ないものねだり。
2015年08月06日 (木) 01:59
とある作品を読み返して、寿命が250年あるなら、僕はもっと落ち着いて現状と向き合えたかもしれない、と思う。

平均寿命は年々延びているが、親族の死亡年齢や病歴、自分自身の生活の仕方を考えて、僕の寿命は長くてもあと40年、短ければ30年といったところだろう。
今年34になる僕は既に人生の半ばを越えかかっているのだ。

50代の人達からはまだまだ若い何でも出来ると、慰撫や叱咤激励を受けるけれど。
僕の中には何故かもう終わる準備を始めなければ間に合わないという確信がある。

妊娠中絶結婚出産育児離婚を二十歳以降の十年間だけで経験したのも、もしかすると予定調和だったのかもしれない。

五十年後にまだこのサイトがあって、僕も矍鑠としてしぶとく生きていて、五十年前の自分を鼻で笑う羽目になるならば、それはそれで構わないが。

250年の寿命などというけったいなものを持ち出して訳のわからないことをグダグダと書き連ねてしまった。



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