活動報告一覧全59件
2015年10月26日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=47=投稿、
翌日の昼過ぎに、西域の衣服を纏った老人が耶律康阮を尋ねて来た。 タングートの将が通事を兼ねて引率してきたのである。 欽宇阮将軍が居られるであろうかと、会釈の後に老人は漢語で口を開き話し出す。 青海に滞…
2015年10月25日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=46=投稿、
「力強よ、そなた 三年前にタタルに騙まし討ちにされた父御の仇を大石統帥の策で果たす前に、飲まず食わずで 蒙古草原から北ゴビを超え、陰山東端の二連浩特から南ゴビを渡って錫林郭靭、張家口に抜け出て、燕京の…
2015年10月24日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=45=投稿、
雁門関近隣を徘徊していた金軍の実数は、情報とは異なり100名を切っているだろうと、耶律時は判断した。 偶然に街道筋の宿で屯していた諸将が六名、指揮官一名と小隊長格が五名が昼餉を取りつつ宴会する座に加わ…
2015年10月23日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=44=投稿、
 街道宿にて、素知らぬ顔で情報を聞き取った六名の武将たちは、昼間の酒の勢いか、聞かぬ問問わずに 長城北側をオルドスの楡林に回りこみ燕雲十六州外縁地帯の遼の残兵と西夏の駐屯兵を一掃する任を受けての行動だ…
2015年10月22日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=43=投稿、
金の阿骨打が病に伏して薨かった 四年後の事、金の第2代皇帝に即位した呉乞買・太宗は寛大で人格者だった太祖(阿骨打)と違い、勇猛果敢で果断や実行力に富んだ性格のために、燕雲十六州の奪還を目指す宋軍が燕雲…
2015年10月21日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=42=投稿、
イムルグと何蕎が練り上げた文面は、=吐蕃の兵馬が酒泉城郭を襲うもよう。祁連山脈の杣間道を密かに北上縦断する奇襲。 時期不明だが、祁連山脈南麓・哈垃湖畔に吐蕃兵が集結済み。 遼王国は耶律大石統帥の欽宇阮…
2015年10月20日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=41=投稿、
赤白く燃えて黒い石が炎を立てている。 黒い石の炎は見つめる人の心を和らげるらしい。 しかし、イムルグは何蕎と宿主の忠弁亮との短い会話から、物静かに炎を見つめる初対面の挨拶を交わした小柄な身躯の宋江をそ…
2015年10月19日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=40=投稿、
「先ほど、見事な白髭と明瞭な鼻梁 深い目窪 それと その 包皮のような白く美しい帽子でソグドの方と判じた上で、 その日焼けした顔より、長旅に慣れ 隊商を率いて来られているからには鳩を携帯されていると考…
2015年10月18日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=39=投稿、
日が落ちる前に、前触れもなく現れた何蕎はずかずかと奥の居室棟まで宋江を連れて入って行った。 居室棟は街道から離れていた。 忠弁亮の家族や使用人の居室は、街道から西側の宿泊棟裏側の脇道を南に回り込むか、…
2015年10月17日
長編小説・隠れマニ教徒・耶律大石; 第二=38=投稿、
耶律康阮と康這の兄弟、呉用、燕靑たちが未だ太陽が昇り来ない早朝、興慶の城門を騎馬にて出て行った。 城門は閉ざされていたが、丞相のセデキ・ウルフが前夜に指示を与えていたのであろうか 警備兵は目礼で見送っ…
前へ 123456 次へ