしなきゃいけない。他人を死なすのも同じで、ただボーッとするよりは一杯面倒をしなきゃいけない。だからワタシは、必ずその原動力となった原因が存在すると考えます。面倒を乗り越えて行動に移すだけの原因。不平不満悩み、何かがあったはずです。
ワタシが思うに、こういう事件を起こす人たちって、その悩みを自分で押し殺してしまっているんじゃないでしょうか。自分がいま辛いと思う原因があるのに、それを認めようとしない。例えば、「自分より辛い人たちは沢山居る」そう思って悩んでいることそのものを恥じる。情報化社会ですから、普通の人でもいろんな事を知っていますよね。貧しい国、病気の子供、理不尽な死。そんなのと比べたら自分は恵まれている。自分の悩みは実に下らないものだ。そう思いこむ。
でも問題は解決されていないのだから、ストレスばかりが溜まっていく。
もちろんそれだけが理由とは思いませんが、何らかの理由を付けて悩みを認めようとしない。そうしてどんどん悩みを押し殺していくと、ついには自分が何に悩んでいるのか分からなくなります。辛くて苦しいのに、その原因が自分でも分からない。言葉にできないから、誰にも話せない。そんな自分をまた恥じる。それって死ぬほど辛い事じゃないでしょうか。
だから、その辛さをどこに向けるか、だと思います。理由が分からないから、自分で無理矢理原因を見つけるしかない。何か分かりやすい理由を探さなくてはいけない。それが社会なのか自分なのか。外か内かで、無差別殺人か自殺かに繋がるんじゃないかと思います。「だれでもよかった」は、自分でも本当の理由が分からないから、そんなお決まり文句を呟くしか無かったんじゃないでしょうか。
ワタシはこういう事件、案外、身近なものではないかと思っています。特別な根拠も理由も必要ないのですから、誰もが当事者になり得る。悩みは誰にもあるから、自分だって例外じゃない。社会が悪いとか親の育て方が悪いとか、そんな善悪論で一括りにしてはいけない問題なのではないでしょうか。
- 2010年 07月03日 (土) 00時07分
コメント
私の知る話を一つ綴らせて下さい。これは私が活動報告(徳川田さん返信コメ含む)を読んで綴りたくなっただけですから、一蹴して頂いて構いません。あと、終始偉そうですが、申し訳ありません。
文中に“悩みを隠す~死ぬほど辛い”とありました。この話は、その一文の意味からはずれていない……でしょう。
とある男性が小学生の時に、虐めにあったそうです。無視から始まって悪口に暴力だったり、人前でズボンを脱がされたり、最後に菌移しが始まり、自分の周りには人がいない輪が出来る。期間はどれほどか覚えていないそうですが、思い出せる限りでも二~三年は続いたそうです。
初めは辛かったそうです。何故自分が、理由もなく理不尽に攻撃されるのか。それを知ることすらも叶わない。毎日が嫌だけれども、打開策も見つからない。彼は、思い悩みました。
ある時、一つの考えが浮かんできました。例えば、サラリーマンなら働くことが当然、先生なら教えることが当然、奴隷なら使われることが当然。ならば、加害者と被害者なら。
逆転の発想です。自分は虐められているのではない。虐められてあげているのだ。自分がいるからこそ、他の子が虐められずに済んでいるのだ。そう思って、それを信条に生活をしたそうです。尊い信条に、その人はある種の誇りすら感じるようになりました。
労働を押しつけられ、私刑の対象にされ、時には愚痴を聞く相手とされ。それらの報酬は、悪口として返ってきます。
でも、そこまで耐えれば平穏な時間がやってくるのです。虐める側も満足して、笑顔になります。それなら万事が丸く収まると、心に言い聞かせる毎日が続いたそうです。
この信条が辛くなってきたのは、更に五年程経った時のこと。その人は無垢に笑う人が羨ましくて、何故自分は笑えないのかと考えてしまった。
でも、信条は破れなかった。それを破れば、新たにこの信条に捕らえられる人が出る訳で、同じ境遇を知る者として、それはあまりに辛い。自身の掲げた思想が崇高過ぎて、それを破ることは出来ない。その人は気づきました。その時には既に、その信条が人格を形成していることに。
と、お話ししてきた訳ですが。
活動報告を受けて、書きたいことは山ほどあるのですが、ひとまずはこれだけに留めます。主に字数制限の所為で。
私がいうのはおこがましいですが、どんなことでも考え詰めて行き詰まるのは自分です。
ゆっくりとお休みしながら、元気な時に考えていきましょう。
文中に“悩みを隠す~死ぬほど辛い”とありました。この話は、その一文の意味からはずれていない……でしょう。
とある男性が小学生の時に、虐めにあったそうです。無視から始まって悪口に暴力だったり、人前でズボンを脱がされたり、最後に菌移しが始まり、自分の周りには人がいない輪が出来る。期間はどれほどか覚えていないそうですが、思い出せる限りでも二~三年は続いたそうです。
初めは辛かったそうです。何故自分が、理由もなく理不尽に攻撃されるのか。それを知ることすらも叶わない。毎日が嫌だけれども、打開策も見つからない。彼は、思い悩みました。
ある時、一つの考えが浮かんできました。例えば、サラリーマンなら働くことが当然、先生なら教えることが当然、奴隷なら使われることが当然。ならば、加害者と被害者なら。
逆転の発想です。自分は虐められているのではない。虐められてあげているのだ。自分がいるからこそ、他の子が虐められずに済んでいるのだ。そう思って、それを信条に生活をしたそうです。尊い信条に、その人はある種の誇りすら感じるようになりました。
労働を押しつけられ、私刑の対象にされ、時には愚痴を聞く相手とされ。それらの報酬は、悪口として返ってきます。
でも、そこまで耐えれば平穏な時間がやってくるのです。虐める側も満足して、笑顔になります。それなら万事が丸く収まると、心に言い聞かせる毎日が続いたそうです。
この信条が辛くなってきたのは、更に五年程経った時のこと。その人は無垢に笑う人が羨ましくて、何故自分は笑えないのかと考えてしまった。
でも、信条は破れなかった。それを破れば、新たにこの信条に捕らえられる人が出る訳で、同じ境遇を知る者として、それはあまりに辛い。自身の掲げた思想が崇高過ぎて、それを破ることは出来ない。その人は気づきました。その時には既に、その信条が人格を形成していることに。
と、お話ししてきた訳ですが。
活動報告を受けて、書きたいことは山ほどあるのですが、ひとまずはこれだけに留めます。主に字数制限の所為で。
私がいうのはおこがましいですが、どんなことでも考え詰めて行き詰まるのは自分です。
ゆっくりとお休みしながら、元気な時に考えていきましょう。
投稿者:ピースブリッジ
[ 2010年 07月03日 (土) 04時28分 ]
確かに、『自殺』やら『無差別殺人』やらのアクションを起こすのは、かんなり面倒臭いですよね。そのアクションを起こさせるほど極限まで追い込まれているんだから、どんな悩みでも重大ですよ。
ただ、春風夜風さんの言う情報社会。その情報によって惑わされているんでしょう。
「自分より辛い人は沢山居る」
我慢すべき所で踏ん張ったるには、確かにこのフレーズは役に立つでしょう。
しかし、悩みなどでは諸刃の剣。そう思う事で自分の悩みが“どーでもよく”なれば良し。でもそれで自分の悩みが小さいと無理に我慢してしまえば、逆にストレスになる場合もある。例え解決策があったとしても我慢する、悩み考える事を放棄してしまえばそのゴールには永遠辿り着けず、我慢を続けなければならない。
その結果、自分を追い込んでしまう。
自分の悩み事なんて、客観的に見るときっとちっぽけな小さいものでしょう。しかし本人を悩ませている以上、それは立派な『悩み』です。その負担の大小を決めるのは自分であり、客観的に見ようとするのが間違いなんです。
それは、体裁や周りの目を気にしがちな日本人には難しい事かもしれません。だから自暴自棄に「誰でも良かった」という答えに辿り着くのかもしれません。
ただ、こういう事を考えていると何だか面倒になってきます。結局本人の供述や遺書を見ても、あーだこーだと仕方のない事や訳の分からない事ばかり。マイナス思考に陥っているから仕方がないっちゃ仕方がないかもしれませんが、悲劇の連鎖というものを理解しているのだろうか。
実際に着手寸前までやった事はありませんが、『人に迷惑をかけるな』ぐらいは言えます。心神耗弱がどうした、八方塞がりが何だ。無差別で悲劇に合う被害者や遺族がいる。自殺で闇に消えた答えを求めて悲しむ家族がいる。
明確な答えのあるものならまだ良い。だがそんな不明確な理由で悲劇に遭った人達は、明確な原因で存在しない答えを探し続けなければならない。犬に噛まれたと思え。そんな皮肉が、本当に言い得て妙なんです。
すみません、少し暴走しました…。
春風夜風さんの文章が、少し犯人や自殺者寄りだと感じてしまい…。
でも動機などを考察する事が大切な事は分かります。そんな訳の分からない動機ほど、複雑な境遇などが存在しますから。
まあ、結局は相談相手が必要って事ですよね。これ以上ないほど月並みな答えでしょうが、字数制限があるのでこれにて。
ただ、春風夜風さんの言う情報社会。その情報によって惑わされているんでしょう。
「自分より辛い人は沢山居る」
我慢すべき所で踏ん張ったるには、確かにこのフレーズは役に立つでしょう。
しかし、悩みなどでは諸刃の剣。そう思う事で自分の悩みが“どーでもよく”なれば良し。でもそれで自分の悩みが小さいと無理に我慢してしまえば、逆にストレスになる場合もある。例え解決策があったとしても我慢する、悩み考える事を放棄してしまえばそのゴールには永遠辿り着けず、我慢を続けなければならない。
その結果、自分を追い込んでしまう。
自分の悩み事なんて、客観的に見るときっとちっぽけな小さいものでしょう。しかし本人を悩ませている以上、それは立派な『悩み』です。その負担の大小を決めるのは自分であり、客観的に見ようとするのが間違いなんです。
それは、体裁や周りの目を気にしがちな日本人には難しい事かもしれません。だから自暴自棄に「誰でも良かった」という答えに辿り着くのかもしれません。
ただ、こういう事を考えていると何だか面倒になってきます。結局本人の供述や遺書を見ても、あーだこーだと仕方のない事や訳の分からない事ばかり。マイナス思考に陥っているから仕方がないっちゃ仕方がないかもしれませんが、悲劇の連鎖というものを理解しているのだろうか。
実際に着手寸前までやった事はありませんが、『人に迷惑をかけるな』ぐらいは言えます。心神耗弱がどうした、八方塞がりが何だ。無差別で悲劇に合う被害者や遺族がいる。自殺で闇に消えた答えを求めて悲しむ家族がいる。
明確な答えのあるものならまだ良い。だがそんな不明確な理由で悲劇に遭った人達は、明確な原因で存在しない答えを探し続けなければならない。犬に噛まれたと思え。そんな皮肉が、本当に言い得て妙なんです。
すみません、少し暴走しました…。
春風夜風さんの文章が、少し犯人や自殺者寄りだと感じてしまい…。
でも動機などを考察する事が大切な事は分かります。そんな訳の分からない動機ほど、複雑な境遇などが存在しますから。
まあ、結局は相談相手が必要って事ですよね。これ以上ないほど月並みな答えでしょうが、字数制限があるのでこれにて。
投稿者:徳川田
[ 2010年 07月03日 (土) 02時12分 ]
で、いきなりこんなヘビーな話題を振ってしまって申し訳ないんですが(笑) でも、『○○が悪い』という風潮の、テレビのコメンテーターさんや専門家さん達の言葉が、まるで見当違いの事を言っている様に思えまして。どうしても書かずにはいられませんでした。
また、ワタシの考えは、突き詰めれば誰もが人殺しに成り得るっていう前提からなっています。遠い存在では無いと思うんですよ。次の瞬間、被害者が加害者になっているかもしれない。だから事件を起こした側の方に傾いてしまうのかもしれません。
確かに徳川田さんの言うように、『人に迷惑をかけるな』とは言えます。ですが、それを考えられないほど追い込まれたから事件を起こすんですよ。最初に言いましたように事件を起こすのは面倒ですよね。よっぽど追い込まれないと行動には出ないでしょう。事件のその後を考えられないからこそ事件を起こすのです。いつだって短絡的な思考からでしか事件は起き得ないんですよ。でも、その答えも徳川田自身が仰っている通り、『誰かに相談する』 確かにそれしかないんですよね。ただ聞いてもらうだけでも、かなり楽になりますから。
ピースブリッジさんの例もそうですね。そこまで抑え込むと手段が限られてきますから、暴発の可能性は高いです。抑圧の後は解放しかない。人が抱えられるもののキャパシティって、案外底が浅いですから。でも、誰かたった一人でも話し相手が居れば、少しずつ解放してやることも出来る。そうしていけば、何かが変わるきっかけになるかもしれない。人格は流動していくものだと考えます。
と、実は若干自分に言い聞かせている風にもなりましたが、ワタシは『面倒臭い』ので事件を起こすつもりは無いですから、ご安心を(笑)