2011年04月14日 (木) 14:02
お久しぶりです。
一段落着きましたので、近況を報告したいと思います。
私の実家と仕事場は宮城県の海沿いなのですが、震災当日、私は夜勤前で部屋で寝ていました。
目が覚めたのは地震が起きてすぐで、私はすぐにテレビを着けました。震災の二日前にも宮城県内で強い地震が起こったため、なにか情報があるかどうかを確かめたかったからです。
が、その瞬間、揺れはさらに強くなり、部屋のありとあらゆるものが倒れ、私は「はやく揺れがおさまってくれ」と、心のなかで叫びながらテレビを押さえていました。やがて揺れがやむと、大津波警報が発令され、私は近くにいた先輩達と身支度を整え、上司からの指示を待ちました。しばらくして、上司からは、出勤はせずにスタンバイしておけと指示が出ました。
そしてまもなく、「津波が来るぞ」という大声を聞き、私達は建物の屋上に避難しました。私が住んでいる建物は3階建てで、私はその3階に住んでいたため、屋上は近くでした。
屋上にあがって私の目に映ったものは、私が住んでいた町をすべて飲み込んでいく津波でした。
民家を襲い、車を飲み込み、逃げ遅れた人達を津波が容赦なく襲っていく光景に、私は言葉を失いました。津波は私が住んでいる建物の1階まで飲み込み、私は2日ほど中に閉じ込められました。水もなく、電気もガスも停まり、私はただ自分の無力さを悔やむしかありませんでした。「外からは助けを求める声がひっきりなしに聞こえてくるのに、自分はなにもできないのか」と。それから、私は2日後に仕事場で寝泊まりし、2週間風呂に入らず、灯りもないため、懐中電灯をともしながら皆で夜は震えながら眠る日々が続きました。
実家の方は、やはり壊滅的な被害らしく、私の両親が経営している店は跡形もなく、実家のは、土台だけが残り、何もかもがなくなっていました。しかし、家族が全員無事だったのは、不幸中の幸いだったと思います。飼っていた猫は、遺体は見当たりませんが、恐らく助かってはいないでしょう。
今回の震災で、失ったものはあまりにも多すぎます。家族ぐるみの付き合いをしていた知人が、遺体で見つかったり、何より帰る家がなく、生まれ育った思いでの場所が無くなるというのは、心が痛みます。
私も実際、実家の方に行きましたが、もう町自体が津波に飲まれ、民家はほぼ跡形もありませんでした。
まだ遺体の回収もすべて完了していない状態です。
復興には長い年月を要すると思いますが、今回の震災で命を落とした人たちのためにも、私は強く生きていこうと思います。
申し訳ありません。
勝手な解釈をしてしまいました(汗)
ちなみに私の兄は今月秋田県民から神奈川県民に変わりました(笑)