十代は、自分の身体と心の葛藤です。
それは十代の心と身体だからこそ、耐えられるのです。
二十代は、その均衡が取れて行きますが、まだ身体の方が強いので、多いに楽しんで欲しいです。
少年漫画の主人公達は、なぜ敵に何度も倒させるのか。
そして、何度も立ち上がるのか。
立ち上がれるのか。
子供の頃は、そうした場面を、ただハラハラ、ワクワクさせる為に描いてたのかと思ってました。
しかし、3度も病気で倒れると・・・いや、2度めの病気で倒れた時に思いました。
柔道やボクシングでは、倒れたら負けですが、人生は何度も倒れてしまう時があり。
それでも、続くから・・・身体の何処かが動かなくなったり、壊れたりしても、最後に残された自分の意思や心という脚で立ち上がる事が出来る!
そう伝えたかったのだろうと思いました・・・。
今回で3度倒れましたが、また立ち上がるのでしょう、私は・・・。
それでも、一つ思うのは。
医療で尽くせる事が無く、耐え難い身体の痛み苦しんでたり、意思はあるのに、身体を何一つ動かせ無くなって長い時間が経ってる人には、本人や家族の意思によって『尊厳死をさせてあげられる制度』が、この国にあったならと思います。
尊厳死とは、あまりにも苦しんでる誰かを・・・。
私が頭が良かったら、その罪を背負ってでも・・・。
それは、今らさら出来ないと知ってるからこそ、思う事なのでしょうね・・・。
以下 夜想文
自分の中に、まだ・・・。あんな心が、あんな気持ちが残っていれば、まだ、幸せになれるかも知れないですね。
幸せに成るために誰もが生まれて来た と、ある人は言いますが、それは今生(こんじょう)とは限らないのかも知れない。
来世か・・・さらに、その遙かな旅の向こう側かも知れないですね。
そこに行き着くには、諦めず最後まで今生を生き切らなくては、次も同じ旅路を辿らなくてはならないと言います。
どんなに残念な人生でも、最後まで耐え忍んで命を全うすれば、今生は100点満点なのですよ、きっと。
だから、人をあまり羨んだり、人を笑ったりしてはいけないのだ。
「人生、成るようにしか成らぬ、成る時には成るように成し、成らぬなら耐えるか諦めよ。最後は笑って死んで還ろうか。そこは地球と宇宙とが織り成す、果しない時空の世界・・・。」