安西先生、ドラクエ11がしたいです

2017年 08月09日 (水) 15:51

でもやりだしたら確実に小説書くのが滞るわな。
お前なぁんか勘違いしとりゃせんか? と脳内安西先生に叱られました。

これまでゲームはRPGばかりをぼちぼちやってきたのですが、中でも台詞のセンスがいいなと思っているのはドラクエシリーズとMOTHERシリーズです。
何がいいって、世界の行く末なんてまったく無関心なキャラクターがそこかしこにいるのがいいんです。話してくれるのは他人からすればどうでもいいことばっかり。
そこにこそ私は物語世界の広さを感じました。

ゲームと小説はまったくの別物ではありますが、小説において不要に思えるエピソードがはたして本当に必要ないのかどうかはなかなか見極めが難しいところです。
肌触りというか色合いというか、そういったものを決定していくのは案外正規の道から外れた部分なのかもしれないですから。
脂肪分の摂りすぎはよくないが、摂らないのもまたよくない。どんなに筋肉質な人だって体脂肪率を0にはできないしね。

コメント

相楽さん、コメントありがとうございます。

私を含め、ここまでコメントされた方のほとんどは「不要かもしれない話」として登場人物の輪郭を補強するやりとりをイメージされていたかと思います。
が、相楽さんの場合だとまず物語世界の設定があって、そこから派生してくる何かしらを「イラン話」とおっしゃっているのでしょう。
その違いこそが面白い。なろうでやってる理由の半分以上はそこにあります。

DQ初期3部作は本当に綺麗なまとめ方でした。あそこで終わらせていたなら、と思うことなきにしもあらず。
「気持ちがよかった」というのは言い得て妙っすな。話がすぱーんと繋がる瞬間って本当に気持ちがいいですもんね。
遊佐東吾  [ 2017/08/11 06:25 ]
私の場合、いわずもがな、イラン話はかなり多くを占めます。
それを「空気感」というより「水感」、氷か水か水蒸気になってどこかとつながっているという感じが好きなんで(些細なことでも)

その一言が命取りという感じで、枝葉が成長してエピソードを生んでしまうこともしばしばですが。

DQの場合、3までがひとくくりと言ってよいと思うんですが、1で無作為に無意識にちりばめた情報を2で成長、昇華させ、3で綺麗に回収したという感じ、あれは気持ちがよかった。一本一本のシナリオをつなげる役割をしてますね。
相楽山椒  [ 2017/08/10 06:57 ]
藤兵衛さん、コメントありがとうございます。
いったいそれ何のゲームですか。シュールすぎます。

今、藤兵衛さんのコメントを受けて初めて気づきました。
『大人はわかってあげない』には名前のない登場人物がほぼ出てこないんです。
台詞があるキャラクターだと、思い出せるのは1話の女子高生二人組くらいじゃないでしょうか。リアルに「うわ」と声が出ました。
名もなきダジャレ親父は……出しづらいですねえ。

現実世界を舞台にしているのにどこか一部が異界と繋がっているような、そんな不安定な世界観の物語ならいろいろ盛れそうですけど。
さ、ここは私より藤兵衛さんの出番ではありますまいか。
遊佐東吾  [ 2017/08/09 23:15 ]
ムッシュ、コメントありがとうございます。

ざっくばらんに言えば、ドラクエやMOTHERの一般人にはろくでなしが多いんですよね。普通に酔っぱらいとかいるし。
FFも初期はわりとユーモラスだったような記憶がおぼろげに。シリーズが進むにつれ、だんだんシリアス度が増して一般人の意識が高くなっていったような。これもおぼろげですけど。
何かこう、夏が来るとどうしてもMOTHERを連想してしまうようになりました。

余白という表現はいいですねえ。いただきです。
遊佐東吾  [ 2017/08/09 23:06 ]
呑竜さん、コメントありがとうございます。

ゲームはぼちぼちやってました。ストーリー性の強いものかスポーツものかって感じですねえ。まんまです。
それにしても「大手のは向いてないのかも」って表現が面白かった。
ゲームの世界も思っている以上に広そうだな……と感じましたので。

生命感、暮らしている感。まさしくそういうことだと思います。
ゲームだけじゃなく実写やアニメの映像作品に関しても言えるんですが、「何かこれ……箱庭っぽいわ」となった途端、一気に盛り下がってしまうんですよね。
登場人物たちがその世界にちゃんと生きているかどうかは、私が面白いと感じるための大きなファクターなのでしょう。たぶん、他の方にとっても。
遊佐東吾  [ 2017/08/09 22:54 ]
ココナッツさん、コメントありがとうございます。

そんなバイトがあるんですね。最近ならSwitchでもあったのだろうか。
あとレオナ姫が懐かしすぎました。『ダイの大冒険』の、少年マンガらしく王道を真っ直ぐにいくストーリーがとても好きだったんです。
1巻から読み返したい衝動に駆られますが、それも自重しなくては。

物語の進行時点では特に意味のなさそうな会話が、いくつも積み重なることで後々効いてくるのは何となく好きです。
少女マンガ序盤における主人公二人の反発描写もそんな感じかなあと。
互いが恋に落ちた瞬間に反転するといいますか。
遊佐東吾  [ 2017/08/09 22:43 ]
 別のゲームで、ずっとダジャレを言ってるオッサンとかいたなあと思い出しました。ストーリーが進むにつれてセリフも変わるのですが、全部ダジャレ。徹頭徹尾ダジャレ。
 小説でそういうことができるかというと、ちょっと難しいですね。たとえば『大人はわかってあげない』の最初、間宮先生と島ノ内君が野球観戦している緊張の場面で、もしかしたら近くの席にいた人たちのうち一人ぐらいは主人公たちの事情なんぞ知らずに「内野ゴロじゃないや」とか「ホームランで葬られた」とか言ったりしていたのではないかと思いますが、そういうのは書けませんな。本筋と関係ないし、雰囲気ぶちこわしだし。
 ただ、どうにかしてそういうものを小説の中に無理なく書き込むことができたとしたら、その物語の世界が豊かになるといいましょうか、とてもいいことだろうと思うのです。
千賀藤兵衛  [ 2017/08/09 22:42 ]
比由律人さん、相変わらず否定を基調としたコメントですね。
ポジティブに建設的でありたい私のスタンスとは相容れませんが、有用と思える部分に関してはできるだけ耳を傾けさせていただきます。

ただ、「二つで否定できる」とおっしゃるのはさすがに暴論でしょう。短編なのか長編なのか、ジャンルは何か、ライトノベルなのか一般文芸なのか純文学なのか、そういった条件をつけずに十把一絡げにして断じてしまうのは性急すぎる。
小説が簡単に結論づけられるものでないことはご存知のはずです。そもそもWeb小説でよく見かける冗長な会話劇を肯定される方ではないでしょうし。
どれが必要でどれが不要なのか、その取捨選択にこそ書き手の感性が色濃く現れる、私はそのように考えます。
線引きの基準がそれぞれ微妙に、時には大きく違うからこそ、小説について他の方と話すのが面白いんじゃないでしょうか。
遊佐東吾  [ 2017/08/09 22:25 ]
くらさん、初めまして。相当なスラムダンクファンとお見受けしました。
だからこそ言わねばならぬ。矢沢じゃなく谷沢ですよ!

ファーストコンタクトだというのに失礼いたしました。
私の脳内に白髪仏はおらず、ただ白髪鬼が居座るのみであります。
「きみはなろう一の物書きになりなさい」などとは決して言ってくれぬ。

オンラインゲームのドラクエ10なら、くらさんが書かれた会話がものすごく真に迫ってきますよね。世界の維持のためにはプレーヤーが必要なのだ……。
遊佐東吾  [ 2017/08/09 22:06 ]
確かに、DQとMOTHERは主人公たちが勝手に世界救ってる感ありますねぇ。FFは主人公たちもすごいしゃべっちゃったりしますし、やりこみをやらないRPGとしてのポケモンはお子様の旅行ですし。
アンドーナツ博士の「君たちの、真の勇気を知っている人間の数はほんの一握りだが・・・君たちがその勇気で救う人々の数は計り知れない。こんな場面に居合わせることのできたわたしは・・・幸せ者だ」のセリフや、入れない民家もあるとかMOTHERは本当に大好きでした。

不要に思えるエピソードですが、個人的にはそういう設定の余白的なモノがあってもいいと思います。『バクマン。』で言ってた一話完結じゃない一話完結というか、後付けを入れることができる余白はあってもいいんじゃないでしょうか。ピンピンに緊張してるとちょっとの揺れで千切れます。
ムッシュ志乃  [ 2017/08/09 22:01 ]
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