2020年01月27日 (月) 02:05
感想を増やす感想の書き方。
「好き」と書きます。
良し悪しとか技術力の高低は無視して「好き」と書き残します。
そしたら次の読者が確実に来ます。
書いた自分が気になってもう一度読みに来ます。
これで2人目です。
逆に考えましょう。
「嫌い」「つまらない」「くだらない」と書いた時と比べて、どっちの方が多く読み返したくなるか。
私だったら気持ちよくなる方を多く見ます。
第三者もそうでしょう、そうでないとしてもそうであると信じます。
嫌な言葉やキツイ言葉は全部プライベートな日記に封印してしまえばいいのです。
作者のスキルアップのためだとか色々理由は含むかもしれませんが。
だったら作者だけに届くメッセージで送ればいいわけです。
何度も濾過して、読者視点で見ても気持ちよくなれそうだったら衆目に晒せばいいのです。
怖いんですよ、書き込む読者も。
無味無臭だった読者が、書き込む読者という色や形を伴ったばかりの不安定なタイミングは気持ちが脆くなります。
無視されたらどうしよう、自分の行動が影響を与えず成果が無かったらどうしようと。
「みんな見ている場で書いたから、無視できないはず、返信してくれるはず」
こうでも思わなければ勇気が足りないから、感想やレビューなど公然の場に残るように書き込むのです。
私もそうした期待をしたことがありました。
ただ最近は、しっかり練った全力の書き込みほど無視されても「仕方ないね」と思えるようになりました。
自分がターゲット層では無いのだと納得できて、スッキリと立ち去ることができます。
これまで感想やレビューをつけなかった読者であるなら、この先もつけなくてもいいじゃないでしょうか。
無理して書く必要は無いです。
ただの読者から変わり、読者ではない別の立場になるのは怖いでしょう。
今まで見えなかった風景を見ることは恐ろしいでしょう。
それ以上に何も見えず、何も手に入れないまま全て抜け落ちるような結果に辿り着きたくはないでしょう。
作者の後援者になろう、小説家にさせようとするのってきっと大変でしょうから。
だから次の人に託しましょう。
次の読者がまた訪れたくなるような書き込みは容易です、好きだと書き残すだけです。
好きだと言える人、楽しんでいる人ならばそれは人を引き寄せはしても、遠ざけることは少ないです。
編集者にはなれず、後援者になれずとも、人を遠ざけない工夫はできます。
次に続いた読者が、小説家にさせようとしてくれる後援者になる可能性に繋がるかもしれません。
そしたらこっそり自分のおかげだと心の中で笑えばいいのです。
私は小説を書きたかったですが、小説家にはなりたくありませんでした。
小説で生計を立てるつもりはなく、自作のHPに投稿してアクセスカウンタ一杯回ったらいいなーという程度の夢でした。
だから小説家になりたい人へ向けるメッセージは思いつきません。
ただ小説を書きたいけど、まだ何も成せていない人には送れます。
小説を書いたことについて日記をつけましょう。
書いている内に勝手に文章が走り出したり、どうして設定したのか自分の深層を掘り下げたり。
そうしていたら、きっと過去の私は楽しかったと思います。
自分の小説のために日記をつけていたら、もう少しマシな諦め方が出来たと思っています。
日記をつけながら小説を書くと、小説家には成れない気がします。
でも、ただ小説を書くことを好きで居続けられると思います。
日記をつけましょう。
ここに残す日記はこれが最後です。