10.ストロベリー侯爵は、意地悪な王子様。
2025年05月23日 (金) 15:08
これまでのお話
01.恐怖侯爵と激かわ娘。
02.恐怖侯爵はなにかを隠してる
03.恐怖侯爵と地下からの声
04.恐怖侯爵様の、愛娘と宝物。
05.恐怖侯爵に告ぐ。
06.恐怖侯爵と地下室の謎。
07.恐怖侯爵様の思惑がわからない。
08.恐怖侯爵様、告白する。
09.恐怖侯爵、ストロベリー侯爵になる。


恐怖侯爵の後妻になりました。君を愛することはないと言ったのは、前妻を忘れられないからでしょうか。彼女が消えたのは、まさかあなたが……?

 
10.ストロベリー侯爵は、意地悪な王子様。

 その日は、雨が降っていた。
 窓を打つ雨の音が、ぽつぽつと心地よく響いている。

「ねえ、レディアおねえちゃん。シャル、つまんないの」

 外で遊べないシャロットは、ソファの上でぬいぐるみを横に転がし、ふにゃりとした声で訴えてきた。

「そろそろ限界かしらね。三冊絵本読んだし、積み木もしたし……」

 どうしよう? 雨の日は、シャロットの大好きなお庭の散歩に行けないから、困っちゃう。

「あ、そうだ。おままごとはどう? おうちの中だけど、公園に行ったつもりとか」
「うーん。あっ、じゃあね!」

 シャロットの目がぱっと輝いた。ぬいぐるみを抱きしめたまま、勢いよく立ち上がる。

「パパも呼んでくるー!」
「えっ!? あ……」

 止める間もなく行っちゃった。
 イシドール様はお仕事中なんだけど、大丈夫かしら……。
 多分、あのストロベリー侯爵様は、シャロットの願いを──

「連れてきたー!」

 断らないのよね。
 シャロットに手を引かれるイシドール様は、まんざらでもなさそうから、いっか。

「なにをするんだ? シャル」
「きょうはねー、ぶとうかいごっこするの!」
「舞踏会?」

 お人形たちが並ぶ部屋の真ん中でドヤァッと宣言するシャロット。かわいい。
 でも、舞踏会ごっこって?

「それって、どうするの?」
「それはねぇ」

 うふふっとシャロットが口元を両手で隠す。かわいい。

「シャルはお姫さまで、おねえちゃんは、じじょさんなの」

 私は侍女、うん、順当な役割。

「それでね、パパは王子さま!」
「王子様か……」

 イシドール様は、ちょっと困った顔をしてる。かわいい。
 もうこの空間にはかわいいしかない。

「うん。すっごくカッコよくて、ちょっといじわるだけど、でもほんとはすごーく、やさしいの!」

 ぶっ! ちょっと意地悪設定なのね!

「じゃあ今からよ。すたーと!」
「え? えーと。シャル姫様。あそこに王子様がおられますわ。姫様を見てらっしゃいますわよ?」

 こ、こんな感じでいいのかしら。
 演じるって、ちょっと気恥ずかしくて緊張する。

「まったく、おにいさまったら! おんなのひとが苦手だから、いもうとしかみられないびょーきなの!」

 シャロットの言葉に、イシドール様の眉が少し歪む。

「っぷ。そんな病気があるんですか」
「そぉなの。シャルいがいには、こわいお顔しか、できないびょーきよ!」
「それは大変ですね。というかシャル姫様と王子様は、ご兄妹なんですか?」
「そうよ。おひめさまと王子さまは、ふつうきょうだいでしょ?」

 なるほど、隣国の姫と王子様とかいう設定ではなかったのね。まさかの兄妹だった。しっかりしてる。

「それじゃあ、王子さまは、じじょさんにヒトメボレしてください!」
「ふえ?」

 あ、変な声出ちゃった。
 だって、展開が唐突過ぎるんだもの!

「はい、どうぞ!」

 にっこにこしてるシャロット。
 うん、断れる雰囲気じゃない。

 イシドール様が真剣な顔で私に近づいてきて──
 私の前で跪いた!!

「我が妹の侍女よ。一目惚れしてしまいました。俺と結婚してください」

 私を見上げるイシドール様……どうしよう、キラキラしてる。本当に、王子様みたい。
 っていうか、プロポーズだ。私、生まれて初めてプロポーズされた!

「えと、あの、その……っ」

 わぁ、どうしよう。演技だってわかってるのに、めちゃくちゃドキドキしちゃって声が出てこない……っ!

「はい、おねえちゃんはおっけーするのー!」

 展開が早いですね!?

「う、うれしいです……プロポーズ……ありがとうございます。私も一目見た時から……王子様のことが好きでした」

 やだなにこれ恥ずかしいっ!
 でもシャロットは満足そうにニコニコしてる。

「じゃあ、つぎはダンスです!」
「ダ、ダンス……って、あの、踊るの?」
「うんっ! 王子さまとおきさきさまがおどらなきゃ、ぶどうかいじゃないでしょ?」
「もうお妃になってるの!?」

 流れるような進行に、私の心の準備がまったく追いつかない。

「はい、もっとちかづいてー。ほっぺがくっつくくらい!」

 シャロットには普通かもしれないけど!
 そんな簡単な距離感じゃないから!

 でも、イシドール様は静かに私の前に立ち、手を差し出してくる。

「手を」
「ぁ……、はい……」

 ほんの一瞬、指が触れ合っただけで、心臓が跳ね上がった。
 イシドール様の手が、腰にそっと添えられて──

「……震えているのか?」
「震えてません……!」
「大丈夫だ。俺も少し、緊張している」

 嘘だ。そんな顔じゃない。
 いつもみたいに、落ち着いていて、でもちょっとだけ、意地悪そうな目をしてる。

 やだ、見ないで……それ以上、優しくしないで……。

 でも、視線を逸らそうとしたら、今度は耳元に声が落ちてくる。
 簡単なボックスステップが踏まれて、私たちは踊る。
 どうしよう、もう……死ぬ。

「じゃあつぎはー! けっこんしきごっこー!」

 早い早い!
 もうちょっと長くてもよかったかもー!!

「あの、シャロット? もうお妃になってるんだから、結婚式ごっこはいらないんじゃないかなー?」
「えー!!」

 ぶうっとぷくぷくほっぺを膨らませて、口を尖らせるシャロット。
 困った、まだやる気? と思っていたら、家礼のエミリオが現れた。

「お嬢様。おやつの時間でございます」
「わ、たべるぅ!」

 ぱたぱたっと部屋を出ていく小さな背中。
 ナイスタイミングだわ。さすが若き優秀な家礼エミリオ。
 あのままだったら、結婚式だからってキスを要求されてたかもしれないもの!
 エミリオは当然のようにスッと立ち去って言って、私はようやく大きな息を吐いた。

「……助かった。なんだかもう、心がもたないわ」
「そんなに疲れたか?」

 微笑するイシドール様のお顔が……甘い。

「はい……もう、体が熱くなってしまって」

 私が苦笑すると、イシドール様が、ゆっくりとこちらに歩み寄る。

「レディア。今、シャロットはいない」
「はい、だから少し休憩を……」

 言いかけた私の言葉が、イシドール様の声にかき消される。

「……続きをしても、問題はない」
「……っ」

 どういう意味ですか……っ

 イシドール様が近づいてくる。逃げようと腰を引くと、後ろにはソファの肘掛け。
 逃げ場なんて、最初からなかった……!?

「ほんの少し触れただけで、震えていた。……かわいかった」
「そ、それはっ……っ」
「もう少し寄ったら、どんな声を出すのか──確かめたくなってしまう」

 低い声が、耳のすぐそばで囁かれる。
 息がかかるほど近くて、私の鼓動が速くなるのが伝わってしまいそう……っ。

「レディア……口づけは、演技の範囲に入るのではないか?」
「……っ、な……に、を……」

 演技なら、口付けしてもいいって思ってらっしゃる!?
 そりゃ、私は昨日、拒んでしまったけど……
 え、演技ならオッケー? 結婚式ごっこをあのまま続けてたら……確かに、してたかもしれないけど……
 で、でも、ええぇぇぇええ?

「君が逃げないなら、俺は、今すぐ答えをもらいにいこう」

 イシドール様の指が、私の顎にそっと触れる。
 目を逸らそうとしても、捕まえられて、熱い視線から逃げられない。

「……今だけでもいい。妃のすべてを、知りたい」

 妃……そうだ、私は妃で、イシドール様は王子様……
 “レディア”としてのキスじゃなければ……それも、アリ?

 その言葉の熱が、肌のすぐそばに触れていた。

 手は添えられているだけ。
 だけど、逃げるには距離が近すぎる。

 迫ってくる、“王子様”。

 こんなの、拒めるわけ……ない。
 イシドール様の情熱が、私の肌を焦しそうなほど熱くて。

「イ、イシドール様……」

 情けないくらい弱くて、かすれた声で名前を呼ぶと、彼の指先がそっと動いた。
 けれどその瞬間、ふいにドアの向こうから声が──

「パパー! おねえちゃーん! シャル、クッキーたべていーい!?」
「……っ!」

 私はびくっと肩を震わせ、彼の腕からすり抜けるように立ち上がる。
 まるで悪いことをしていたみたいに、慌てて距離を取った。

「食べていいわよ、シャル! ちゃんとミルクも飲んでね!」

 声が裏返ってる。顔はたぶん、めちゃくちゃ赤い。

 後ろを振り向けないまま、胸に手を当てて、乱れた息を整えようとした。
 ……だけど、無理。

 心臓が、ばくばくと跳ねてるんだもの。
 さっきまでの空気が、まだ体に残っていて。
 イシドール様の言葉が、指が、熱が、全部消えてくれない。

 何もなかったのに。
 私の体は、恋をした少女のように、ふわふわと浮いていて。

 ああ、どうしよう……これは、きっと、夢にも出ちゃうやつだわ……っ

 そんなふうに思った瞬間、背中からふわりと、彼の低い声が追いかけてくる。

「……残念」

 残念って、残念ってなんですか。

 振り向いた先のイシドール様は、まるで何事もなかったように微笑んでる。
 人をこんなにドキドキさせておいて、涼しそうに。

「仕事に戻る。シャルを頼む」

 それだけ言うと、いつもの背中で部屋を出ていった。
 ドアが、静かに閉まる。

 部屋に残されたのは、クッションとお人形と、ぬくもりの余韻。
 そして、私。

 あの距離、あの声音、あの手の熱。
 ひとつずつ思い出すたびに、肌の奥から何かがじわりとこみ上げてくる。
 火照りなのか、恥ずかしさなのか、それとも……もっと別の、どうしようもない想いなのか。

 ずるいわよ、あんなのー!

 何事もなかったみたいに振る舞って、あんな目で笑って。
 私だけ、ひとり置いてけぼりみたいに、まだぐらぐらしてるのに。

 そのくせ、あの言葉が耳から離れない。

『……残念』

 まるで、続きを望むように。
 まるで、私の中の期待に、気づいていたかのように。

 ……やだ、もう。
 本当に、ちょっと意地悪な王子様だった。

 頬に手を当てると、指先よりも熱くなっていて。
 誰も見ていないのに、いたたまれない気持ちになって、私は両手で顔を隠した。

 胸が、熱い。
 でも──甘い……。

 私がまだ立ち尽くしている部屋に、雨の音が静かに降っていた。


11.ストロベリー侯爵、焦る。
コメント全3件
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長岡更紗
2025年05月25日 07:32
◆雪乃さん

レディアも可愛い、わーーい、嬉しい♡
イシドールは、楽しんでますねー( *´艸`)


◆彼方

あっという間に結婚まで!w
ストロベリー全開の侯爵様よ!( *´艸`)
遥彼方
2025年05月25日 07:06
ごっこの展開の早さよw
あっまーーーー!!
予想以上にストロベリー侯爵♡
名木雪乃
2025年05月24日 23:21
激甘ですね。
シャルも可愛いけれど、レディアも可愛い。
イシドールさま、楽しそう♡