アニメ『青のオーケストラ』第3話、音楽モノを描く難しさ
2023年04月26日 (水) 03:39

『ぶらす! 彼女たちの奏でるビューティフルハーモニー』
の作者、小湊遥です。

アニメ『青のオーケストラ』第3話、見ました。
青野くんも高校に入学し、これからストーリーがいよいよ展開していく期待に満ち溢れたエピソードでしたね。

ただ、音楽描写には、違和感がありました。

特に、青野が秋音律子にファースト・ポジションで音階(スケール)を弾かせる場面。
青野は秋音が音階を弾いた後、「お前、もしかして弦のどこを押さえれば何の音が出るか、分かってるのか?」と驚いています。
ということは、青野は、秋音が「弦のどこを押さえれば何の音が出るか分かっていない」、つまり運指を知らないことを承知で音階(スケール)を弾かせたということになります。

まず、ここが違和感ポイント。

楽器は、打楽器ならいざしらず、運指を知らなければ自分の出したい音(の高さ)で音を出すことは出来ません。
にも関わらず、青野は秋音に音階を弾かせた。

秋音は、保健室でヴァイオリンを弾いており、青野もそれを知っています。

ですから、少なくとも青野は、秋音が運指、つまり「弦のどこを押さえれば何の音が出るか分かってる」ことは知っているはずです。

だから、青野は秋音に音階を弾かせたのだと思って見ていたのですが、「お前、弦のどこを押さえれば何の音が出るか、分かってるのか?」の台詞で訳がわからなくなりました。

百歩譲って、青野が、秋音は保健室で運指も分からず、ただデタラメにヴァイオリンを弾いていたと思っていたとしましょう。
しかし、ヴァイオリンの運指も分からない(と青野は思ってる)超初心者に、果たして音階を弾かせたりするものでしょうか?

もし、青野が秋音は運指を知らないと思っているのだとしたら、音階を弾かせる前に運指を教えるでしょう。「ドはこの弦を何指で押さえて、レはこの弦をこの指でだ」という風に。

なのに、そうはせず、普通に音階を弾くように言った。
ということは、青野は「秋音が運指が分かっている」ことを知っていることが前提となります。
でも、青野は秋音が音階を弾いた後、彼女が運指を知っていることを驚いた。

う~ん、訳わかりません。

ヴァイオリンのレッスンは、運指を教えずに音階を弾かせることが普通なんでしょうか?

後は、青野が高校のオーケストラ部の演奏を聴いて驚く場面が違和感ポイント。

そもそも、オーケストラ部の部活紹介で、スッペの《軽騎兵》序曲というのはどうなんでしょう?

このオーケストラ部の十八番が《軽騎兵》序曲で、ことあるごとにこの曲を演奏しているのなら分かります。

しかし、そうでなければ、こういう場面でこの曲を選ぶのは・・・。
しかも、100人の大編成でこの曲というのは、絶対にやらないとは言い切れませんが、オーバースペック過ぎます。その人数を活かすとすれば、もっとキャッチーで聴き映えのする曲は他にいくらでもあります。

そもそも、この曲の編成にテューバはないのに、何で全体演奏ショットでテューバがモデリングされてるんでしょうか?

この条件だったら、私ならワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲とかチャイコフスキーの序曲《1812年》、シベリウスの《フィンランディア》辺りを選曲しますかね。

ちなみに、この作品に出てくるクラシック曲を見ると、どれも微妙な作品ばかりです。
センスがどうこうより、「もっと良い曲たくさんあるのに、なんでこれ?」という、実際に音楽をやっている人からすると、感覚的にかけ離れ過ぎているんです。
作者自身が吹奏楽経験がある『響け! ユーフォニアム』とは大きな違いです。

それに、オーケストラが演奏する舞台の準備は案外時間がかかるものです。
一人ひとりの奏者が自分の座る椅子、譜面台、そして自分の楽器を一度に持っては運べません。椅子や譜面台だって適当に置くわけにもいかず、客席から見て椅子の並びや譜面台の高さが乱れていないかとか、隣の奏者との距離は適切かとか、ちゃんと指揮者が見えるかとか、細かく調性しなければいけないことはたくさんあります。
ですから、前の部活の紹介が終わってから準備するとなると、その時間は非常に無駄になります。もちろん片付けもありますし(部活紹介一番最後の部活?)。その間に、他の部活の紹介をするのもおかしいです。

私の取材では、他の部活が部活紹介をしている間、ステージのカーテンは降ろされていて、吹奏楽部はその後ろでずっと待機しているという学校や、吹奏楽部はステージの横にセッティングしている学校、吹奏楽部は学校行事の様々な場面で既に露出しているので、そもそも部活紹介では演奏しないという学校もありました。

この作品のモデルとなった千葉県立幕張総合高等学校はどうしてるんでしょうかね?

そういうこともあり、私の小説では、部活紹介で吹奏楽部は演奏せず、部長が話をするだけで、そもそも部活紹介の場面はありません。また、次に投稿予定の【練習番号G】では、他の学校の吹奏楽部員が出てきますが、どうやらその学校でも部活紹介で演奏はしないようです(上記の理由を加えるかは検討中)。その代わりに、新入生勧誘演奏で、吹奏楽部が新入生に演奏でアピール出来る場面を設定しました。連載で最初の方のストーリーは、その設定を活かしていった結果、ずいぶんとお話しが多方面に展開していきました。

そして、青野がオーケストラ部の演奏を聴いて、
「一つひとつの音の粒が溶け合って、どんどん膨らんでいく。あんなに人数がいるのに、誰一人乱れてない」
と感動する台詞がありますが、「一つひとつの音の粒が溶け合って、どんどん膨らんでいく」というのは、「まあ、オーケストラの音ってそういうもんだから」としか言いようがないものです。
そして、「あんなに人数がいるのに、誰一人乱れてない」も、「オーケストラというのは(ry・・・」。
青野くん、実物のオーケストラ聴くの始めてですか?
だからこの台詞は、オーケストラ部の演奏の評価ではなく、実物のオーケストラを始めて聴いた青野くんが、独奏ではなく、大人数が演奏するアンサンブルの素晴らしさに目覚めた場面、団体行動が苦手な青野が、オーケストラ部に入るモチベーションとなるシーンだと言っていいでしょう。
オーケストラ部の演奏自体を褒めるのだったら、もっと他の言い方になります。
「細かなフレーズのニュアンスが全て見事に統一されている」とか、「この瑞々しく、豊かで輝かしいサウンド、本当に高校生が演奏しているのか!?」とか。
だから、青野は最後に「これが、海幕高校オーケストラ部」と言っていますが、シーンの意図と台詞が合っていないので「あれ?」と思いました。

最後に。

他の業界モノもそうですが、どれだけ取材したとしても、取材では得られない当事者感覚というか、「その世界での常識や一般的認識」の感覚は、どうしても掴めないものです。
まして、その「感覚」をストーリーの中に有機的に編み込むのは、極めて困難だと思います。

もちろん、「リアル」と「リアリティー」は違います。しかし「リアル」を知らなければ、作品内容やその世界観にマッチした「リアリティー」を構築することは難しいでしょう。
特に、「音楽モノ」はトップクラスに難しい分野だと思います。
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