2018年12月01日 (土) 18:03
我が帝国の主要輸出品目を読者諸兄は御存知だろうか?
年代によって異なるから、いくつかの品目が出てくると思う。
だが、帝国という表記を用いてみるとわかるが、我が帝国が帝国たる時期とは欧州大戦によって内南洋を手に入れてからの時期がしっくりくると思わないだろうか?
もしくは、ヴェルサイユ体制以前を日本帝国、以後を大日本帝国と分けても良いと思う。
まぁ、つまりだ、ここでの話題は欧州大戦以後とすべきだろう。
そうなると、欧州大戦によって急増した軍需製品が躍り出てくる。
だが、それは特需であり、永続したものではないと諸兄は理解することだろう。
では、それ以外はなにか?
服飾関係だ。より正確に言えば、紡績業になる。
実際に時期によっては絹糸が輸出総額の半分を占めていた。また、綿糸の製造も明治維新より急速に拡大している。これはのちに大英帝国とインド綿や本土の綿糸と競合することで双方に甚大なダメージを与えることになり下火に至る。
さて、そこで疑問が湧かないだろうか?
紡績業が発展すれば、それを縫製する服飾産業が発展するはずだと……。
製鉄が発展し、重工業や造船が発展するように……。
だが、我が帝国はそうはならなかったのだ。
実際に列強各国、特にイタリアなどは服飾デザイナーで有名だ。アルマーニとかね。
発展の素地があったにもかかわらず、それが発展せず、紡績業までで終わってしまったというのは惜しいのではないだろうか?
そう私は今感じているのだ。
何故なら、華北平原は綿花の産地である。そして、それを活用すれば、元ブロックから切り離して日満連合の経済圏に組み込み円ブロックの一部として経済支配することが可能になるわけだ。
無論、ここを拠点に安価な労働力を紡績業に放り込み、その給与支払いを円建てで充当することで華北経済の円流通を増やし、元を駆逐することも可能ではないのか、とね。
蒋介石の通貨改革に対抗するには、満州事変で満州国を成立させるだけでなく、満州事変を起こす以前に華北経済に円を浸透させる必要があるということだと思うのだ。
そして、最大の武器は、紡績ではないかと、そしてそれを用いて我が帝国本土で安価な綿布を用いて服飾産業を発展させ、ブランド化を進めるなどして輸出品目に加えるという現代的な加工貿易を先取りするということを考えた。
如何であろうか?
残念なことに建物は、明治時代の建物は文化財に指定されて残っているのに、大正時代の建物はほとんど残っていないのですよね。
(先日、近所にあった大正時代の建物が取り壊されて、アパートになりました。中途半端に古いので、環境資源になりうる文化財という、イメージがわきにくいみたいです。)
艦これの神風型の服装は当時の女学生たちの流行りらしいです。
当時は松風みたいにミニハットを髪に飾るのも本当にしていたみたいですよ。
何がいいたいのかを言えば、戦中の国民服やもんぺが悪いと思われます。
あの段階で文化的な断絶が起こったと思われます。
P.S.戦後に華族層が壊滅した事も日本のおしゃれ文化にとって、大きな痛手かと。