2019年04月12日 (金) 00:15
今の季節が何だったかわからなくなりそうなほど日本列島に季節が混在している今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
たまたま画像で見たヒマワリが美味しそうに見えましたどうも私です。
きっと何かの末期だと思います。
今回はあまりに忙しすぎたせいでできなかったエイプリルフールネタを書いてみました。
え? 十一日遅れはもうただのフールですって?
4月(エイプリル)だからセーフです。ええ、セーフです。それでもおかしいと思った人にはパンジャンドラムをプレゼントです。
さて、読者の皆様は『偽書』と呼ばれるものをご存じでしょうか。
これは内容に"偽りがある書物"ではなく、製作者や製作過程に偽りが含まれている書物のことです。
例を挙げましょう。
1+1=3である、というものを発表しただけでは偽書になりません。
ですが、『この本は"1+1=2であるとAさんが100年前に証明した本である"』と偽って、実際はBさんがついさっき書いたものを発表した場合、これは偽書として扱われます。
要するに、中身の信憑性ではなく、来歴など外側の部分に偽りがある本を書籍を偽書と呼ぶわけです。
……まあ、そういうことを言いだすと『神話なんか丸ごと偽書じゃねーか』という話にもなってくるので、このあたりの定義は結構境界が曖昧だったりするのですが。とりあえず、神話やフィクション小説の類は偽書としては(基本的に)扱われません。
ちなみに、書籍ではなく古文書などの場合は偽文書と呼ぶこともありますが、この場では偽書に統一させていただきます。紛らわしいですし、いちいち言い換えるとわかりにくくなりますからね。
『所詮嘘の本なんだろー』と思われるかもしれませんが、この偽書という物はバカにできません。
一つ例を挙げましょう。世界最悪として知られる偽書に『シオン賢者の議定書』と呼ばれるものがあります。これは1897年にユダヤ人の会議で決議された文書『という設定で1902年にロシアで書かれた』偽書です。
内容を一言でいえばユダヤ人による世界征服計画であり、センセーショナルなこともあって世界中に流布してしまいます。その結果、国際的に反ユダヤ感情が高まり、最終的にはあのナチスのホロコーストにすら利用されてしまいました。
この通り、偽書というのは悲劇の遠因になりかねない危険性を内包しているのです。
日本においても歴史書や系図に関する偽書は数多く存在します。世間一般で知られるものはあまり多くないですが、一見するとそれっぽいものが多いこともあって知らないと騙されてしまうことも多いのが厄介です。
世間一般に流布した例を挙げるなら『江戸しぐさ』でしょう。正確な時間を知る術がほぼ無い江戸時代において五分前行動が基本だった、とかちょっと考えればおかしいとわかる江戸時代のマナーを主張する書籍類です。
あまりにバカらしすぎて歴史学者も批判する必要性を感じなかった(というか根拠となる史料皆無な時点で学問として成り立っていない妄言の類)ため、逆に無批判で放置されてしまい、この言説を信じた人間が続出しました。あまりに広まったためか、一時はマナーの例として小学校の道徳の教科書にまで載ってしまったほどです。何してるんですかね本当に。
たまに『マナーとしては正しいんだからいいじゃん』と言う人を見かけますが、それなら『江戸時代の』マナーにする必要は全くありません。普通にマナーとして教えればいいんです。
というか、こんな嘘を道徳の教科書に乗せてしまう時点で色々終わっている気がします。全てにおいてガバガバすぎです。
結局、道徳の教科書に載ったことで各所から批判が殺到、江戸しぐさは嘘であると世間に広まることになります。載せる前に誰か気づいて止めろよという話ですが。
余談ですが、時間に厳しいと言われる日本人にその意識が染みついたのは近代以降だったりします。一律な作業が必要になる大量生産の過程で時間に対する正確性が求められ、学校だったり工場だったりの教育を通じて根付いていったというわけですね。
幕末に来た外国人の中には『大工に仕事を頼んだのに約束の時間を過ぎても来ない』『雨が降っているからという理由で大工が来なかった』というような愚痴を漏らしていた人もいるくらいです。このあたりの時代の日記等は近世の意識が垣間見える面白い話が多いですね。
――さて、ここからが本番です。
"真実の反対は嘘であるが、嘘の反対は嘘である"
ピエール・ド・フレール著『虚作に関する一考察』より
ここまでいくつか偽書を挙げましたが、『虚作に関する一考察』はそれらとは少し毛色が違います。今までの偽書は読んだ人に信じさせる目的があったものがほとんどですが、この本は結構皮肉が利いた内容で『読んだ人に信じさせる気がない』偽書なのです。
『虚作に関する一考察』は1545年に書かれたとされる本です。
内容はその二年前にあたる1543年に出版された『天球の回転について』に対する批判。コペルニクスによる地動説を提唱した名著に対し全力で喧嘩を売った本でした。
天動説派VS地動説派という対決ですね。
今だからこそ地動説の方が正しいと思えますが、当時はそう簡単にはいきません。
16世紀時点において、地動説は決して完璧な理論ではありませんでした。細かな補正がないためか、はたまたデータが足りないためか、コペルニクスの地動説理論の精度はそれまでの天動説と同等か少し劣る程度だった、と言われています。
無論、天動説では説明不能な事象を説明できるという意味では地動説の優位は揺らがないわけですが、天動説にだって今までの常識だったという強固な優位性があります。それでいて精度がほぼ同じなのですから、そう簡単に地動説が正しいと認められることはなかったのです。
当然、天動説から地動説への反論も出るでしょう。『虚作に関する一考察』はコペルニクスの『天球の回転について』を人々を惑わす悪意をもって書かれた偽書と断じ、天動説こそが正しいのだと主張するものでした。
――とまあ、ここまでなら『そりゃ、時代的にそういう本も出るよな』という話なのですが。
ここで著者であるピエール・ド・フレールについてお話ししましょう。
――彼、実は1894年生まれです。
はい。この男、天動説とか欠片も信じていません。それどころか当時生まれてすらいません。そんな人が著者なのですから、この本も書かれたのは20世紀に入ってからです。
これが『虚作に関する一考察』が偽書と呼ばれる所以です。
『偽書を批判する』という名目で書かれた『虚作に関する一考察』こそが偽書であった、ということですね。
愉快犯というか皮肉屋というか、こうなってくるとピエール・ド・フレールってどんな人間なの? という疑問が湧いてきます。
ピエール・ド・フレールはフランスの片田舎に生まれました。
そこそこ裕福な農家の生まれで、特に問題もなく軍の士官学校に入学。彼の日記を見る限りこの時点では愛国心が強かったようですが、ちょうど軍に配属されたころにあの第一次世界大戦を経験します。
あまりに悲惨な戦禍(よりにもよってフランス軍所属ですし)を目の当たりにした彼は耐えきれなくなり、終戦と同時に退官。それ以降公的な文書から姿を消します。
発見された日記がなければ彼の足跡はここで途切れていたでしょう。
退官後、彼は故郷に戻って実家を継ごうとしたようです。
しかし、戦禍に巻き込まれていた故郷は既に彼の知るそれではなく、家族の姿もありませんでした。ピエールはその時についてこう記しています。
『私が知る世界はそこにはなかった。
私を知る者は数人いたが、しかし彼らは私にとって知らない人に思えてならなかった。
頬はこけ、あちこちに火傷を負い、煙草の煙を宿したかのように濁った瞳をしている彼らは、私の記憶の中にある姿とどうしても重ならなかったのだ。
夢の中にいるような浮遊感と共に主のいなくなった我が家に入り、コップの水を飲もうとして気づいた。私の瞳が、自分のものとは思えないほど濁り切っていたことに。
何のことはない。変わってしまったのは私自身の方だった』
ここだけでも、彼の感じた深い絶望の一端が読み取れます。
第一次世界大戦という悲惨な総力戦によって、若く希望に溢れていたピエールはその全てを壊されてしまったのでしょう。
彼は三日後この土地を後にし、生涯戻ってくることはありませんでした。
欧州各地を転々としながら(大戦時最大の敵国だったドイツには絶対近寄らなかったようですが)貧乏生活を続けていた彼が『虚作に関する一考察』を書いたのは三十代の頃でした。
理由は日記に記されていないためよくわかっていません。常識を壊された自身への皮肉なのか、変わっていく世界に対し記憶の中の戦争に取り残された男の悲鳴なのか、それが明らかになることは恐らくないでしょう。
書き上げられた『虚作に関する一考察』は長いこと彼の引き出しにしまわれたままでした。
ピエールはその後、1933年に死亡します。死因は不明です。日記に自殺をほのめかすような文章や体調の悪さを示す内容はなかったため、恐らくは事故死か急死と思われます。
享年39。激動の時代に翻弄され、その流れに取り残された男の哀しい最期でした。
ピエールの死後、持ち物の処理をしていた人物が『虚作に関する一考察』を発見、本当に16世紀に書かれたものだと信じ込んで売りに行ったためこの本は世間に知られることになりました。
この過程もあって『虚作に関する一考察』は一時16世紀の書籍として有名になりますが、すぐに内容の矛盾を見抜かれ偽書としてその役を終えます。
一方、ピエールが遺した日記は今日においても史料的価値が高いと認められ、今でも『虚作記』として知られています。
自身が絶望した人生に対し、後世になって価値を見出された彼の気持ちはどんなものなのか、知る術はありません。
以上が、虚作に関する一考察とその著者、ピエール・ド・フレールの人生でした。
――はい、ごめんなさい。エイプリルフールネタです。
先にお断りした通り、本番と書いた以降の話はほぼほぼ嘘です。柔らかくいうなら創作、そのままいうなら虚作です。それっぽいこと書いただけともいいます。
ピエールうんたらさんなんていませんし、虚作云々なんて本も実在しません。『天球の回転について』は存在しますけどね?
なお、本番と書いた部分より前の話は本当です。嘘みたいな話ですが、マジです。何やってんですかね道徳の教科書に関連した方々。偽書の歴史を学べといいたいです。江戸しぐさの信奉者の方々って戊辰戦争の"無血"開城の際に江戸っ子が大虐殺されたとか主張してますからね。その史料どこにあるんだよ、と。創作を史実と言い張るとか『シオン賢者の議定書』の悲劇を繰り返すつもりか。
長くなってしまったエイプリルフールネタですが、今回はここまで。最近活動報告書いてないなー、でも書くネタないなー、よし、ちょうどいいしエイプリルフールになんか書こう、的なノリで作ったネタ(エイプリルフールに間に合ったとは言ってない)でしたが、面白がっていただけたなら幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました。
……ところで、電撃大賞の応募プラットフォームがバグったのかペンネームとタイトルが見知らぬ二桁の数字と化したんですが(実話)、誰か同じことになった人いますかね?