02.恐怖侯爵はなにかを隠してる
2025年05月19日 (月) 07:07
これまでのお話
01.恐怖侯爵と激かわ娘。
恐怖侯爵の後妻になりました。君を愛することはないと言ったのは、前妻を忘れられないからでしょうか。彼女が消えたのは、まさかあなたが……?
02.恐怖侯爵はなにかを隠してる
それから私とシャロットは時間を忘れてたっぷりと遊んだ。
いい加減に戻ろうと説得する頃には、シャロットはうとうとし始めていて。
「抱っこしようか?」
私の問いに両手を広げてくれて、そっと抱き上げる。
すると一分もしないうちに、シャロットはこてんと寝てしまった。
今日はお昼寝もなしに遊んでしまったものね。怒られちゃうかな。
五歳って意外に重くて、運ぶのも大変。
疲れた足に鞭を打って玄関まで戻ると、ちょうど恐怖侯爵……もといイシドール様がちょうど帰ってきたところだった。
「イシドール様……おかえりなさいませ」
「寝ているのか」
ただいまもなしに、イシドール様はギラリと私を睨んだ。
思わず体が固まりながらも、コクっと頷いて見せる。
「申し訳ありません。遊び疲れてしまったようで……」
「俺が運ぶ」
相変わらずの威圧感のまま、イシドール様は私の手からシャロットを奪っていった。
愛娘が私に抱かれているのは気に入らなかったのかもしれない。
距離を詰めなきゃ、仲良くならなきゃと思うけど、なにを話していいものかわからない。
部屋にシャロットを寝かした後、私とイシドール様の食事が始まった。
いつもはシャロットがいるから空気も明るいけど、今日はたった二人での食事。
ああ、カトラリーの音がやたらと気になるわ。沈黙をどうにか破らないと!
「あの、今日は申し訳ありませんでした……」
「なにを謝っている?」
イシドール様の眉間にぐいっと皺が寄った。
ひぃ。やっぱりちょっと怖いし、緊張する。
「シャロットと時間を忘れて遊んでしまい、お昼寝もさせなかったので食事の時間に寝させることになってしまって……」
「構わない。食事は起きた時にすればいい話だ」
「はい、すみません……」
「謝るな。そんなに俺が怖いか?」
イシドール様の冷ややかな氷の目が突き刺さる。
これ、なんて答えればいいの?!
「え、っと……その……」
「正直に言ってもらおう」
正直に……本当に言っていいの? 怒らないかな……。
「あの、確かに怖いなと感じる時はあります……あ、でも! シャロットに対してはすごく甘いお顔をなさっているので、優しい方なんだろうって思っています」
言っちゃった。
イシドール様のアイスブルーの瞳が私を見てる。
冷や汗が流れてきちゃったわ。正直に言いすぎた? どうしよう、機嫌を損ねて出ていけって言われたら……
「そうか」
だけど予想に反してイシドール様はそれだけを言い、食事を再開した。
……セーフだった?
ほっとしてガチガチに固まっていた肩を弛緩させる。
「シャロットは随分と君に懐いているようだな」
食事をとりながらイシドール様がぽそりと言った。
今のは独り言……じゃないわよね?
「はい、とてもありがたいです。私もシャロットのことは本当の娘のように感じて……」
「君はシャロットの本当の母親じゃない。無理はするな」
ピシャリと言い切られて、浮かれた心が一瞬で沈んだ。
不仲の両親に愛されず育てられた私が、シャロットのことはかわいいと、愛しいと感じ始めている。いいえ、すでに愛おしさしか感じていないのに。
「……私の気持ちを、否定しないでくださいっ」
気づけば私は、そんな言葉を叫んでいた。
「そりゃ、私はシャロットの本当の母親じゃないですけど、シャロットの心のよりどころになれたらいいって、心から思ってるんです!! 私はもう、あの子の母親のつもりでいますから!!」
勢いのまま続けてしまった私を、イシドール様はじっと見ている。
母親のつもりでいるなんて、迷惑でしかないのかもしれない。きっとイシドール様の中では、自分の妻も娘の母親も、変わらず一人だけなんだろうから。
「……シャロットに、俺が再婚したことは伝えていない」
少ししてイシドール様から放たれた言葉はそれだった。
まぁそうだろうなとは思っていたけど。使用人の皆さんも、私のことを『奥様』ではなくて『レディア様』って呼んでくるし。
「けれど書類上は夫婦ですし、私はシャロットの母親ですよね?」
「そうだ」
「どうしてシャロットには再婚を教えないんですか?」
「母親が二度もいなくなっては、娘がショックを受けるだろうからな」
無愛想な恐怖侯爵が口の端を開けて笑った。瞬間、私の背筋にぞぞぞっと怖気が走る。
今のは、どういう意味なの……。
母親が二度も……二度目は私、ということ……?
「そういえば君の生い立ちは酷いもののようだな」
「酷いというほどでは……家が立ち行かなくなるところをイシドール様に救っていただけたことは感謝しています」
「金で娘を売るような家だ。君の両親と兄は、君を道具くらいにしか思っていないんだろう?」
イシドール様の言葉に私の体はこわばった。
家族からは暴力を受けたわけでも、食事を抜かれたわけでもない。家庭教師はつけてくれたし、社交界にも出してもらえた。
ただ、兄第一主義者の両親は私に関心がなく、兄も私に興味がなかった……それだけ。
道具というのは言い得て妙かもしれない。
「君がいなくなっても、誰も騒ぎ立てたりはしないだろう。安心してくれ」
「……それはどういう──」
「シャロットと仲良くなるのはいいが、別れの時につらくなるのは君とシャロットだ。ほどほどにしておくといい」
相変わらずの威圧感でイシドール様からの言葉は終わった。
今の会話は、一体なんなの?
私がいなくなっても、誰も騒ぎ立てない……確かにその通りだわ。この屋敷の人はイシドール様の命令に背くことはなさそうだし、私の実家も私がいなくなったところで騒ぎ立てないだろう。
私はいなくなる前提で、後妻に選ばれたということ……? どうして……?
「ああ、大事なことを言い忘れていた」
スプーンも動かせずに固まっていると、イシドール様は温かいスープが凍るほどの勢いで鋭く私を睨んだ。
「地下に倉庫があるが、そこには決して近づくな」
「倉庫、ですか?」
「たまに音がすることもあるかもしれないが、気にしないことだ。いいな」
その『いいな』は有無を言わせない迫力があって、私はこくこくと顔を上下に動かすほかなかった。
地下に一体なにがあるというのだろうか。それを考えると背筋が凍える。
まさか……前妻のラヴィーナさんがそこに……?
たしか、ラヴィーナさんは雲隠れしたって話だった。噂では、恐怖侯爵から逃げ出したんだと。
でも本当は逃げ出したんじゃなくて、監禁されているのかもしれない。それか、もうすでにそこで……
私は会ったこともない金髪の女性が地下室で息絶えている姿を想像して、身震いした。
もしそうだとしたら、シャロットが“ママは死んだ”と言っているのも納得ができる。
──考えすぎよ。そうと決まったわけじゃない。そんなわけないじゃないの。
だけど一度よぎった想像は、なかなか頭の中から離れてくれない。
「あの……前の奥様とは、どういう経緯でご結婚されたんでしょうか」
私は心臓をドッドと鳴らしながら、おそるおそる聞いてみた。
彼女も私と同じように、売られるようにここに来たのかもしれないと思って。
「ラヴィーナとは社交界で出会った。俺の一目惚れだ」
「一目惚れ……ですか」
意外な言葉が出てきて、私はパチパチと目を|瞬《しばた》かせた。
この恐怖侯爵が……一目惚れ!!
確かにあのかわいいシャロットの母親なら、めちゃくちゃ美人だろうけど!!
「そんなに意外か?」
「いえ、あの……つい。イシドール様にそういう一面があるんだと知れて、嬉しいです」
「俺にだって人の心はある」
「はい」
ふふっと思わず微笑むと、イシドール様はほんの少しだけ恥ずかしそうに顔を伏せた。
なんだ。イシドール様も、普通の方なのね。
「それで、どうされたんですか?」
「即座に求婚した。俺は両親が早くに他界していてすでに侯爵を継いでいたし、反対する者はいなかったからな」
即座に求婚!?
ど、どんな顔で求婚したのかしら、イシドール様……その場に立ち会ってみたかった!!
「それで、受け入れてもらえたんですか?」
「うちは権威のある侯爵家だからな。断る家などないだろう」
確かに。同じ侯爵家かそれ以上でない限り、そうそう断れる話じゃない。
一目惚れだとしたら、消えてもいい人を選んで娶ったわけでもなさそうね。ちょっとほっとした。
「奥さんを、愛していたんですね」
「……ああ」
眉は恐ろしく吊り上がったままのイシドール様だけど、どこか照れと寂しさを感じ取れた気がした。
そっか……ちゃんとラヴィーナさんを愛していたのね。
安堵と同時に、なぜだか胸が痛んだ。
二番目の妻である私は、間違っても一目惚れされるような容姿じゃない。
くすんだ灰色の髪と瞳。スタイルも出るべきところはお粗末だし、背も低めだから流行りのドレスには着せられちゃって無様だし。
前の奥さんとは、なにもかもが違うわ。
一目惚れされるくらい美人で愛されたラヴィーナさんと、消えても誰も気にしない、愛すことはないと宣言されるような私とでは。
夫に愛されていたラヴィーナさんが羨ましい。
こんな感情を抱いても仕方ないってわかってるけど。
「……そのラヴィーナさんは、どこへ行ったんですか? シャロットには亡くなったと言っているようですが、それはどうして──」
そこまで言って、私は『ひっ』と声にならない声をあげて言葉を止めた。
突き刺さる恐怖侯爵の氷の瞳。
極寒の地に放り出されたように冷え固まった私に、侯爵は──
「詮索するな……!」
一言重圧をかけて、そのまま出て行った。
乱れたカトラリーと、斜めになった主が不在の椅子。
一人残された私はイシドール様の怒りの顔を思い出し、はぁはぁと小刻みに息を往復させながら震えていた。
03.恐怖侯爵と地下からの声
コミュ症orツンデレ( *´艸`)
わー、銘水さんも恐怖侯爵を可愛いと思ってくれていたww
そう思ってくれている人、結構いるのかもw嬉しい♡
感想も喜びーー!!\( ˙꒳˙ \三/ ˙꒳˙)/ ひゃっふー!