2012年06月01日 (金) 01:08
その日彼が川岸を歩いているとある人が釣りをしているところに出くわした。
釣竿を川に垂れながら、小さなモバイルパソコンを横に置いた老人のどこか奇妙なその姿が気になってしまった彼は、思わず見ず知らずの老人に声をかけた。
「ご老人、釣れますか?」
その彼の言葉に老人は顔も上げずにこう答えた。
「君子は志を得るのを楽しみ、小人は物を得るのを楽しむ。今わたしがしている魚釣りはそれに似た意味合いがあるのです」
それを聞いた彼は思った、「やばい、変な人だ」と。
そしてそうですか、とそそくさと立ち去ろうとした彼の背に声がかかる。
その声が伝えるのは太公望の著といわれる兵法書『六韜』の中の太公望と周の文王の出会いの場面。
その知識をたまたま持っていた彼は、この変な老人がどうやら太公望気取りのド変人であるということに気がついた。
そこまで考えが及んで、逆に気になったことが出てきた。
――では、あの小さなモバイルパソコンでこの老人は一体何をしているのだろうか?
そして再びその老人を振り返った彼は、諧謔の意味も込めて老人にこういった。
「ご老人、ではそちらのパソコンでは何を釣ってらっしゃるのですか?」
そして返ってきた言葉に彼は絶句することとなる。
「とある掲示板で15歳の女子高生の振りをして、援助交際を申し込んでくる馬鹿な大人を釣っておりますよ」
六韜(りくとう)
中国の代表的な兵法書で、武経七書の一つ。このうちの『三略』と併称される。「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味である。「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の6巻60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている。中でも「虎の巻」は、兵法の極意として慣用句にもなっている。
太公望(たいこうぼう)
紀元前11世紀ごろに活躍した周の軍師、後に斉の始祖。姓は姜、氏は呂、名は尚または望、字は子牙または牙。謚は太公。斉太公、姜太公とも呼ばれる。
また彼が釣りをしていていたことから、転じて釣りのうまい人のことを太公望と呼ぶこともある。
おじいさん……やるな!