2020年07月29日 (水) 18:18
【活動報告】
『転生侍女は完全無欠のばあやを目指す』をお読みいただきありがとうございます。
本日7/29投稿の
『第二十話 三年目:ヒロインふたり、ヒーローふたり』の後書きにてお知らせのとおり、主人公:ターニャ視点の同話をお届けします。
元々書き上げていたのはこちらのストーリーだったのですが、校正をしているうちにこの場面はリーリエから見た方が分かりやすいのではないかと思い、迷った末に書き直して投稿しました。せっかく書いていたターニャ視点もこのまま日の目を見ないのは残念に思い、小話としてこちらで公開させていただくことにしました。
本作も残すところ十話ほどとなりました。ヒーローとヒロインたちのすれ違いがようやく収まり、あとは大団円へまっしぐら(予定)です。
最後までお付き合いいただけると幸いです。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
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【第二十話 三年目:ヒロインふたり、ヒーローふたり (ターニャ視点)】
「アルベール殿下、恐れ入りますが、私にも発言の許可をいただけますでしょうか」
突如起こった第一王子アルベール様とピヴォワンヌ様との婚約解消に、誰もが驚き固まる中、次に動いたのはナディル様であった。
この場の中心であるアルベール様に発言許可を求め、アルベール様が首肯したのを合図に、ピヴォワンヌ様の前に進み出て、片膝を着いた。ナディル様が動く前には、あまりの事態に思考が追いつかない様子のリーリエ様に、何か声を掛けていた。おそらくは安心するように伝えたのだろう。
自らの前に膝を着いたナディル様の姿に、ピヴォワンヌ様は顔には出ていないが、当然動揺している。両手で握りしめたサンライトリリーのブーケが、微かに震えているのが見えた。私は心の中で、必死にピヴォワンヌ様にエールを送る。
「ピヴォワンヌ様、傷心のあなたにこのような不躾な発言をすることをどうかお許しください。欲深い私は、この機会を見逃すことなどできないのです」
ナディル様はここで一度呼吸を整え、普段は見せない強い視線で、ピヴォワンヌ様を射抜くように見つめた。彼の想いの深さと真剣さが瞳からも伝わってくるようだ。
「私、ナディル・ディセントラは、初めてお目にかかった日から、ずっとあなたをお慕いしておりました。アルベール殿下のご婚約者でいらっしゃるからと、何度も何度も諦めようとしましたが、あなたにお会いするたびに募る想いを、今日まで捨てきることができずにおりました。すぐに私を愛してくれなどとは申しません。あなたの気持ちが私に向くまで、何年だって待ちます。どうか今はただ、今日この後のあなたをエスコートすることだけ、お許しいただけないでしょうか」
ナディル様を見つめるピヴォワンヌ様の瞳は震えている。しかし、このナディル様の提案は、この場において彼女にとって受け入れやすい内容だ。今すぐに気持ちに応える必要はなく、婚約してほしいとも言っていない。ナディル様はたくさんの証人の前でピヴォワンヌ様への愛を告げたが、今望んでいることは赤百合の姫としての役目を持つ今日のピヴォワンヌ様のエスコートだけなのだ。
逡巡を見せたピヴォワンヌ様は、一度ロイヤルボックスを見上げ、父であるピアニー侯爵が頷いたのを確認してから、ナディル様に返事をした。
「ナディル様、そのような身に余るお言葉をいただき、大変ありがたく存じますわ。正直に申し上げて、今のわたくしに正常な思考ができる自信がございませんし、今日の状況にとても困惑しておりますの。…今すぐにナディル様のお気持ちにはお応えすることはできませんし、気持ちの整理が着くまでお時間をいただきとうございます。それでも良いと言ってくださるのならば、本日のわたくしのエスコートをお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。謹んで務めさせていただきます、私の愛しい赤百合の姫君」
ナディル様は満面の笑みで答え、ピヴォワンヌ様にそっと腕を差し出した。ナディル様の腕を取ったピヴォワンヌ様の表情は、照れて頬を赤らめながらも嬉しそうで、左手に持った赤百合のブーケよりも華やかに輝いていた。
そんなピヴォワンヌ様へ今にもとろけそうな笑みを返してから、ナディル様は、リーリエ様とアルベール様の方へ向き直り、口を開いた。
「リーリエさん、突然エスコート役を降りる無礼をどうかお許しください。そして、アルベール殿下。このような事態をしでかしてしまったのは、殿下と私であり、そのせいでリーリエさんにご迷惑をおかけすることは忍びないのです。どうか私に代わり、本日この後の彼女のエスコートをお願いできないでしょうか」
そう、ここまでの一連の流れが、私たち従者・侍女と、ナディル様、アルベール様の間で長らく計画し、描いてきた道筋であった。
自然な形とは言い難いが、アルベール様とピヴォワンヌ様の婚約解消が公となり、白百合の姫リーリエ様のエスコート役であったナディル様が赤百合の姫ピヴォワンヌ様のエスコートを務めることになれば、当然ながらリーリエ様のエスコート役が不在になってしまう。代役を立てるには時間が足りない状況であることを利用し、すでに儀式の流れが頭に入っていて、エスコートのための装束に身を包んでいるアルベール様が、ナディル様とパートナー交代する形が最速かつ最善の解決策となる。
この流れでアルベール様がリーリエ様にエスコートを申し込み、リーリエ様がそれに頷けば、表面上は穏便にパートナーチェンジが実現する。さすがにピヴォワンヌ様との婚約を解消した直後にアルベール様からリーリエ様に想いを告げることには無理がありすぎるので、このような方針となったのであった。
アルベール様はナディル様の言葉に頷いた後、リーリエ様の正面に立ち、落ち着いた声で告げた。
「リーリエさん、突然の出来事で大いに困惑させていることと思う。申し訳ないと思っている。急な事態で迷惑をかけてすまないが、ナディルに代わってこの後のエスコートを私に務めさせてもらえるだろうか」
予定通りのアルベール様のセリフに、私含めSクラス一同は、心の中でふたりを応援している。反対側の舞台袖にいるロータス先生だけは事前情報がないので、青ざめた表情で生徒たちを見守っている。先生に心労をかけてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。あとで菓子折りと先生好みのコーヒーでも用意しよう。
講堂中が注目する中、リーリエ様がついに口を開いた。どうか勇気を出して頷いてほしいと、祈るように手を強く握る。
「大変ありがたいお申し出です、アルベール殿下。…ですが、私はそのお申し出を受けるわけにはまいりません…」
リーリエ様の返答に、私たちも、講堂内の生徒や来賓も、皆揃ってポカーンとしてしまう。今はもうアルベール様の手を取るしか道はない状態なのに、リーリエ様はまさかの拒否を告げた。その顔色は真っ青を通り越して、消えてしまいそうなほど透き通って見える。私は今すぐ駆け寄ってリーリエ様を支えたい気持ちをぐっとこらえる。
「皆様ご存知のとおり、双花奉納の儀には、長らく続くジンクスがございます。…私のような者が、アルベール殿下にエスコートしていただくわけにはまいりません。我儘を申していることは承知しておりますが、将来の王国を担うアルベール殿下にだけは、そのようなことをさせるわけにはいかないのです。殿下に想われる方がいらっしゃるのであれば、それはなおさらです。…大変なご迷惑をおかけしてしまいますが、私のエスコートはどなたか他の方にお願いを…」
双花奉納の儀で姫を務めた女性と、エスコートの男性は生涯結ばれるというジンクス。だからこそ、自分が第一王子の相手役になるわけにはいかないと、リーリエ様は答えたのだ。
突然起きた婚約解消劇に困惑し、頼りにするはずだったナディル様がエスコートを降りた。心細く、誰かに縋りたいであろう今の状況で、愛する人からエスコートの申し出を受けたにも関わらず、リーリエ様はアルベール様のために身を引こうとしている。第一王子からのエスコートの申し出を拒否するということも、ともすれば大変な不敬となってしまう。おそらくリーリエ様はそれさえも覚悟の上で、アルベール様を想うがゆえに、きっぱりと拒絶の意を示したのだ。
私は主人の想いの深さを見誤っていたことを恥じると共に、計画の失敗を悟った。
アルベール様とナディル様は、もちろんこの計画には早い段階で加わってもらっている。そしてアルベール様を通して、ピヴォワンヌ様にもある程度の予想と心構えが出来る程度には情報を流していた。
しかし、リーリエ様にだけは、私もクラスメイトたちも、あえて何も事前情報を与えなかった。それは、四人の中でいちばん身分の低いリーリエ様にとって、アルベール様の新しい婚約者候補の座を得ることは、世間的に見た場合にいちばん大きなメリットが存在してしまうからに他ならない。どのように言い繕おうとも、「権力のために王子を誑かした」「仲睦まじい婚約者同士を引き裂いた」など、悪意ある解釈はいくらでも可能なのだ。
そのため、リーリエ様だけは「明らかに何も知らなかった」という事実を作る必要があった。リーリエ様が望んだのではなく、あくまでも「アルベール様が他の女性に想いを寄せてしまった」「婚約解消はピヴォワンヌ様にとってマイナスにならない」というのを、先に皆に知らしめる必要があったのだ。
結果的に今、リーリエ様に何も知らせなかったことが裏目に出てしまっている。彼女はアルベール様の自分への想いを知らない。知らないからこそ、今目の前に見えているアルベール様の「優しさ」を、素直に受け入れることができないのだ。
もはや固唾をのんで見守っている観衆と、焦る私たちSクラス一同。皆がリーリエ様に「今はとりあえずなんでも良いから了解して~!!」と必死でアイコンタクトやハンドサインを送るが、今リーリエ様のエメラルドグリーンの瞳には、正面に立つアルベール様しか見えていない。
しばしの黙考のあと、ついにアルベール様が動いた。アルベール様はリーリエ様の前におもむろに跪いた。先ほどのピヴォワンヌとの婚約解消の際と違うのは、アルベール様の右手が、リーリエ様に向かって、請い願うようにそっと差し出されていることだ。
アルベール様のその動作にリーリエ様は傍からでも分かるほどビクりと大きく震え、観衆は固唾をのんで見守る。
私の隣でその様子を見ていたヘクターは、「あちゃー…」という表情で頭を抱えている。主が無茶をする未来が見えてしまったのだろう。私もなんとなく、この後のアルベール様の言動が予想できてしまった。あの方は告げる気だ。こういうときに口先だけで誤魔化すのではなく、良くも悪くも誠実に対応してしまうのが、第一王子アルベールという人物なのだと、この二年数か月の学院生活で私も知っている。
「…リーリエさん、私の身勝手であなたを困らせてしまい、すまない。これまで何も告げることができなかったことも、すまなかった。そして今、何の保証もできぬまま、こんな状況で告げることも、先に謝罪しよう。どうか、あなたには、あなたの心のまま答えてほしい」
アルベール様の静かながらも重みを感じる声に、リーリエ様の長い睫毛が不安げに揺れている。私たちクラスメイト一同は今更どうすることもできないので、ただただアルベール様の告白が成功することを願うだけだ。
「ジプソフィラ子爵令嬢リーリエ殿、私は、二年前にあなたとこの学院で出会ってから、ずっと心の奥底であなたのことを想ってきた」
アルベール様は、困惑し小刻みに震えているリーリエ様を視線で思いやりながら、可能な限りゆっくりと、柔らかな声色で告げる。
「こんな想いを抱いてはいけないと、すぐに心に蓋をした。第一王子として、ピヴォワンヌの婚約者として、許されることではないと、ずっと自分に言い聞かせてきた」
リーリエ様は相槌打つこともできず、突然のことに信じられない様子だ。
「しかし、毎朝あなたと挨拶を交わすだけで、あなたの髪が柔らかく揺れるのを視界の端に捉えただけで、クラスメイトと微笑み合うあなたを遠くから見ただけで、私の心はどうしようもないほど弾み、同時に重苦しくて仕方なかった。この気持ちが恋なのだと、私はあなたに出会って初めて知ったんだ」
アルベール様の言葉から、リーリエ様を想う気持ちと、第一王子として諦めようとした気持ちがひしひしと伝わり、講堂内のすべての人が、アルベール様の想いに胸を打たれていた。
「長年尽くしてくれたピヴォワンヌとの婚約を自分勝手に解消し、虫が良すぎることは分かっている。一国の王子にこのように言われてしまえば、あなたがどれほど迷惑するか、苦しい立場にしてしまうかも、分かっていた。だから本当は、今日あなたにこの気持ちを告げようとは思ってはいなかったのだ」
叶わぬ恋に身を焦がすアルベール様の葛藤が、苦し気な声からも感じられる。リーリエ様は、まだ口を開けない。
「しかしそれでも、このまま私が真実を告げずにいるのは、私の大切な友人たちがこの場で見せてくれた真摯な姿に対し、あまりにも情けないと思った。私の突然の我儘を受け入れ、私の幸せを祈ると言ってくれた、大事な幼馴染であるピヴォワンヌも、彼女へ包み隠さず想いを告げたナディルも、私のエスコートの申し出を私の将来のためにきっぱり断って見せたあなたも、私などよりよほど勇敢で、誠実であった。私は王子である前に、あなたたちの友として、友に恥じない自分でありたい。だからどうか言わせてくれ」
アルベール様は、震え続けているリーリエ様の指先を包み込むように、そっと優しく触れた。
「リーリエさん、私の心すべてをかけて、あなただけを愛している」
真っ直ぐなアルベール様の言葉に、リーリエ様の瞳に、ずっと堪えていた涙が溜まっていく。
「今の私には、あなたに何も約束することができない。第一王子という立場上、あなたを必ず幸せにするとは言えない。だから、今誓えることは、アルベールという名のひとりの男として、あなたを想うこの気持ちに、一片たりとも嘘偽りがないということだけだ」
婚約を解消したばかりで、国王陛下から咎めを受けるかもしれない。次の婚約者は政略の関係上、彼自身では選べない。アルベール様はリーリエ様に、正直な想いの丈を打ち明けた。
「だから、リーリエさん。今日だけは、ひとりの男として、あなたの隣に立つことを許してもらえないだろうか。私の気持ちに応えてほしいとは、今は言えない。せめて今夜だけ、あなたのエスコートをさせてほしい」
祈るような瞳で見つめるアルベール様に、ついにこぼれ始めた涙を止めることもできないまま、リーリエ様は口を開いた。声量は小さいが、リーリエ様の鈴を転がすような声は講堂の隅までしっかりと響いた。
「…アルベール様、誠実なお言葉をありがとうございます。…今、私がすべきことは、このまま何もお答えせず、ただ殿下のお手を取ることだけなのでしょう。…ですが、先ほどのアルベール様のお言葉で、私も心が決まりました。…私も、アルベール様やピヴォワンヌ様、ナディル様、そしてこれまで二年以上の時を共に過ごしてきた大切な友人たちに、恥じない自分でありたいです。だから、私もひとりの女性として、この場で口にすることをどうかお許しください」
目は涙で潤んだままだが、リーリエ様は毅然と顔を上げ、周囲をゆっくりと見回した。ずっとリーリエ様に心の中でエールを送り続けていたクラスメイトたちと、リーリエ様の目が、ようやく合った。皆それぞれ頷いたり、拳を握りしめて、声には出さないがリーリエ様の背中を押す。恐れることはない、自分たちが力になるから、もう素直になって良いのだと。
「…私、リーリエ・ジプソフィラは」
最後の躊躇いで、リーリエ様の言葉が止まる。そして勇気を振り絞って、続けた。
「…アルベール様を、ずっと前からお慕い申し上げております」
アルベール殿下の漆黒の瞳が、リーリエ様の言葉を受けて輝く。
「…第一王子としての殿下を心から尊敬しておりますが、それ以上にひとりの男性として、お慕いしております。…ずっと、この想いは胸に秘め、決して口には出さないと決めておりました…」
想いと共に、また涙が溢れだしてしまったリーリエ様を見て、もう我慢できないとばかりに、アルベール様がリーリエ様を抱きしめた。その勢いは凄かったが、力強く抱きしめるのではなく、壊れ物に触れるよう、そっと優しく。
それと同時にわあっという歓声が沸き、たちまち拍手に包まれた。第一王子が公衆の面前で婚約を解消し、他の女性に愛を告げるというとんでもない事態だったが、講堂中のすべての人が、このふたりのこれまでの葛藤に心揺さぶられ、控えめながらも出来うる限りの誠意を込めた愛の言葉に感動し、いつの間にか周囲はふたりを応援しだしていたのだった。
ようやく心を通じ合わせた美しい王子と白百合の姫の姿に、しばらく拍手は鳴りやむことがなかった。
歓声と拍手が落ち着き、我に返ったアルベール様とリーリエ様が顔を真っ赤にしたところで、国王陛下が事態の収拾に出た。
ウォッホン、という咳払いのお手本のような音を響かせたので、講堂内は一転して静寂に包まれ、皆がロイヤルボックスに注目する。
「アルベール、言わねばならぬことは山ほどあるが、今は置いておこう。皆の者、そして来賓としてお越しくだすった方々、愚息がお騒がせしたことをまずは詫びよう。可憐な赤百合の姫と白百合の姫の今宵のエスコート役がようやく決まったようだ。さあ、儀式と学院祭を続けようではないか」
第一王子の恋愛模様はさておき、ふたりの姫のエスコートは決定した、つまり、少なくとも今日はアルベール様とリーリエ様が共にあることを、国王陛下が許可してくださったのだ。陛下の言葉を合図に、また一段と大きな歓声が上がり、双花奉納の儀へとようやく舞台は進むのであった。
エスコート役を取り換えたふたりの美しい姫が講堂から退場し、扉が閉じられるまで、拍手と祝福の声は絶え間なく響き続けた。