憎悪の花の開花時期は安定した時が決まっていない。
春のうんざりする強風の日に咲いたことがあれば、夏の粘っこい陽の明かりの中、冬のささくれ立つ氷の下から生えてきたこともある。
秋の空虚な曇りの日にもっとも多くの数が観測されるが、大概は、種がくだらないストレス、被害妄想、自己嫌悪、人間不振に襲われたときに咲くようになっている。
憎悪という名称は種の強がりだ。これは確かに憎しみ苦しむものであってほしい、倒されるべき悪であってほしい、そんな種の願望が込められただけのただの二文字で、咲く花の一本に一本に酷い毒性があるわけでも、まして有用な効能があるわけでもない。
そんな何百本咲き誇ろうが相手にされない花が、今年もプランターに数本だけ顔を出す。
園芸の本があれば誰でも咲かすことができるだろうその花の、土中で朽ちていく種の殻は、それでも、自信ありげにこう言うのだ。
ここは花園だと。
ディストピア
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