16.ストロベリー侯爵、幸せにんじんを食べる。
2025年05月28日 (水) 06:08
これまでのお話
01.恐怖侯爵と激かわ娘。
02.恐怖侯爵はなにかを隠してる
03.恐怖侯爵と地下からの声
04.恐怖侯爵様の、愛娘と宝物。
05.恐怖侯爵に告ぐ。
06.恐怖侯爵と地下室の謎。
07.恐怖侯爵様の思惑がわからない。
08.恐怖侯爵様、告白する。
09.恐怖侯爵、ストロベリー侯爵になる。
10.ストロベリー侯爵は、意地悪な王子様。
11.ストロベリー侯爵、焦る。
12.ストロベリー侯爵、真実を告げる。
13.ストロベリー侯爵は甘えたい。
14.ストロベリー侯爵、私を溶かす。
15.ストロベリー侯爵、脱ぐ。


恐怖侯爵の後妻になりました。君を愛することはないと言ったのは、前妻を忘れられないからでしょうか。彼女が消えたのは、まさかあなたが……?

 
16.ストロベリー侯爵、幸せにんじんを食べる。

 熱もすっかり引いてふらつくこともなくなって、それから一週間後。
「約束だからな」ってイシドール様が言ってくれて、私たちは北西の山沿いにある温泉町、ロナヴェルにやってきた。
 澄んだ空気と揺れる草原、シャロットのはしゃぐ声。ああ、ほんとうに来られてよかった。

 エルブランシュの館という宿泊施設に着いて、最初の晩餐。
 こんがり焼けたチーズの香りが鼻をくすぐって、シャルは「わあっ」って目を輝かせた。
 いつものお屋敷の食堂と違って、木の壁、揺れるランタン、丸テーブルに並ぶ素朴なご馳走。それがもう、全部シャルには新鮮だったみたい。私だって嬉しくなる。

「見て、シャロット。ほら、これ、にんじんのグラッセだって。お星さまの形してる」
「……あっ!」

 ぱあっと顔が明るくなった。私が小皿を差し出すと、シャルはちょこんと椅子に座って、にんじんをじっと見る。でも──その瞳が、うっすら潤んだ。

「……これ、ママが好きだったにんじんだ」

 その言葉に、胸の奥がきゅうっとなる。
 イシドール様が一瞬、手を止めたのがわかった。私は何か言わなきゃって思ったけど。その前にシャロットがイシドール様へ、きらりとした目を向ける。

「ね、そうだよね! パパ!」
「──ああ、そうだった」

 イシドール様が肯定すると、シャロットはニパッと笑う。
 本当の親子三人の、思い出。
 微笑ましい話なのに……なぜか、私の胸は痛い。
 私には、入り込めない壁があるような気がして。

 一瞬喜んでたシャロットだけど、彼女はすぐに肩を落とした。

「“しあわせにんじん”……って、ママ、いってた。これたべると、かならずいいことあるって」

 シャロットは“しあわせにんじん”をじっと見つめて、ぎゅっと唇を噛んだ。

 母親と過ごした日々を、シャロットは本当によく覚えてる。
 だからこそ、駆け落ちして消えてしまったことが……苦しさに変わっている。
 “ママ”のことが、大好きだったからこそ。

 私は黙って、小さなフォークを手にとった。
 にんじんをひとつ、自分のお皿にのせて。

「じゃあ“幸せにんじん”、一緒に食べましょ! そうしたら、絶対にいいことあるわ!」
「レディアおねえちゃん……ママのいったこと、ほんとだとおもう?」

 唯一絶対だった母親の存在が、その一言で揺らいでいるのがわかった。
 母親への信頼が、真実を知ることで不安定になってしまったんだって。

「シャロット。“ママ”のことは、あなたが一番わかってるはずよ」
「でも、ママは……シャルをおいて……っ」

 そう言うと、シャロットは目を伏せた。
 口をぎゅっと結んで、黙ってにんじんを見つめている。
 私はそっと手を伸ばして、シャロットの指先に自分の手を添えた。

「シャロット。あなたはたくさんママのことを私に教えてくれたわよね。ジャスミンの香りが好きだったことや、宝物はなくなっても心の中に残るって言ってくれたこと。他にもたーっくさん覚えてるでしょう?」
「……うん」
「それ、全部嘘だったと思う?」

 シャロットはハッとして首を振る。

「うそじゃない……ママはそんなうそ、いわないもん!」

 少し元気になったシャロットに、私は笑顔を向けた。

「だったら、それでいいの。あなたの中のママが、本当にそうだったって、シャロット自身が信じているなら──それがママの本当の姿よ」

 シャロットは、じっと私を見つめた。
 その瞳に、小さな涙の粒が揺れている。

「シャルが覚えてるママは、やさしくて、いい匂いがして、シャルのこと、いっぱいだいすきって言ってくれた……」
「うん。シャルのこと、大事に思ってたんだね」
「……じゃあ、ママの言った“しあわせにんじん”も、ほんとだよね? これ食べたら、いいこと、あるかな……」
「あるわ。だって今日は、こうしてみんなで一緒に晩ごはんを食べられてる。ほら、もう“いいこと”起きてるでしょう?」

 そう言うと、シャロットの目がふっと丸くなった。
 それからふにゃって、泣き笑いみたいな、あたたかい笑顔を見せてくれる。

「……うんっ!」

 それからぱくっと、“しあわせにんじん”を口に運んで、
 もぐもぐと一口、しっかり噛んで──

「……おいしいっ!」

 シャロットが、笑った。
 空が晴れたみたいに、明るい笑顔で。
 本当に、天使なのよね。

 私がイシドール様へと視線を送ると、その目はそっとやさしく細められた。

「……ありがとう、レディア。君がいてくれて、本当によかった」

 その声に、その眼差しに、私の胸の奥がじんとあたたかくなる。

 私もイシドール様も“しあわせにんじん”を食べて。
 他にもたくさん美味しいものを食べて、みんなで笑って。
 やっぱり“しあわせにんじん”の効果は抜群だって、やっぱり笑った。




 食事の後は、私はシャロットと一緒に温泉に入った。
 お風呂を出ると疲れちゃったのか、こてんって眠っちゃって。
 その寝顔は、本当に天使みたい。

 というか、宿は三人一室なのよね……。
 イシドール様はまだお風呂から戻ってきていないけど。
 シャロットが、せっかくの旅行だから、三人一緒のお部屋がいいって無茶振りしたせい。
 イシドール様が娘のわがままを聞かないはずもなく、同じ部屋になってしまった。

 でも、イシドール様? 困った顔の中にも、ちょっと嬉しそうな顔を覗かせていたのは、気のせいかしら?
 シャロットは早々に寝ちゃったし、なんだか緊張しちゃうんだけど……。

 髪を乾かしながら待っていたら、イシドール様が戻ってきた。

「すまない、ゆっくり入ってきてしまった」
「いえ……あの、か、構いません……」
「シャロットは……寝てしまったか。はしゃいでいたしな」

 ふっと笑って、髪をかき上げるイシドール様。

 って、色気!!
 乾ききっていない髪、簡素な夜着……め、目のやりどころに困っちゃうやつ……!

「レディア……」
「は、はい?」
「少し、目のやり場に困るな」

 同じことを思ってたんですか!?
 ネグリジェではないですけど……それでも、お目汚しだったかも。

「すみません、お見苦しい格好を……」
「見苦しいとは言っていない。むしろ……いいから困っている」

 ちょ、何を言っているんですか!?
 私なんて背も低くて、出るところはお粗末で……あ、でも、侯爵家に来てから、少し……マシになってきたかも?
 食べ物のせいかな。って、もしかして太っただけ!?
 だってシャロットったら、毎日おやつをたくさん食べさせてくれるんだもの!

「だ、ダイエットします!!」
「誰もそんなことは──」
「ん、んん〜っ」

 ベッドで寝ていたシャロットが、寝返りをうつ。
 私は慌てて自分の口を押さえた。
 もう、私のばかっ。

「少し出よう」

 そう言ってイシドール様は、上着を取り出して私の肩にかけてくれた。
 イシドール様はそのままなんですね? ご自分の魅力と色気をわかってないですね?

「ママ……」

 その言葉にドキッとして振り向くと、シャロットがすうすう眠っていた。
 寝言……夢の中まで、母親のことを……。
 その顔は寂しそうで。目尻からふっと涙が流れている。

「シャロット……」

 私はそっと優しく、その涙を指で拭く。

「レディア……君がシャロットのために心を痛めてくれるのはありがたいが……俺は、君の笑顔が見たい」
「……はい」

 せっかくイシドール様が連れてきてくれた旅行なんだから、悲しい顔をしているわけにはいかない。
 扉前で待つイシドール様の元へ行くと、私たちは宿を出て、素敵な庭をゆっくりと歩き始めた。

 夜の庭はいくつものランプに照らされていて、すごく幻想的。

「レディア、足元に気をつけて」
「はい、大丈夫です」

 こんな夜に外に出ているには、私たちだけ。
 この幻想的な光景を二人だけで見るとか、なんて贅沢。

「レディア、空を」
「空?」

 イシドール様の視線を追うように見上げると、そこには細い三日月と、降ってきそうなほどの星の数々。

「わぁ……」
「美しいな。まるで君のようだ」
「はっ……え?」

 思わずイシドール様を見たその瞬間──

「きゃっ!」

 足元の小石にバランスを崩して、体がふらりと傾く。
 けれど、倒れるより早く、すっと伸びた腕が私を支えてくれた。

「危ない」

 低く静かな声とともに、しっかりと抱きとめられる。
 息がかかるほどの距離、胸に手が触れて──

「……イシドール様……」

 見上げた先にあるその瞳は、夜の星より深く、私の心を見透かしているみたいで。

「……だから言ったろ。足元に気をつけてって」
「も、もう……変なこと言うから、びっくりしたんです……っ」

 どうしよう、顔が熱い。
 というか……顔が、近い。

 体温と視線と、夜風。すべてが近すぎて、胸の鼓動が止まらない。

「す、すみませ──」

 慌てて離れようとすると、逆にぐいっと引き寄せられた。

「君は、俺を挑発するのがうますぎないか?」

 ちょ、挑発なんてしてません……っ!
 こんなに強く抱きしめられて、全身が密着して──。
 身体中が、痺れたようになって。
 どうしてなんだろう。泣きそうになってしまうのは……。

「無事でよかった──……」

 さらに強く抱きしめられる体。
 切なさが含まれた言葉は、私の胸をぎゅっと握った。

「大袈裟です。躓いたくらいで」
「違うんだ」
「違う?」

 イシドール様の腕の中で首を傾げると、微かに体を震わせているのが伝わってきた。

「……怖かった。あの日、君が目を覚まさなかったらと思うと……今でも、ぞっとする」
「ふふ、親子して大袈裟なんですから。ただの熱中症ですよ?」
「人は、簡単に死ぬ」

 その言葉に、私はハッとした。
 イシドール様は、若くしてご両親を事故で亡くされている。
 その怖さを、誰より知っているんだ。
 私のバカ。軽率な発言だった。
 震えるイシドール様へ、私は自ら手を回して抱きしめる。
 密着度が、さらに上がる。

「私は、イシドール様を置いて消えたりしません。どこにも……絶対に」
「レディア……」

 はぁ、と熱い吐息が私に耳にかかる。
 なんだか……まずい?

「愛している」
「えと……私も、愛して……います」

 イシドール様の手が緩められたかと思うと、その甘い、甘すぎるお顔が私の目の前にやってきて……
 そんな顔されたら、もう……

「イ、イシドール様……」
「もう我慢できない」

 少しずつ、ゆっくり、ゆっくり迫ってきて……
 私もイシドール様が大好き。したいって、身体中が叫んでる。
 だけど──

「ごめんなさいっ」

 私は力の限り、イシドール様を押し返した。
 その顔がちょっと傷ついたように見えて、私の胸も苦しくなる。

「……俺は、書類上だけではなく、気持ちもすでに夫婦だと思っているのだが」
「……っ、私だって……同じです」

 イシドール様の手がピクリと動いて、けど理性を保つようにグッと握りしめる。
 本能を抑えつけてくれたイシドール様に、私は感謝した。

「でも、シャロットは……まだ私たちが夫婦だってことを知らないんです。あの子が、私を母だと思ってない……そんな状態で……私は、できませんっ」

 シャロットにとってパパはイシドール様で、その奥さんは“ママ”。私じゃない。
 一度の口付けであったとしても、きっと私は後ろめたさで、まっすぐシャロットを見られなくなってしまうから。
 シャロットには、誠実でいたいから。

 私に言葉に、イシドール様はふっと笑った。

「君らしいな。俺も少し暴走してしまった。すまない」
「いえ、私もその……ちょっとだけ、その気になってしまいましたから……」
「本当か?」

 え、なんですか、その嬉しそうな顔。しませんよ!?

「今日のところは君の気持ちを立てて下がるが……次はわからない。覚悟をしておいてくれ」

 する気満々じゃないですか!!?
 そんな風に、いきなり狼に変身するイシドール様も……好きですけど。

「……シャロットに君と夫婦になっていることを言えなくて……すまなく思っている」

 一転して謝罪をするイシドール様。
 最初、結婚していることを言わなかったのは、私のためでもあった。
 私の実家の思惑から、助け出してくれて……そして自由にさせてくれるつもりだったから。
 今は、私たちの気持ちは通じ合ってるけど……シャロットの気持ちを考えると、『もうすでに夫婦なんだ』って言えないでいる。

『シャルのママは、ひとりだけだもん。いなくなっちゃったけど……ママはママ』

 その言葉を思い出すと、大人の都合でいきなり母親を変えられないって、そう思うから。
 イシドール様も、きっと同じ気持ちだ。だから責めるつもりなんて毛頭ない。

「大丈夫です。シャロットの気持ちが落ち着くまで、私は待てますから」
「……俺が待てるかどうか、怪しいんだが」

 イシドール様を見上げると、目を細めてふっと笑った。
 からかってますね?
 そんな色気のある目で……反則ですよ……?
 私に心臓の鼓動をこれ以上早めるの、やめてください。ホントに。

「戻るか」
「はい」

 そう言うと、イシドール様はしれっと私の手を握った。
 指を交差させて──いわゆる、“恋人繋ぎ”で。

「い、イシドール様?」
「これくらいは許してくれ。本当はもっとしたい」
「あ、えっと、じゃあ……ゆ、許しますっ」

 私の言葉に、ストロベリー侯爵はにこっと笑顔を見せて。

 んあーー! なんですか! イシドール様も天使の笑顔じゃないですか!!
 親子して、私に心臓を止める気ですか!?

 ばっくんばっくん心臓の音を立てながら、なんとか部屋に戻ってくる。

 そこには、まさに天使に寝顔のシャロットの姿。

「ん……パパ……レディ……おね、ちゃ……」

 さっきと違って、ふわっとした笑顔で眠っていて。
 私もイシドール様も、目を見合わせて微笑む。

 幸せにんじんの効果、あったねって。
 私は笑顔になった。


17.ストロベリー侯爵、元妻を見つける。
コメント全4件
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長岡更紗
2025年05月29日 15:13
◆雪乃さん

喜びますよね!
給食のカレーに、たまに星のニンジンが入っているらしく、みんなそれを『幸せにんじん』って言ってるらしいです( *´艸`)
幸せにんじんに当たった日は、それだけで幸せそうな顔してます♡
そうやって給食の時間を楽しめるようにしてくれるのは、ありがたいですね〜。
私? やってません(おいw)

イシドールは暴走してますね……w
ギリギリ、ギリギリで踏みとどまってます!w
名木雪乃
2025年05月29日 04:31
星型の野菜とか、子どもは喜びますよね。
シャルちゃんは愛情をかけて育てられたということがわかります。ラヴィーナさんも、きっといい人のはず。
イシドールさまは、暴走気味♡
長岡更紗
2025年05月28日 19:18
◆彼方

待ての連続www
ちょっと(かなり?w)可哀想よね( *´艸`)
なぜ幸せにんじんが出て来たか、っていうのもポイントなの♡
遥彼方
2025年05月28日 19:05
待ての連続(笑)がんば!w
幸せにんじん良かったね~。