2012年04月03日 (火) 15:03
エイプリルフールに投稿した作品です。本作にあげたままにするのは躊躇われる内容だったため、こちらのみで公開しておきます。
今や大陸で最大勢力を誇る魏の領土は、広大の一言に尽きる。
当然、その頂点に立つ覇王のお膝元、及びその居城もまた相応に立派なものであった。
どこまでも続いているように見える廊下を、洗顔用の湯桶と布巾を抱えて小走りに急いでいる人物がいた。
その足さばきが、とある部屋の手前にある階段で止まる。
「すぅー、はぁー」
微かに暴れる心臓を鎮めるために一度深呼吸。
走っていたためだけでなく、詠にとってはハセヲの部屋を訪れること自体が、これまでにはなかった緊張を強いられるがゆえの事前策である。
仮に代わってやると言われようと、譲るつもりはなかったけれど。
これは、今はお勤めを果たすことのできない親友の代役を任された、自分だけの特権なのだから。
コツコツと階段を上っていくと、ハセヲの部屋から物音が聞こえてきた。
独り言にしては騒々しすぎるほどだ。
「―――また、か」
もはや、詠は軽く諦めた感じで軽く息を吐いた。
これも最近は頻繁になっている出来事で、今さら驚くほどのことでもなくなっている。
みな、”今までが今まで”だったために、歯止めが効かなくなっているのだろう。
ある意味、ハセヲの自業自得と言えるのかもしれない。
詠は、小さく咳払いした後、おもむろに扉をノックした。
「ご主人さま、お目覚めでしょうか?」
その瞬間、室内のざわめきがサッと治まる。
「―――ち、ちょっと待ってくれ詠! いま、起きるっ……から、よ!」
「失礼します」
泡をくったようにまくしたてるハセヲの言葉に混ざって、猫が窓から慌てて飛び出していくかのような物音が響いてきた。
以前の詠ならば、仮にも主であるハセヲの言葉に従い、許可が出るまで部屋に立ち入らなかっただろう。
しかし、詠は構わずに扉を開けてしまう。
とっさに鼻をついた匂いは、今さらだと割り切った。
なのだが―――
「……」
やはりというか、少し顔には不満が出ていたのかもしれない。
それをどう思ったのか、ハセヲは寝床から上半身だけを起こした状態で、妙な冷や汗をかきながら顔をヒクつかせていた。
寝おきによく見ていた仏頂面は見る影もなく、今は火照ったような―――少々気まずいような表情を浮かべている。
当てどなく伸ばしていた両手を、思い返したかのように寝乱れている髪にさし込み、もう片方を詠へと向けた。
「……おはよう」
「おはようございます、ご主人様」
お互いに笑い合ってはいるのだが、ものすごくぎこちない雰囲気のなか挨拶を交わす二人。
それを気にする様子を見せることなく、詠は持っていた湯桶を差し出した。
「お食事の用意はもう出来ているようです。着替えが済み次第お越しください」
「ああ、分かった」
「それと今日はいい天気ですので……ご主人様の閨もしっかり綺麗にしておかないといけませんね。”誰が来ても”大丈夫なように」
「………………」
ハセヲは、妙な圧力と敬語を崩すことのない詠にたじろいだかのように無言。
思い当たる節があるかのように、落ち着きなく視線が泳いでいる。
「では、失礼します。それと……朝からお盛んなのはどうかと愚考いたしますので、どうかご検討を―――風さま」
頭を下げて、詠は退出した。
途端に扉の向こうが再び騒がしくなる。
掛け布団に覆われていたハセヲの下半身に”不自然なふくらみ”があり、決定打として僅かに金髪が覗いていた(覗かせていたのかもしれない)ことなど、一瞬で見抜いていた。
また、ハセヲが視線を彷徨わせたとき、窓とそこから覗く景色に目を止めていたことも、詠は見逃さなかった。
状況的に、昨晩または今朝からハセヲと共にいたのは星と風で間違いないだろう。
こっちの気も知らないでと、ふつふつと沸いてくる苛立ちを足取りに込めながら進むことしばし。
ふと、立ち止まる。
(珍しいわね、こんなところで何してるのかしら?)
城中から集められ、まとめて洗われる洗濯物の入った籠が置かれている場所。
そこに稟の姿を見つけたのだ。
出すのが遅れた洗濯物を届けに来たようだった。
とはいえ、それならば侍女にでも頼めばいいものを、わざわざ自分で持ってくるのも不自然である。
一体どうしたのかと、思わず声をかけそうになった時のことだ。
「……え?」
一瞬見た限りでは、何をしているのか分からなかった。
洗濯物が濡れていたのか、稟は指先にとろりとした液体がついてしまった手を見つめている。
ただ、そのまま声をかけることを躊躇う何かを、今の稟は纏っていた。
汚れた指先を光にかざすように、稟は指先を頭上に掲げていく。
そこでゆっくりと手首を返すと、指に絡みついていた蜜が艶めかしい輝きを帯びた。
その様を見つめる稟の瞳に、とろみがかったような光がくすぶりだしていく。
「……はぁ、んぅ……」
気付けば、稟は熱にうなされたように滴り落ちる蜜に舌を這わせていた。
非現実じみた光景の中で、燃えるように真っ赤な舌が休みなく動く。
蜜の滴り落ちた関節のあたりから、包み込むように指を上下させている。
薄く閉じられている目は陶然としていて、吐息は遠目にも熱を帯びているのが分かるほどだった。
「っ!?」
稟が何を想ってあのようなことをしているのか察した詠は―――察することができてしまったがゆえに、自分までもが恥ずかしくなり、一目散でその場を後にした。
「月、入るわよ~」
「お疲れ、詠ちゃん」
「ああ、そのままでいいって。それでね……また聞かせてもらってもいい?」
「うん、どうぞ」
部屋を訪れるなり、詠は待ってましたとばかりに月に近づいていった。
寝床から起き上がろうとしていた月に声をかけ、その”膨らんでいるお腹”に耳をあてがう。
「相変わらず元気なもんよね。あ~あ可哀そうに。これじゃあ、アイツ似の男の子になっちゃうんじゃない? 月に似たなら、男でも女でも綺麗な子になっただろうに、さ」
「ふふ、私はどっちでもいいよ。ハセヲさんとの間に子どもができた―――それだけで私は十分幸せなんだ」
「あ~そう。全く……盛大に惚気てくれちゃってさ」
「……羨ましいんだ?」
「別にっ……そんなこと、ない……わ」
「……ふふ、これなら大丈夫そうだね」
ハセヲと月の間に子どもが出来たこと。
今では周知の事実となっていて、みな温かく見守っているが、事が発覚した時の波紋は凄まじいものだった。
語るのも恐ろしいほどの様相を呈した大騒動だったが、それも”ある一言”をもって急激な収束をみせる。
「ハセヲさん……私からもお願いします。どうか、みなさんの気持ちに応えてあげてください」
初めは受け入れることを拒み続けたハセヲだったが、ほかならぬ月からの頼みが決め手となってしまったのだ。
おかげで、連日に渡って男ならば羨ましいような恐ろしいような性活をハセヲは送っている。
今のところ懐妊は月だけであるが、そう遠くないうちに新たなおめでたが告げられるだろう。
何といっても、そのために華琳自らが城の一角に保育所めいた施設を建設し始めているほどであるし。
「詠ちゃんも早くハセヲさんの子どもができるといいね。そうしたら一緒に子育てができるんだよ! 大変なこともたくさんあるだろうけど、きっと楽しいだろうなぁ」
「それは……そうかもだけど。アイツはボクに構う暇なんてないわよ」
それが、正直な詠の気持ちだった。
わざわざ自分などに構わなくとも、積極的にハセヲに関わろうとする娘はたくさんいる。
事実、ハセヲも自分から動くことはほとんどないようだった。
ならば自分もそうすればいいだけの話なのだが、そもそもそれが出来ているならば、わざわざこんな風にうなだれることもないわけで。
(ハァ……求められたら拒みきれないアイツも大概だけど、自分の気持ちさえ満足に出しきれないボクだって馬鹿だよね)
軽く自己嫌悪に陥っていた詠の肩に、
「よう」
「っぎゃあ!?」
今まさに思い描いていた男の手がポンと置かれ、声が降ってきた。
そのせいで、色気のない悲鳴と共にその場から跳びあがってしまう詠。
「おお、相変わらず元気な奴だな。で、どうだ月。体調は問題ねぇのか?」
「はい、大丈夫です」
「そうか、ならいいんだ」
ハセヲは月の隣に腰を下ろし、優しげな微笑みを送りつつ、差し出された手に指を絡める。
―――このように、ハセヲは毎日かかさず月のもとを訪れているのだった。
かといって、その場で多くを語ることはないのだが―――何というか、目だけで通じあっている雰囲気を醸し出している二人。
きっと、お互いの波長がよく合っているのだろう。
(―――はいはい、ご馳走さまです)
これ以上はお邪魔でしかないと思った詠は、速やかにその場から退散した。
「―――ハセヲさん」
「……ああ」
その直後、月が祈るような視線をハセヲへと投げかける。
何を聞くまでもなく、その眼差しには理解の光が灯っていた。
* * * * *
「……………ハセヲの馬鹿」
すっかり夜もふけた道すがら、ボクは拗ねたようにボソッと呟いた。
自分でも制御できない感情がグルグルと胸の中で回っている。
どうすればコレを治せるかなんて解りきっているのに、ね。
でも、口から出るのはアイツへの罵倒の言葉。
八つ当たりなのはもちろん解ってるけど、せめてこの程度は甘えさせてくれてもいいと思う。
「本当……馬鹿だ、ボ「ひでぇな、おい」……えっ!?」
「よう」
「どうして……?」
自室の目の前まで来たところで、なぜかハセヲに声をかけられた。
先回りしてきたのか、ボクの部屋の扉にもたれかかっている。
なんで? 月の傍にいてあげないといけないじゃない!
「そんな顔すんな。これは月が……いや、違うな。それ以上に俺の想いでもあるんだ」
「え?」
その言葉と行動は同時だった。
ガシッと廊下の真ん中で抱きしめられてしまう。
幸い誰もいないから良かったようなものの……って、違う!?
何をいきなりコイツは!?
「はな……し、なさ、いよぉ……!」
「そんなに力は込めてねぇだろ。嫌なら振りほどけばいい」
確かにハセヲの言うとおりだったけど、それはとても無理な話だった。
身体が全く言うことをきいてくれない。
むしろ、もっと身体を密着させたいという衝動をこらえることで必死だったのだから。
「―――頼むからよく聞いてくれ。二度は言えねェから、よ」
「……何よ?」
仕方なく、ほんっと~うに仕方なく聞いてやることにする。
ボクの顔はすでに真っ赤になっている自覚があったけど、月明かりに照らされているコイツの顔も同じくらい真っ赤に見えたから。
「――――――」
「えっ!?」
本当に小さかったけれど、耳元で確かに囁かれたその言葉はボクの思考を完全に停止させた。
言葉の意味は解ったけど、感情が完全においてけぼりをくらっている。
おかげで自分でも訳が分からない言葉をモゴモゴ言ってた気がするけど……
「……………優しく、してよね」
何とかその言葉を絞り出せたこの時のボクは、過去を振り返ってみても間違いなく”最高の仕事”をしたと思う。
―――あとは語るのも恥ずかしい話なんだけど。
無茶苦茶緊張しているボクを、ハセヲはこれ以上ないくらいに優しく愛してくれた。
アイツだって余裕なさそうな顔をしているくせに、行動には不思議と迷いがないのだ。
時間をかけて身体に触れられるたびに、いとおしむように口づけをされるたびに、恐ろしいくらい心が昂ぶってしまった。
そのたびに唇を噛んで息を殺そうとするのだけど、アイツときたらそこでイジワルをしてくるのだ。
「……詠、我慢すんな」
いやいやと頭を振って抵抗する。
でも、本気で抵抗している訳じゃないってのはバレバレだったみたい。
今となっては腹立たしい話だけど、だんだんと理性が飛んで、零れる汗と吐息に身を任せてしまった。
他にも色んな女に手を出していると分かっていても、ボクの身体に触れるハセヲの手から伝わってくる想いは嘘じゃないと解ってしまったから。
だから、その先はよく覚えていない。
でも、これだけはしっかりと覚えている。
「ハセヲ……お願い、ボクのことを離さないで!」
縋るように伸ばした手を、ハセヲはぎゅっと握りしめてくれた。
「大丈夫だ。俺はここにいる、ここで詠のことを見てる」
絡めた指と指から、溢れだすように言葉が紡がれる。
それでも足りないと思ってくれたのかハセヲがボクを自分の方へと引き寄せてくれた。
それに思わず、ボクの中の女が歓喜の叫びをあげたのが分かる。
(ああ―――そうだ。ボクは、この人と共に生きたいんだ)
ボクはただ、目の前の愛しい人を、震える両手で抱きしめた。
言葉は出ない。
いや、必要なかった。
このとき確かに、ボクたちの心は繋がっていたと思う。
ずっと一緒にいようと。
あなたの隣にいたいんだ、と。
結局4月バカはバイトでウソ言える暇がなかった・・・(涙)