18.ストロベリー侯爵の、前妻に会う。
2025年05月29日 (木) 06:05
これまでのお話
01.恐怖侯爵と激かわ娘。
02.恐怖侯爵はなにかを隠してる
03.恐怖侯爵と地下からの声
04.恐怖侯爵様の、愛娘と宝物。
05.恐怖侯爵に告ぐ。
06.恐怖侯爵と地下室の謎。
07.恐怖侯爵様の思惑がわからない。
08.恐怖侯爵様、告白する。
09.恐怖侯爵、ストロベリー侯爵になる。
10.ストロベリー侯爵は、意地悪な王子様。
11.ストロベリー侯爵、焦る。
12.ストロベリー侯爵、真実を告げる。
13.ストロベリー侯爵は甘えたい。
14.ストロベリー侯爵、私を溶かす。
15.ストロベリー侯爵、脱ぐ。
16.ストロベリー侯爵、幸せにんじんを食べる。
17.ストロベリー侯爵、元妻を見つける。
恐怖侯爵の後妻になりました。君を愛することはないと言ったのは、前妻を忘れられないからでしょうか。彼女が消えたのは、まさかあなたが……?
18.ストロベリー侯爵の、前妻に会う。
落ち着きを取り戻した私は、さっきの調査報告を思い出して考えを巡らせた。
「あの、ラヴィーナさんですけど……私が会って話をしてこようと思います」
「なら、俺も行こう」
当然のようにそう言ったイシドール様に、私は首を横に振った。
「いえ……イシドール様は行かない方がいいです。会った瞬間、連れ戻されると思われるかも知れませんし……」
もし逃げられたら、また探す羽目になってしまう。それだけは避けたい。ラヴィーナさんも、また別の土地に逃げるのは大変だろうし。
「それに、同性の私の方が、話せることもあると思うんです」
イシドール様はしばらく唸っていたけど、最終的に頷いてくれた。ただし、ちゃんと護衛と侍女を連れていくことを条件にして。
私が出かけると言うとシャロットは着いてきたがったけど、なんとか屋敷でお留守番をしてもらえた。
そうして、私はまたあの宿へとやってきた。
客として部屋を取り、“サリア”さんを呼び出してもらう。
裏方の彼女は、呼び出され不思議そうな顔をしたまま、ロビーに座る私の元へやってきた。
「お客様、私がサリアでございます。お呼びでしょうか」
私は立ち上がると、カーテシーを披露する。
「夏の終わりにここを利用させていただいた、レディアと申します。あの時は、素敵な石鹸のプレゼントをありがとうございました」
「まぁ、あの時のお客様!」
花が咲いたみたいにパッと笑うその表情は、本当にシャロットそっくりだ。
どうして気づかなかったんだろう。
「宿のご主人に承諾はとってあります。二人でお話をさせていただきたいんです。どうぞ、私がとった部屋へ」
「……」
ラヴィーナさんは訝しみながらも、護衛と侍女を従えた私を見て、どうしようもないと判断したんだろう。
大人しく部屋へと入ってくれた。
外では護衛騎士が扉を守り、中では侍女が窓を塞ぐように立ってくれる。
「わたくし、何か粗相をしてしまったのでしょうか」
育ちの良い話し方。服装こそ働く人のそれだけど、品の良さが滲み出ている。
「そんなじゃありません。紹介が遅れました。私、レディアと申します」
「レディア……様? 御貴族でいらっしゃいますわよね?」
「はい、元子爵令嬢です。元伯爵令嬢の、ラヴィーナさん」
「ッ!!」
ラヴィーナさんの顔が一瞬だけ引き攣った。
だけどそこはさすが元伯爵令嬢。すぐにふんわりとした笑顔の仮面で顔を隠した。
「……どんなご用件か、伺いますわ」
「薄々勘付いていらっしゃるのでは?」
私がそう言うと、ラヴィーナさんは、小さく首を横に振った。
「いいえ、まったく」
嘘。そんなはずがない。
でも、それが彼女の防御なのかもしれない。私だって同じ立場なら、そうする。
「……実は、あなたの娘さんのことで来たんです」
そう告げると、ラヴィーナさんのまなざしが、ほんのわずかに揺れた。
「シャロットの……」
思わずと言ったか感じで言葉が漏れた。
でも、表情は変わらない。目の奥にある何かを、必死に隠しているのがわかる。
「はい。シャロットは今、とても不安定な状態にあります」
私は深く息を吸い、真正面からラヴィーナさんを見た。
「あなたがいなくなったことを、シャロットは“死んだ”と聞かされていました。でも……二ヶ月前の話になります。……“駆け落ちだった”と知られてしまって……」
ラヴィーナさんの指先が、ぎゅっと膝を掴んだ。
「それがどういう意味を持つのか、ご想像いただけますか?」
静かに問いかけながら、私は続ける。
「母親が亡くなったなら、まだ悲しみに整理をつけることができました。でも、“生きている”と知ってしまった今、彼女の心は迷子のままです」
言葉が重く、苦しかった。だけど言わなきゃ。シャロットのために。
「それでも彼女は、あなたのことを“ママ”と呼んでいます。……今でも、大好きなんです。ずっと、慕っているんです」
ラヴィーナさんは目を伏せた。膝に落ちた影に、何かを沈めるように。
「もし、もしも……あなたがシャロットを捨てたわけではないなら」
私の声が震える。これは、シャロットから託されたものじゃない。……私自身の、願い。
「会ってあげてください。どうか、彼女に伝えてあげてください。自分は捨てられたんじゃないって……」
ラヴィーナさんの肩が、ゆっくりと、でも確かに震え始める。
「……捨てたつもりなんて、なかった……。置いていくしか、なかったのよ……!」
絞り出すような声で、彼女は言った。俯いた顔が、涙に濡れていた。
「どうして……どうして、置いていくしかなかったんですか?」
私は、意図せず問いを重ねていた。知りたいという気持ちが、抑えきれない。
「……話せる範囲で、教えていただけますか。あなたがなぜ……あの子を残して、去るしかなかったのか」
それがどんなに非情に見えても。
理由を知らずに、ただ責めるのは、残酷なことだから。
ラヴィーナさんは、涙を拭いながら、ぽつりぽつりと語り始めた。
「アデル……っていうんです。庭師の息子だった人。私とは、幼い頃から一緒に育ったの。身分は違ったけど、よく話したし……お互い、好きだった。でも……それは恋にしてはいけない気持ちだった。わかっていたのよ、ちゃんと」
私は息を呑む。話の端々に、覚悟と諦めの匂いが滲んでる。
「イシドール様に求婚されたとき、私は……それを幸運だと思おうとしたの。彼は紳士で、優しくて、完璧な人だったから。アデルのことなんて、忘れて……」
ラヴィーナさんの目が宙をさまよう。何かを追いかけるように。
「結婚して、シャロットも生まれて……私は、“幸せだ”って思い込もうとしていたのよ。でも……どうしても、どうしても、あの人に恋ができなかったの。愛そうとしても、胸が熱くならなかった。どこか、冷めてしまってて……」
私の胸が、ぎゅっと痛む。
イシドール様が、一目惚れした彼女に愛されていなかった、その事実に。
「それで、……彼が現れたんですか?」
「ええ……あの広い庭に新しく庭師を雇ったと聞いて──まさかと思ったら、アデルだったの。偶然だったのよ、本当に。なのに……止まらなかった。再会したとき、あの頃の気持ちが……全部、戻ってきてしまって」
ラヴィーナさんの声はかすれ、震えていた。
「いけないと思った。どうにかして理性を保とうとした。でも……一度だけって……それでお互いにすべてを忘れようって……なのに、その一度で……っ」
それで、ラヴィーナさんは……妊娠して、駆け落ちを選んだんだ。
それだけなら誰だって責めるだろう。でも──
それがどれほどの痛みだったか、今の震える声に、すべてが滲んでいた。
「本当は……本当は、一緒にいたかった。毎日泣いたわ。あの子に、会いたくて、恋しくて……でも、置いて行くしかなかった。生活がどうなるかもわからないのに、連れて行けない。それにシャルは侯爵家の娘だもの……連れて行けば、誘拐として捜査されてしまう……」
震える手で顔を覆いながら、ラヴィーナさんは言った。
私は、ただ黙って見つめていた。
後悔の色をたたえたそのまなざしに、彼女の心が透けている。ただひたすらに、子を想う“母親”の姿が、そこにあった。
シャロットを置いて去った女、じゃない。
置かざるを得なかった、泣きながら娘を想い続けた、一人の母。
ラヴィーナさんの美しい顔に、涙が伝っていく。
私は、思わず手を握っていた。ラヴィーナさんの、悔しさと、哀しみと、切実な愛が伝わってきて、胸がいっぱいになる。
溢れる涙を拭おうともせず、彼女は顔を上げて私を見た。
「今でも、あの子を迎えに行きたいって思ってる。でも……許されないって、わかってる。誰も、許してくれないって……」
「シャロットは……あなたを、許すかもしれません」
母である彼女に、私は言わずにはいられなかった。
「だって、あの子は……“ママに会いたい”って、泣いていたんですから」
ラヴィーナさんは、目を伏せて泣いていた。長く、張り詰めていたものが崩れるように。
私には、裁く権利も、赦す権利もない。けれど、この人の言葉は、きっとシャロットの“心”に届くはずって、そう信じた。
「……よければ、侯爵家に来ていただけませんか?」
ぴくりと肩が揺れる。
「……そんなこと、許されるはずがないわ。私が、あの屋敷に足を踏み入れるなんて……」
「イシドール様も、それを望んでいます」
思ったより、強い声が出た。
でも、私は譲る気なんてなかった。
イシドール様が、どれだけラヴィーナさんのことを恨まずにいたか。シャロットのために、どれだけ真剣に向き合ってきたか。私は、知ってるから。
「イシドール様は、ラヴィーナさんにもアデルさんにも、罰を与える気はありません。誰も責めたりしません」
ラヴィーナさんは、ぎゅっと口元を押さえた。
震える肩越しに、かすれた声が聞こえる。
「……あなた、まさか……イシドール様の……」
私は、静かに頷いた。
「はい。……今の、妻です」
ほんの一瞬、空気が凍った気がした。
ラヴィーナさんは、何かを言いかけて、そして唇を噛む。
「……そう、ですか……」
その声音には、嫉妬や悔しさではない、もっと複雑な、苦い感情。
それでも彼女は、きちんと視線を私に向けてくれた。
「シャル……シャロットは……あなたのことを?」
「……知りません。結婚のことは、まだ話していません」
一拍おいて、私は言葉を継いだ。
「今のあの子には、きっと重すぎる話です。だから、落ち着くまで……気づかれないようにしています」
ラヴィーナさんの目が、また潤んだ。
「……シャルのことを……考えてくださって、ありがとうございます」
言葉が震えていた。彼女の目には、深い感謝と、安心がにじんでいて。
私はもう一度、問いかける。
「侯爵家に、来ていただけますか?」
しばらく、ラヴィーナさんは何も言わなかった。
しばらく待っていると、彼女はようやく決意したように顔を上げた。
「……行かせていただきます」
安堵の息が漏れた。
よかった……だって、やっぱりシャロットは愛されていた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ラヴィーナさん……ありがとうございます。……本当に……」
「やめてください……お礼を言うのは、私の方……!」
彼女は、泣きながら明るい笑顔を見せていた。
「会いにいくのは、一週間後のあの子の誕生日でも構いませんか?」
「はい、もちろん」
私が承諾すると、ラヴィーナさんはほっと息を漏らす。
「あの子の誕生日には休みをとって、プレゼントを買いに行こうと思っていたんです……渡せないってわかっていても……」
「……シャロット、それを知ったら、きっと喜びます」
天使のように微笑んだ彼女は、話が終わると仕事へと戻っていった。
外はすっかり夕闇に染まっていて、窓から見える幻想的な庭の光が、まるで祝福のように揺れている。
シャロットは、きっと喜ぶ。
あれほど会いたがっていた“ママ”に会えるんだもの。
どんなに嬉しいだろう。どんな顔をするだろう。
でも、同時に私は──ふと、胸が締めつけられるような思いを抱いていた。
シャロットが、「ママと一緒に暮らしたい」と言い出したら。
私よりも、ラヴィーナさんの手を取ってしまったら。
それは当然のこと。血の繋がった母娘なんだもの。
だけど、私は……。
それに、イシドール様は……。
気づけば、胸に手を当てていた。
鼓動が早い。恐怖が襲いかかるように。
夜風が窓を打って、私は目を閉じた。
一週間後は、どういう結末を迎えるのか。
どういう結果でも、きっと、大きな転機になる。
私はそっと、月を見上げていた。
19.ストロベリー侯爵、決意する。
会ってほしいけど、連れていかれるのは嫌だっていう複雑な心境(ノД`)
でも頑張った!
ありがとう!!