『命の選別』がコロナ禍で初めて公然と大義名分を持ち、美しい建前「どんな命も尊く平等」が揺らぐ医療現場の今ー。
『延命措置の胃瘻』か『自然死による餓死』か選択を迫られる要介護者の家族達。
医療従事者と要介護者の家族は、医療介護の知識と情報格差からかみ合わない、そしてわかりあえない。
誰も彼も忙しく余裕がないからその差は埋まらない。
人と人が完璧に理解し合えることは永遠にないけれど。
わかり合おうと努力しあう姿が、わかり合えたと思えたその一瞬の奇跡が、何より貴く愛おしい。
常に喪失感に包まれる看取りの日々の中、ふとした仕草や笑顔、時々の「ありがとう」で報われる『私』。
消えゆく命にそっと寄り添うやさしさに信じてみたくなる。
そんな『私』が問う「あんな答えでよかったの?」と。
だから答える「うん!そうだよ!」と。
そして言う「看護師になってくれてありがとう」と。