私は、小学5年生の時に映画監督になりたいと思ってから他の職業に就きたいと思ったことはありませんでした。
しかし、世間の風の流れと言いますか、いろいろな仕事をしては来ました。
40代前半でプロレス団体の設立を手伝う事になり、その団体の内部のゴタゴタが原因となって退職、そのうちに選手達も次々に辞めて、私に新しい団体を作ってくれと言われ無理だと断ったのですが結局、新団体を設立。
《レッスル夢ファクトリー》という団体です。
頑張ってはみましたが、1996年には崩壊してしまいます。
私は、2億になろうかという負債を抱え仕方なく水商売の世界へ転進しました。
アイデアを連発し店は大ヒット!2年後には負債も無くなりました。
これで落ち着いて人生になるかと思いましたが、元々仕事としては嫌いだった水商売、負債もなくなり安定して来ると辞めたくなってしまいました。
その頃、WJという団体が発足しました。
新日本プロレスを辞めた長州力が始めた団体です。
私は、其処の常務取締役に成りました。
この団体の潰れるのは速かったです。
私は水商売の世界へ舞い戻りました。
不況が続いて、体力は段々失くなりました。
還暦を迎えた頃、私は水商売も辞めました。
それからはのらりくらりと生きて来ました。
つい最近のこと、私は考えました。
何のためにこの世に生まれたのだろうか?
何を人生で残したのだろうか?
私の、生きた証は何なのだろうか?
そして辿り着いたのは、その生きた証を残りの人生で創り上げようということです。
自分がやりたいことは何か?
此処から考えを出発させました。
映画監督しかないのは直ぐにぶつかりましたが、この歳から業界に入り、下積みをという訳にはいきません。
映画の世界へ照準を合わせながらストーリーを創ろう。
小説家になろう。
そう決めました。
私の人生の最終版は来月に迫る70歳の誕生日を出発点として小説家を目指すことにしました。
皆さん応援宜しくお願いします。 髙田龍