2013年09月29日 (日) 21:42
はい、懐古厨です。
もう何のやる気もせん。ということで、何か文章を書かないと腐りそうです。
ゆうちゅーぶで『忍たま乱太郎』を検索していたら、初期の頃のオープニングを発見しました。
いやあ、大興奮しました。懐かしい~
そうそう、イントロは焙烙火矢(丸い爆弾です)の導火線に火が付くところから始まるんですよ。♪チャ~チャ~チャ~チャ~チャ~、Woo~! がっかりして、めそめそして、どうしたんだい♪ これこれ、これですよ!
そんでもって、きり丸が忍者のくせしてチャリを漕いでる画面が出てきて、しんべえが丼でラーメンかうどんかを食っていて後ろにはポテチやらお菓子やらが溢れているのです。時代いつなんだよ、と突っ込みまくりな世界観にいつの間にやら引き込まれつつ、楽しんで観ておりました。まだ小学生でしたよ~
わたしが大好きだったのは、稗田八方斎(ひえた はっぽうさい)です。どんなネーミングセンスなんだと、初めてやつの名前を聞いたときは笑い転げました。この人、はげ頭の二頭身くらいで笑うと頭がだんだん後ろに反っていって、自分の頭の重さに耐えられなくなり、身体がひっくり返って頭と地面がくっついちゃうんですよね。で、起きられなくなるという。そばに部下がいて、そうなったときは起こしてもらうんです。そして、しょちゅう間違った名前で呼ばれるんですよ~たしか、冷えたチンゲンサイなどです。惜しい! 惜しいんです。
オープンニングは光GENJIですよ、もちろんもちろん。今はNYCなんですよね。時代の変遷を感じます……。
そして昔の忍たまは全体を通して、丁寧に作られているなという印象です。登場人物の背景、発言の裏づけ、ギャグのフォローなどが現在に比べて厚みがあります。
古今通じて、「人生はそううまくは運ばない」というテーゼはあります。けれど、現在の忍たまはそれが薄い気がします。昔は、シニカルで、不条理なエッセンスがかなり多かったと思います。子供心に、納得いかないもの大いにあったものです。
それに何よりも、「笑い」に対する作り手の情熱を感じました。シニカルだったり不条理だったりの理不尽さのアクセントが強い分、「笑い」への行程が筋道だっていて、「笑い」へ到達したときのインパクトが濃い。たった10分間のなかにも、そのきちんと筋道だった世界が毎回確立されていました。
現在でも、話は成り立っているしそれなりに楽しめます。もともと原作が面白いということもあります。けれどアニメのなかでの「笑い」は、瞬間的な動作としての働きしかなくなってしまったように思います。
「笑い」に至るまでの布石はなく、ただ一瞬の画面に笑えればいいという安易な制作に終始しているかのようで、やや空々しく感じました。
「笑い」が、「この場面だからこそ、その笑い」というその笑いに至るデティールを積み重ねたのちの的確な矢を放つからこそ、観る側の心に正確にその矢は当たるのです。
爆笑で最速の矢、じわじわとゆっくり攻める矢、そのどれもが確実な裏づけ(登場人物の背景など)と細部の構築(シニカルで不条理なエッセンス)が成せる技でしょう。
現在はそれらが足りない、というわけで昔の『忍たま乱太郎』は秀逸だったな、と文章をまともに纏めることもできずに終わります。エッセイとしては30点だな、これ……。
乱文失礼しました、では。
ぎゃーっ、伊咲さん、お久しぶりです!
活報のあのピンクい文字はなんですか~!? なんかもう赤面しちゃったじゃないですか。
えっ、伊咲さんも忍たま視聴者だったのですか?
それとももしかして、単にわたしがはしゃいでいるのに興奮なさった、とか……? な、なにそれ!! 恥ずかしいやんか、伊咲ん! でも変態ウェルカムやで!
だって冷えた八宝菜ですよ? 小学生のわたしには衝撃でした(笑)
いつでもお越しください! わたしもまた伺います。
コメントありがとうございました。
もぃもぃっした!