古より、人の道と何らかの道は交わりを続けてきた。それが顕著になる頃合いを、人は「誰そ彼刻」と名付けたのだったか。
ページを捲るごとにはっとさせられるのは、文字を追っているうちに「間」の領域に跳びそうになっている心で──美しき綴りながらも切迫してくるものの優美さと迫力に、未央という人のなんたるかを知らされる。
例えばセーマンドーマン、史実とはかけ離れれど趣ある物語として記される二者の得手が、今は命の護りとして並んで刺繍されているように──この物語でも様々な歌人の在り方が、ある種独立し、ある種重なり合って描かれている。その多様さと各々の放つ個性に、世界の在り方すら考えさせられる気がしなくもない。
未央たちの時代をも、いつか歴史は歌い出すだろうか──律され研ぎ清まされた力と「言」と、やわらかで独特な「歌」たちの織り成す、動の中の静であった時代があったのだと。
「今」の甘美さを継ぎつつ──。