06.恐怖侯爵と地下室の謎。
2025年05月21日 (水) 16:20
これまでのお話
01.恐怖侯爵と激かわ娘。
02.恐怖侯爵はなにかを隠してる
03.恐怖侯爵と地下からの声
04.恐怖侯爵様の、愛娘と宝物。
05.恐怖侯爵に告ぐ。



恐怖侯爵の後妻になりました。君を愛することはないと言ったのは、前妻を忘れられないからでしょうか。彼女が消えたのは、まさかあなたが……?

 
06.恐怖侯爵と地下室の謎。

 扉の前に立ち、鍵を使って──私は、扉を開けた。

 ギィィ……。

 鈍い音を立てて開いた扉の向こう。

 そこにいたのは──……一人の女性だった。

 ベッドに身を起こして座っている。
 痩せて、頬がこけていて、髪は煉瓦みたいにくすんだ色をしていた。
 ……金髪じゃ、ない。

 虚ろな目が、ゆっくりと私に向けられる。
 視線が合った。けど、どこを見てるのか、分かってないみたい。

「……ぁ……ぁ……」

 かすれた声。
 ベッドに腰かけているのに、その姿はまるで人形みたいに動かない。

 どうしてこんなところに、人が……?

 イシドール様は倉庫って言ってた。なのに。
 ……どう見たって、ここは誰かの「部屋」だ。

 汗がにじむ。喉がひりつく。

 その女の人が、ゆっくりと私を見る。
 しっとりと汗が滲んで、ごくりと息を呑む。

 心臓が早鐘みたいに騒ぎ始めた。嫌な予感。

「いや……ァァあア」

 この、声。
 背筋がゾクリとした。
 夜中に聞いた、あの悲鳴。やっぱり……この人!

「あなたは誰? どうしてこんなところに──」

 言いながら、頭の中がグラグラする。
 考えたくない。けど、考えずにはいられない。

「まさか……ラヴィーナさんなの?」

 その名前を出すと、カッと目を見開いて、私の体はビクッと跳ねる。

「ラヴィ……ぁ、ぁ、アアアァ゛アアアぁッ」

 いきなり叫びながら泣き出した。
 えっ、なに? なんで!?
 怖い、でも、放っておけない!

「あの、ラヴィーナさん!? 大丈夫──」
「レディア」

 冷たい声が背後から刺さった。
 ピシッと凍るような、乾いた声音。

 この声は──絶対に、間違えない。

 私は、ゆっくりと、首を振り向く。

「イシドール様……!」
「……何をしているんだ」

 どうしよう、まさかこんなに早く帰ってくるだなんて……!

「あの、これは……そのっ」

 カツンと一歩進むイシドール様。
 お、怒ってる……?
 当然か、ここには入るなって言われたのに、足を踏み入れちゃったんだもの。鍵まで盗んで。
 ああもう、ここは素直に謝るっきゃない!

「ごめんなさい! でも隠されれば気になります! どうして奥さんをこんなところに閉じ込めているんですか!?」

 恐怖侯爵の冷たい目。
 心臓がバクンバクンってうるさい。
 そんな私に、イシドール様の唇が開く。

「彼女は──シャロットの母親ではない。勘違いをするな」

 淡々と、そう告げた。
 え……ラヴィーナさんじゃ、ない?
 金髪じゃないからおかしいとは思ったけど……
 ええい、ここまできたらもう、聞かなきゃやってられない!

「じゃあ、彼女は、誰なんですか?」

 私の問いに、イシドール様は何も言わずに黙ってる。
 でも、しばらく沈黙が続いたあと、ぽつり、ぽつりと、少しずつ言葉をこぼし始めた。

 その声はとても静かで……でも胸の奥に押し込んでいた苦しさが滲んでて……。
 私は自然と息をひそめて、耳を澄ませた。

「彼女の名前はクラリーチェ。ラヴィーナの親友で、男爵家の令嬢だった」

 ラヴィーナさんの……親友?

 少しだけ、胸がざわつく。でも、何も言わない。今は、イシドール様の言葉をちゃんと聞きたい。

「……ラヴィーナと結婚したのは、世間が言うような“恋の成就”なんかじゃない。俺が一方的に惚れた。出会った瞬間から目が離せなくて……どうしても、手放したくなかったんだ」

 その声は、まるで罪を打ち明けるみたいに低くて、どこか苦しそうで。

「ラヴィーナは、俺を愛してなんかいなかった。侯爵家との縁談を、伯爵家の娘として断れなかっただけだ」

 胸がぎゅっと締めつけられた。
 それは、あまりに悲しい。でも、貴族の世界じゃ……よくある話。私だって覚悟はあったもの。あった、けど。

「最初は、それでも笑ってたんだ。少しずつ家族になって、愛を育てていけると……そう、信じていた」

 でも、それはきっと、イシドール様だけの願いだった。

 ──今の私みたいに。

「ラヴィーナには子どもの頃から想い合っていた相手がいた。庭師の息子で……身分違いの恋だったらしい」

 イシドール様は、ふっと視線を落とす。

「シャロットが三歳の頃、何も知らずに、俺はその庭師を屋敷に雇ってしまった」

 私は思わず息をのんだ。

「まさか……その庭師って……」
「ああ。ラヴィーナの、本当の想い人だった」

 頭の中が一瞬、真っ白になる。

 うわ……それは、こう……偶然って恐ろしいというか、運命って容赦ないというか……ああもう、言葉が出てこない。

「それから一年。ふたりはまた惹かれ合い……ある日、駆け落ちした。何の前触れもなく、突然に。俺はその時まで、まったく気づいてなかった」
「……そんな……」

 情けないくらい、呆然として。それしか言えなかった。
 イシドール様は、ほんの少しだけ眉を寄せている。

「そして、クラリーチェ──二人の駆け落ちを手引きしたのが、彼女だ」

 イシドール様の視線を追って、クラリーチェの方を見る。
 じっと宙を見つめて、まるで魂が抜けてしまったかのようなその姿に、背筋がぞくっとした。

 ま、まさか……イシドール様、彼女に罰として閉じ込めたの──!?

 怖い想像が脳内を駆け抜けて、思わず口が勝手に動く。

「そ、そんな……たしかに、良くないことだったかもしれません。でも、だからって、こんなところに閉じ込めて、壊れるまで放っておくなんて……!」
「違う」

 イシドール様は、静かに首を振った。

 え、違うんですか?

 その表情は穏やかで、でも、断固としていて。

「彼女はラヴィーナの訃報を聞いて、壊れてしまったんだ」
「ふ、訃報……?」

 聞き返す私に、イシドール様は小さく頷いた。
 やっぱりラヴィーナさんは、亡くなっていたってこと……?

「駆け落ちのことが家に知られて、クラリーチェは男爵家から追放された。貴族の娘にとっては、致命的な行為だった。家は彼女を庇わず、“面汚し”として切り捨てた」

 なんて、厳しい世界。……いえ、知ってたけど、改めて大変な世界よね……。

「彼女はその後、償いのつもりだったのかもしれない。シャロットの母親が自分のせいでいなくなって、何かできることはないかと申し出てきた。……俺は、放り出された彼女が不憫で、雇うことにした」

 イシドール様は目を伏せた。

 え。……それ、普通にすごくないですか?
 愛する妻の駆け落ちを手引きした相手ですよ?
 いや、ほんと、怒ってもいいのに!

 あまりの懐の深さに、私が泣きそうです。

「クラリーチェは、召使いとして静かに暮らしていた。だがある時、“ラヴィーナは病死した”という噂を耳にしてしまったんだ」
「ラヴィーナさん……本当に……?」
「いや。嘘だ。俺たちで口裏を合わせて、そういうことにした」

 ……嘘だった! ああ、でも……嘘でよかった!!

「どうして、そんな嘘を?」

 思わず問いかけた私に、イシドール様は、少しだけ唇を震わせて答えた。

「真実を話せば、シャロットは“母に捨てられた”と思う。……それだけは、させたくなかった」

 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 ほんと、シャロットに関しては、限りなく甘くて優しいんだから、この恐怖侯爵様は。

「だが、その嘘がクラリーチェを追い詰めた。彼女は、自分のせいでラヴィーナが死んだと思い込んでしまった。この屋敷にいたままなら、適切な治療を受けて生きられたはずだと」

 シャロットを守るための嘘が、彼女には真実になってしまったんだ……。

 私はクラリーチェを見つめた。
 動かない。うつろな目。閉じてしまった心。

「ら、ヴィ……ァアア。ごめ、なさアアッああァァァ──」

 その叫びは、死んだと思い込んでる親友への、謝罪なの──?

「彼女は、自分を責めるあまり……心を閉ざしてしまった。本当は生きていると伝えても、聞き入れないんだ。もう……元には戻らないかもしれない」

 私は唇を噛んだ。だけど、どうしても言わずにいられなかった。

「……でも、だからって、こんなところに隠すようにして……」
「光を嫌がるのも、彼女自身だ。俺は、せめて穏やかに過ごせるようにと……ここに、療養のための部屋を用意しただけだ」

 その声は、優しくて、でもどこか、切なかった。

 ──でも。

「……それなら、どうして鍵をかけてるんですか?」

 イシドール様は、ほんの一瞬だけ目をそらした。そして静かに、でも重く、言葉を落とす。

「……外に出れば、自傷しようとする。逃げようとしてるんじゃない。罰を受けようとしているんだ。だから……医師と相談して、閉じ込めるしかなかった」

「……そんな……」

 やるせなさに、胸がきゅうっと痛む。
 だけど、もうひとつ、聞かずにはいられなかった。

「じゃあ……どうして、私には黙っていたんですか?」

 イシドール様は、しばらく黙っていた。

 それから、ぽつりとこぼす。

「……言うべきだったんだろう。ただ、君がどう思うのか……怖かった」
「え?」

 私の口から、間の抜けた声が出た。……え、怖い?

 この、恐怖の代名詞みたいなイシドール様が……私の反応を、怖がる?

「……どうしてです?」

 本気で、わからなかった。
 イシドール様って、もっとこう、鉄壁で最強で、誰が何を言おうと気にしない鋼メンタルだと思ってたのに。

 だけど、私の問いには答えてくれなかった。ただ、静かに目を伏せたまま。

 ……でも、なんとなく、伝わってきた気がする。

「──私、怒ってませんよ?」

 小さく、そっと、そう言ってみた。聞こえてたかどうかは、わからないけれど。


07.恐怖侯爵様の思惑がわからない。
コメント全4件
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長岡更紗
2025年05月22日 10:28
◆雪乃さん

置いて行っちゃいましたね(ノД`)
クラリーチェは、優しい人なんですよね……
事情を知っていたので、ラヴィーナに幸せになってもらいたいと手伝った結果、こんなことにorz
使用人は知ってますね〜。
でもシャロットの耳に入れないように、真実は黙ってます。
イシドールも大変でした(ノД`)
名木雪乃
2025年05月22日 08:36
うわ、切ないですが、まさか可愛い盛りのシャルちゃんを置いていくなんて。
クラリーチェ、手引きした割には脆い人だったのですね。
使用人たちは、知っている?
イシドールさまも、色々つらく、大変でしたね。
長岡更紗
2025年05月21日 19:54
◆彼方

イシドール、めっちゃいいやつだった( *´艸`)

メンタル、確かに!(ノ∀`)タハー

クラリーチェはね、ごめんよ……w
遥彼方
2025年05月21日 18:51
イシドール思った以上にめっちゃいい人!
メンタルは繊細そう(笑)

クラリーチェはなんとも……可哀想というか( ;∀;)