2011年07月08日 (金) 07:23
私は思う。補完計画は間違っていないのでは無いか?
本当に馴れ合いはいけないのか?
本当にぬるま湯に浸かっているのはいけないのか?
本当に逃げてはいけないのか?
そして本当に皆それを出来ているのか?
それは皆のためになるのか?
『空気を読めない』というが、空気を読むというのは何なのか?
間違った事でも、面倒臭がられるから周りの都合に合わせる。
それは馴れ合いでは無いのだろうか?
傷付きたくない、衝突したくない。
だから曖昧に言う。
だから黙認する。
許されたいから悪事を許す。
それはぬるま湯に浸かっていないのか?
悪事を見て見ぬ振りをする事は賢いらしい。
それは逃げてはいないのか?
本当に青臭い理想論と対立するのは、補完計画ではない。
現実世界だ。
むしろ、補完計画なら理想論を現実にできる。
実に青臭い内容だ。
作品の世界は主人公のために主人公により変えられる。
それは補完計画と何も違わない。
むしろ自分自身の事しか考えない自分勝手な補完計画と言える。
だからなのだろうか?補完計画が嫌われるのは。
我が儘を叱る親を疎むのと何が違うのか?
私は今、正しい補完計画系を考えてます。
誰にも知られないように、まずは小さな世界を作り救済する。
将棋やオセロのように裏返していき、主人公系の人物と最終決戦。
Sekkyouする主人公系に種明かしをして多数決ならこっちが上だね、と言いながら希望者だけで補完。
残された人は絶望し自殺者多数。
主人公達が邪魔しなければと怨まれ、愕然とするというエンド。