中学校の社会科教師であった真壁進次郎は、偏向教育を指摘されて退職し、「東比貿易」に再就職した。小さいながらも、国際入札専門の商社である。
入社五年後の1985年、真壁はマニラ駐在員になった。マニラには藤沢支店長がおり、商社の例にもれず、真壁は厳しい指導を受ける。
赴任直後の初仕事は、日本の円借款を資金とする入札スペックの事前入手であった。早速、プロジェクト事務所のエンジニアに近づき書類を本社に送付するが、既にメーカーは全て押さえられていると本社部長から叱責を受け、更には職務怠慢だとして帰国すなわち解雇すると脅かされる。
理不尽さに悶々とする真壁の駐在員生活が始まった。