さよなら考

2017年 02月17日 (金) 23:36

たとえばこの活動報告のタイトルを「さよなら、なろう」としようものなら、読まれた大半の方が「とうとうこいつもなろうを去っていくか……」と判断されるでしょう。
二週間くらいログインしないつもりかね、などとは受け止められないはず。

考えてみれば幼い頃は普通に「さよなら」というフレーズを使っていたわけで。
先生さよーならー、みたいに。
いったいいつから「さよなら」に、関係を断ち切るような重さを感じとるようになってしまったのかはわかりません。ですが否応なく別れを連想させるフレーズであるがゆえに詩情もまた存在するわけです。
やや脱線ですが、野球では「サヨナラ」なのになぜサッカーでは一時期「サドンデス」と呼称したのだろうか。考えた人間の感性が乾きすぎていると思う。突然の死ってあんた、それはさすがにいかがなものか。


そんなわけで『遠見のレン』を削除します。といっても連作長編化にある程度目処が立ったので、そのうち『大人は』が完結したら放り込むつもりです。なのでnotサヨナラ。たぶん。
連作形式はいい。個人的にとても(気まぐれ不定期投稿を)やりやすい。
今にして思えば『ピーノ』も連作形式でやるべきでしたねー。

コメント

九条さん、コメントありがとうございます。

リライトという作業は、既に書き上がっている物語の別の一面を見つけることなのかもしれませんね。そりゃ焼けぼっくいにも火がつくってもんです。

『ふーちゃん』で追加したエピローグ、これは二人の最後の挨拶を軸としました。
「お元気で」という言葉のニュアンスは「さよなら」とほぼ同じじゃないかな、そう思ったのです。意訳するなら「この先もうお会いすることはないでしょうが、私はいつでもあなたの無事を願っています」といった感じでしょうか。
現代ものとファンタジーものとでは、物語の空気となる感情の優先順位にかなりの違いがあるような気はします。ファンタジーは常に容赦なくありたい。
遊佐東吾  [ 2017/02/20 01:27 ]
いささか横レス気味になりますがお許しください。

書き上げたお話は別れた恋人……何て素敵なたとえなのでしょう。
昨年の大半を過去作のリライトに費やした者として言わせていただきますと、焼けぼっくいに火がつく感覚もなかなか良いものですよw

『遠見のレン』は、とても壮大なお話のプロローグ/第一章みたいなお話だな、という印象を受けておりましたので、連作長編化されると聞き合点がいきました。楽しみにしております!
『ピーノ』の続きも楽しみなのですが……。
でも『ふーちゃん』のエンディングを拝読する限り、遊佐さんは今、容赦ないお話の気分ではないのかも、と勝手に推察しております。
九条 寓碩  [ 2017/02/19 11:35 ]
呑竜さん、コメントありがとうございます。
しかし一言言わせていただきますよ。コナンか!

『ふーちゃん』の場合は、むしろ書くべきものを書いていなかった感がめっちゃありますねえ……。不徳の致すところでございます。
『大人は』や『レン』みたいなケースに関しては、物語世界が広がりそうだからってのがたぶん唯一の理由です。どちらも元は短編ですし。

「もしかして:リライト」と言われて思ったのですが、書き上げた話って例えるなら別れた恋人のような感じなんですよね。
今さらどうこうするつもりはないけれど、どうでもいいって思っているわけでもない。そんな距離感でしょうか。
遊佐東吾  [ 2017/02/18 22:31 ]
ココナッツさん、コメントありがとうございます。

さよならトークはまあ、前振りという名のエクスキューズです。
「さよならだけどさよならじゃないんだ」的な。さよならがゲシュタルト崩壊。

『レン』はそのまま続けようかとも考えたのですが、たぶん既存の部分にもちょこちょこ手を入れることになりそうでしたのでひとまず出直します。
遊佐東吾  [ 2017/02/18 22:09 ]
相楽さん、コメントありがとうございます。

「絶対会えるという確信がある」という指摘でようやく腑に落ちました。
そもそも幼年期には別離の感覚自体が根づいていないんでしょうね。
今日会った相手に明日はもう会えないかもしれないだなんて、子どもたちにとってはまったく想像の外の出来事なのかもしれません。

ま、もちろん大人だって別れは好きじゃないんですけどね。ただ経験して免疫ができているというだけの話で。
遊佐東吾  [ 2017/02/18 22:02 ]
お疲れ様です(=゜ω゜)ノ

おお、「遠見のレン」連作長編ですか。
ふーちゃんエピローグといい、遊佐さんにもリライト魂が根付いてきたという理解でよろしいですかね|д゜)違う? あれれ?
ともあれ、楽しみにお待ちしておりますよ(=゜ω゜)ノ
呑竜  [ 2017/02/18 21:30 ]
さよならの話にに気を取られてさらっと読んでしまいましたが、「遠見のレン」削除するんですか?! 一番好きな作品でしたので残念です。また載ることを期待して待ってます。
ココナッツ  [ 2017/02/18 17:30 ]
大人の「さよなら」は永劫の別れを表す、ような気には確かにさせますね。

女性から別れ際に言われると「もしかして俺、なんかした?」なんてありもしないことで自戒を募らせます。
ある意味さよならの代わりの「じゃあ、またね」というのは、そういう相手への思いやりもあるのかなぁ、なんて。


もっとも、「またね」と言われて永劫に連絡が取れなくなるのも、また大人ではありますがw

先生は明日には絶対会える、という確信がある、信用性がある、したがって「さようなら」が使用出来た、という風に考えると、皮肉だなぁ、と。
相楽山椒  [ 2017/02/18 10:30 ]
比由律人さん、コメントありがとうございます。

「いったいいつから」の部分を違う方向に解釈されたのかもしれませんね。
文章の趣旨はあくまで個人の意識についてです。幼年期とそれ以降とでは「さよなら」から受けるニュアンスがまるで変わっているのではないか、と。
おっしゃるとおり、語原などはだいたいの場合調べればすぐにわかってしまいますので。ネット社会なればこその手軽さですが、それも先人たちの優れた研究があってのことですね。感謝。
遊佐東吾  [ 2017/02/18 00:38 ]
ちょっと調べれば判る事ですが「左様」は相手に対する配慮や同意という意味合いもあり、
「左様ならば仕方ない」が語源だったかと。

自らの別れ難い気持ちを抑え、相手の都合を優先し今は別れる事を承諾するから「さようなら」なのでしょう。
比由律人  [ 2017/02/18 00:13 ]
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