輪廻の(おためごかし)
2014年12月03日 (水) 18:18
(  ´・ω・) おひさです。
放出。

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輪廻の




一つの黒い影があった。
三つの光る玉があった。

否、正確には。
一つの人影と、三つの人魂である。

「お前たちに、前途を遣ろう」

人影がそう言った。
高いとも低いともつかぬ、人の声帯から生まれるとは思えない怪奇な声音である。

「は? つーか、あんた誰?」
「へ? え?」
「ここはどこだ」

ぷかりと宙空に浮かぶ人魂たちは、音程の狂った声で好き勝手に呟き始める。彼らは抗議するように上下に震え、あるいはふらふらと彷徨い出し、はたまた狼狽するように点滅した。
その落ち着きのない挙動を前にして、人影は再度、口を開いた。
再びの異音。

「お前たちには、今までとは異なる世界に生まれ変わってもらう」

一瞬、笑うような間があって、

「……美しい女となって」

その言葉に、人魂たちが更なる混乱をきたす。各々、先ほどに輪をかけて激しく発言・運動をし始めた。
パチン、
と人影が指を鳴らす。
すると、時が止まったかのように人魂たちが静止した。瞬時のうちに満ちる、耳が痛くなるような静謐。
人影は動かなくなった人魂たちに、腕白な幼児を相手取る母親のような視線を投げかける。
「もっと正直になるがいい。そのような人間を選んだのだから」
再びの指パッチン。
まさしく理想の指パッチンを体現したが如き快音が鳴り響き、人魂たちが動き始める。そして呟き始める。
「やったぜ! これで可愛いおんなのこと可憐に百合百合できるッ! やわっこくて白い裸体をレズレズに絡ませ合えるッ!」
「ふへへ……僕、美少女になったら……イケメンたちにちやほや褒められて可愛がられて養われて貢がれて求められて、蝶よ花よともてはやされまくるんだ……」
「綺麗……完璧……最高……俺さいきょー……他は糞……」
突如として下衆な欲望を吐露しはじめた人魂たちに、しかし人影は微笑む。
「では、新たな人生を謳歌するといい」
人影が手を翳すと、巨大な黒い穴が出現し、人魂たちを飲み込んだ。

前編 三叉路
*1*

セリオルーナはリーギト王国の姫として生を受けた。
子のできにくい王家にあって待望された第一児であり、その誕生は国を挙げて祝われた。国王譲りの輝くような白銀の毛髪と、王妃譲りの宝石の如き翠の瞳。美形揃いの貴族たちも驚愕する、生まれたて幼児にあって絶世の美を約束された容貌。そして既に知性の光を明瞭に宿す眼光。
まさしく天の与えたもう祝福の子である。
そうセリオルーナは謳われた。そして事実、彼女は投げかけられる賛辞に相応しい、多大なる成果を上げた。
まったく異なる視点からの着想。そしてそこから生まれる驚異の発明品。特に魔術に関する道具においては、姫は業界を根底から覆す論文を発し、多くの老魔術師たちを昏倒させた。それらの知識、及び技術は、王国を潤し、若い新興国たちに追い立てられていた老国を、瞬く間に押しも押されぬ大国へと変貌させた。
数多の革新的技術を発表し、国を富ませる知恵をもたらし、襲い来る大国を無傷で撃退。
この時、セリオルーナ姫、13歳である。
このように、恐ろしき才能を持つ彼女だが……一つ、欠点があった。
女好きである。
蓋世の才を誇る姫、セリオルーナは、女性が大好きだと豪語する変人であったのだ。
少女の時分にして姫は凡夫を超えて好色であり、夜な夜な御付きのメイドたちを連れ込んでは秘め事に及んだ。付け加えるなら、姫は裸の少女を抱き枕に眠り、メイドの口付けで目覚め、食事は時折口移し、椅子に座れば薄着の女たちを侍らせ、しかも恐るべきことにそれらを彼女たち自身から望んでさせたという。実際セリオルーナには周囲を圧倒する才能の他に類を見ない不思議な魅力があり、彼女に惹かれない女の方がむしろ稀であった。当時の貴族は、何があっても娘を姫に近づけない家と進んで自分から娘を送り込む家の真っ二つに割れたという。
これには国王もほとほと困り果てた。女性を好んでいることはまだいい。しかし、男を毛嫌いしているのは見過ごせぬ。姫には男と結婚してもらわなくてはならない。大躍進を遂げた王国の立場としては、セリオルーナの優れた血を受け継いだ継嗣がなんとしても必要だったのだ。また、政治的な意味でもセリオルーナは引く手数多であり、未婚で通すことは許されなかった。
しかしーーここに至ってなお、彼らは姫の才能を軽視していた。
見合いの席を設けるという国王の言葉を、主要な臣下たちが揃う玉座の間で聞いたセリオルーナは、意外にも闊達に微笑むと、こう言った。
「そのようなことを仰るのは世継ぎが必要だから。でしょう?」
国王は発言の意図を理解できず、訝しみながらも首肯した。厳密には正しくなかったが、頷かざるをえない場面、そして空気であった。
「なら」
この後セリオルーナが残した言葉は、至上の金言として歴史に刻まれている。
「女同士でもデキれば問題ないですよね」
有言実行。
彼女は半年後、女性だけで子を成す秘術を完成させることとなる。
この秘術はそのあまりに高次元な作りのために百年を超えて構成が解明されず、セリオルーナの偉大さを示す際に用いられる例となるのだがーーその完成度を、姫はメイドの一人を孕ませることで王家に証明した。
半信半疑であった王家は姫の血を引いた女児が本当に生まれるに至って上を下への大騒動となり、人の前で頷いた手前、国王は姫の所業を認めたのである。
この後、王となったセリオルーナは多くの美しい少女との間に大量の娘を設けることとなるのだがーーそれはさておき。この秘術は、それだけに収まらない波紋を世界中に広げてしまう。
この騒動から暫くの時間も経たぬうちに王が病床に伏し、娘の活躍により無事完治はしたものの、王権の移譲が為されることとなる。そして王冠が銀の髪に乗せられた頃には、セリオルーナは並行して進めていたいくつもの企画を実行に移し、世界を実質的な支配下に収めていた。ただの民間人は知らぬ、世界を裏から掌握する帝王である。更に彼女は世界征服よりも手間をかけて神経質なまでに綿密な育児計画を練り、自らの子、及びその子孫を、内輪揉めと無縁かつ思慮深い賢者として育て上げることを確定的なものとする至高の育児方法を編み出した。セリオルーナの血を継ぐ女たちーー彼女らは後に「世界王家」として惑星の実権を握る存在となっていくーーはそして、これから本当に一度の内乱も起こすことはない。
ともあれ、そんな彼女がそんな風に世継ぎを作ったということも手伝って、世界は女尊男卑の色に染まっていったのである。
これは一種当然のことだった。セリオルーナの浅慮か否か、既に一般公開されていたこの秘術ならぬ秘術は、男の存在を根本的に不要とするものであった。セリオルーナの権力が一般人にも知れ渡ってくる時期になると、彼女に憧れた仲の良い少女たちはこぞって愛し合い子を作り、あぶれた男子たちは臍を噛んだ。女性同士で作った子供は当然、女のみ。男女の均衡は時が流れるにつれ次第に崩れる。絶滅しかけの男性たちと、彼らに組する数少ない女性たちが立ち上げた武装組織が世界王家との戦いに敗れ、消滅するとともに、男性という人種はこの世から消えた。
そうして残ったのは、セリオルーナを祖として崇める、優秀な能力を持ち固い団結力を誇る世界王家と、彼女らを頂点として生活する女性たち。
裏切り者の存在しえない世界王家は、そして世界王家に統率される文明は、その存在に亀裂さえ入れることなく順調に発展していき、当然のように世界を統べ、遂には他世界にまで支配の手を及ぼすに至ったのである。


超高度な文明を誇る少女帝国は、無数の他世界を手に入れんと行動する……。

*2*

ハナは没落貴族の娘として生まれた。
マリアージュ家。一時は栄華を極め、四大貴族の一角に数えられた歴史を持つ名家である。しかしそれも今は昔。当時当主であったハナの祖父にあたる男が関わったとある事件によりマリアージュ家は富を、地位を、権力を、失ったのだ。よってハナが生まれた時には立派な屋敷や典雅な庭、絢爛な家具は既になく、あるのは平民と変わらぬ貧困のみ。ハナは同世代の少女と比べても一際美しい娘であったが、美しさで飯は食えない。幼少期、ハナは平民の子たちに混じって遊び、固いパンと萎びた野菜、稀に肉類という、貴族とは到底思えぬ生活を営んできたのである。
マリアージュ家は没落貴族。しかし没落したとはいえ、貴族は貴族。課せられた義務は果たさねばならなかった。
義務。それ即ち、学生として貴族学校に通うことである。貴族は国から金銭を定期的に支給されており、これは税金から賄われている。この特権に見合うだけの国への貢献をするための前段階として、学生となり学業に励むことは、いかな物臭貴族も守る必須要綱であった。これを断れば貴族として失格と見なされ、何か特別な貢献を果たすでもない限り、金銭支給は止まるからである。マリアージュ家に供給される額は最低級貴族をも大きく下回るものであったが、それでも消えれば暮らしていけない。ハナの両親が仕事をしていればまだ話は別だったろうが、彼らは華の大貴族であった頃の栄華を忘れられぬ者たちであり、自ら食い扶持を稼ぐという発想がそもそも出来ないような人間であった。しかし彼らはけして悪人などではなく、ハナもそんな両親を哀れみながらも慕っていた。ハナとしては学生生活など捨てて出稼ぎの毎日を続けたかったが、そうすれば一家心中の目を見ることは明らかであった。
家を守るために貴族学校へと入学することを余儀なくされたハナ。身なりはみすぼらしいが、彼女は華も恥らう美少女である。学生となったハナは当然の如く、同年代の少女たちから苛烈な苛めを受けた。マリアージュ家は関わった事件のその醜聞性から国家の恥として蔑まれるもやむなし、という考えが貴族たちの間で流布しており、その気風にあてられた未熟な少女が正義の行いのようにハナを攻撃し始めるのは必定であったのだ。更にいうならハナは美しい娘であり、更に更にいうなら貧乏で薄汚れていた。よってハナを毛嫌いしない子供の方が貴族学校では稀だった。
しかしハナは挫けなかった。これがただの少女であれば、幼いながらも世を儚んで自刃してもおかしくない環境である。過酷な日々を気丈に耐え抜いた彼女が小学部を卒業する頃には、その瞳には野で咲く華のような比類なき可憐さが身についていた。
そして中学部。この時分になると同年代の少年少女たちにも分別が付く者が現れ始め、苛めはなりを潜めた。しかしまた一方で更なる悪知恵を働かせ始める者が出始めたのも事実である。特に一部の少年たちはこれまた一部の少女たちと結託し、ハナを陥れ女性として辱めんとしたこともあった。そのような悪意の手をどうにか掻い潜り、中学部を卒業する頃には、彼女にも少ないながら友が出来るようになったのである。
高学部。ハナの人生のうねりが大きく動き始めるのはここからだった。ついに少女としての素質を完全に開花させた彼女は、比肩する者なしと誰もが認めざるをえない美貌を手にしていた。校内にはそんなハナを見初めた無数の男たちが当然おり、更にその中には第二王子がいた。生徒会でも相応の地位に就く彼が公の場でハナを気に入ったことを明言したことにより、ハナを表立って苛む者は、ようやく消えたのである。
しかしそんな彼女に激しい恨みを燃やす少女は多く。そしてその内外に渡る美しさに惑わされる青年たちも多く。彼女は様々な事件の渦中に巻き込まれていく。
貴族の落胤であった元平民の幼馴染、かつて彼女を襲った歪んだ想いを抱く狂犬、騎士を目指すメガネの生徒会長、次期王座を約束された第二王子、ちょびヒゲが渋い白衣の教師、祖父によって封印されていた魔界の王……入り乱れるロマンス。そしてエロス。多種多様な美男子と色とりどりの経験を積んでいく中ハナの魅力は恐ろしい領域に達し、更なる波紋を呼ぶ。正確には美男を呼ぶ。そして戦乱と災禍の波乱万丈紆余曲折の果てに遂に一人の男が彼女の心を射止め、子沢山で経済的にも恵まれた幸せな家庭を築くのであった。
ーーそして生まれた彼女の子たち。
全員が全員、母譲りの美貌を継いだ美しい子供たちであった。彼ら彼女らは母の焼き増しのように桃色のロマンスを行く先々で構築し、多少の犠牲と引き換えに幸せを掴んだ。そして、その子達も。その更に子々孫々に至るまで。ハナの血を受け継いだ人間は平凡とは無縁な山あり谷ありの人生を駆け抜け、因果律に干渉しているとしか思えない奇妙な運命がこの大地に、あるいは空とか海とか闇とか男同士の間とかに無数に生まれていった。
そしてその対価としてこの惑星は荒廃し、魔物が跋扈する人には生き辛い環境へと変貌。
この世界の住民たちは、またある少女にまつわるロマンスとして魔族の領域にある地下深くの遺跡迷宮に眠っていた古の文書に記されていた新たなる希望の世界に皆の想いを結集させたロマンスパワーによって旅立ったのであった。


そしてその後には、荒れた世界と凶暴な魔物だけが残る……。

*3*

アブソリュートは孤児であった。
常人とは質の違う、淡く透ける紫色の髪と瞳。鋭い双眸は獣のそれよりもなお剣呑に輝き、周囲を睥睨する。幼女である。幼女であるがしかし、余りにも圧倒的。尋常ならざる者のみが身につけられる気迫が、その紫の瞳にはあった。
アブソリュートは異様だった。孤児でありながら、一筋の傷もない白い肌を輝かせていた。何故なら彼女は一帯の孤児を完全に支配し、元締めである荒くれ者たちでさえその明晰な頭脳により掌握せしめたからである。肉体労働とは無縁の幼女は、刃より冷ややかに目を輝かせながら、頭ごなしに男たちを動かしていた。彼女はどこから入手したのか定かでない高級な椅子で頬杖を突きつつ、時折鏡で遊んだ。独特の気怠けな声音で為される指示は、薄汚れた集まりを富裕な一大勢力にまで成長させた。彼らが歓喜と安堵に相好を崩すその様子を、アブソリュートは変わらぬ瞳で見つめていた。
幼女が少女になった頃である。引き止める人間たちを尻目に、アブソリュートは旅立った。信頼も慕情もゴミのように捨てての出奔。あまりの冷淡な態度に逆上した孤児仲間を持ち前の怪力で容赦なく殴り飛ばし、出会った時と何も変わらない視線を向けてーー紫の髪をなびかせながら、彼女は森に入っていった。
森。この世界において、そこは妖魔たちが棲む魔境であった。妖魔とは稀に太陽の代わりに昇る「闇の太陽」の眷属であり、人食いの魔獣。無論、常人が遭遇すれば抵抗虚しく胃袋に収まるのは必至である。そのような化け物が跋扈する世界に、アブソリュートは足を踏み入れたのであった。
しかし勿論、考えなしの自殺行為というわけでもなかった。妖魔たちは一様に心臓がなく、あるべき場所には闇色の結晶が鼓動している。闇の太陽の力が凝集した「魔宝石」であるーー。これを人が呑み下すと、その内に秘められし魔性が萌芽し身を蝕み始める。魔性に負けると妖魔と化し人としては死ぬが、もし打ち勝てば魔性の力を己が力として転化することができるのだった。殺人鬼さえ忌み嫌う、これぞまさしく外法中の外法、噛魔の法である。アブソリュートはこの方法で強くならんがため、この森に分け入ったのだ。彼女はただ完璧さを、無窮さを、己に中に求めていた。そして彼女にとってそれに最も相応しく思える要素とは、生物としての強さであった。
しかし、魔宝石の魔性を降すことは、極めて限られた一部の人間だけに許された行為。挑む者の九割九部は妖魔と堕し、人の言葉を忘れて森の獣となる。
今まさに挑まんとする者にとってはあまりに恐ろしい事実である。しかしアブソリュートはそんなことには一切頓着せず、まず出会った小獣の妖魔を拳の一撃で打ち殺し、その腹から抜き出した血塗れの結晶を呑み込んだ。小さめの魔宝石だった。
一説では、魔宝石が溜め込む魔性はその大きさに比例しているという。つまりそれが正しければ、成功率は幾分上がるはず。そのような打算を冷静に働かせながらゴクリと喉を鳴らしたアブソリュートを、衝撃が襲った。思わず地面に膝を突く。胃が熱い。全身の血管という血管をどす黒い氷が満たしていき、血管を内側から突き破って、肉に根を張っていく。そんな感覚。途轍もない激痛の中、アブソリュートの五感は速やかに消えた。目は見えぬ。耳も聞こえぬ。しかし彼女はうろたえなかった。
冷静に黙する彼女に、禍々しい叫びが届く。知性ある生物の中身から恐怖という恐怖を引きずり出す。そのような不気味極まる音声。
どこからくるのかーー否、それは彼女の中から轟く絶叫であった。
(黙れ)
無明の暗黒の中で渦巻いていた怨嗟の慟哭が、更なる唸りを上げた。そのたった一鳴きで、魂が砕け散りそうな咆哮。己の存在そのものが軋むのを感じながら、アブソリュートは自らの内で、闇の太陽のように黒く輝く獣の姿を視た。それはアブソリュートの体に食らいついていた。少女の滴る血液を獣は嗤いながら啜っていた。
怖気立つような戦慄を感じながらも、アブソリュートは慌てず焦らず、洞穴のようなその眼球に全力で手を突き込んだ。突きこんで、己の指が拉げるのも構わず、その中身を掻き回した。
これにはたまらず、闇の獣はアブソリュートの腹から牙を離し、悲鳴を上げて倒れこむ。彼女はその上に圧し掛かり、逆に食らい付いた。本能が導くままに暴れる獣を力の限り殴打し続け、その合間に肉を噛み千切り血を飲んだ。獣の腹部に広めの空洞ができた頃には、食と被食の関係は決していた。骨も残さず、アブソリュートは食い尽くした。
気づいた時には、森の中だった。たおやかな手を握ることで戻った五感を確かめながら、アブソリュートは己が人を超えた力を得たことを知った。
とはいえ、彼女が食らった魔宝石は小ぶりなもの。元の持ち主である妖魔も貧弱であり、これでは人間から片足踏み出した程度に過ぎない。アブソリュートは二匹目の妖魔を探して、木漏れ日の中を彷徨い始めた。
ーー時と場所は変わり、森の深部。闇の太陽を天に頂く禍津の日。黒き陽光が木々に阻まれ暗く澱んだ木漏れ日となって、森の世界を照らす。木々の開けた広間には、一匹の妖魔と五人の猛者。暗黒満ちる空気の中、刃を構え対峙している。
しかし、既に戦いの趨勢は決していた。妖魔の勝利である。背の低い雑草が繁茂する広間には、四の死体が転がっていた。猛者たちの仲間であり、妖魔に一太刀のうちに殺された、人の骸だ。
幸か不幸か生き残った五人の猛者は、額にぬめる汗を伝わせて、後ずさる。相対する妖魔は、妖魔らしからぬ優美な仕草で首を掻いた。
シュテン、という固有の名をつけられた鬼である。元は高名な人の剣士であったとされ、魔に堕ちてからは刃物を持つ者の首を好んで刈るようになったという。血よりも濃い赤と影よりも暗い黒が交錯する艶やかな肌が、流麗な線を描く細身の体躯を映えさせる。二足三腕の仮面相。異形でありながら、その妖魔は確かに美しかった。
不意に、その二本の腕に握った細い剣がゆらりと空気を掻き混ぜ始める。ただ一本、空手の腕が、何か明確な意図を持って曲げられる。典雅ーーその動きはとある合理の極みに到達した者が自然と体現する美。猛者たちは、戦闘を生業とする同業者として、自らの遥か先に在るそれに魅入られた。呼吸さえ憚られる静謐の中、まるでまとまりなく動いていたと思しき三本の腕の挙動が徐々に統一されていき、一つの型を取る。間隙。
そして気づけば、二つの首が宙を舞っていた。
血は飛ばぬ。まるで血液さえもが断ち切られたかのように肉の断面に留まり、生首たちは永らえることなく即死した。
三人になってしまった猛者たちは縛られたように動けない。甚大な恐怖の中、彼らは、何故このようなことになったのかを思い出していた。
彼らは森の専門家であった。妖魔を斬り、森の恵みを持ち帰る戦士。彼らは業界でも熟練とされる者たちであり、請け負った仕事はすべて完遂してきていた。今回も少々難しいだけの依頼であるはずだった。しかし森に入り目当ての代物を入手したその時、空が暗く濁り、闇の太陽が輝き始めたのである。禍津の日。あらゆる妖魔が活性化し、常時は静やかな妖魔でさえ断末魔の如き喝采を上げるという。そして悪寒違わず、彼らの行く手にシュテンという余りに危険な大妖魔が出現したのである。
絶望だった。三人は己の歯が震える音を聞きながら再び妖魔が構えるのをただ見ーー
その時、シュテンが顔を背けた。
仮面のような顔面に光る漆黒の眼球が、三人を外れ、あらぬ方向を見る。張り詰めていた空気が緩み、一体何事かと失禁しつつも思った一人の猛者が、なんとかそちらに視線をやった。すると。
そこには女がいた。
背筋が凍るかと錯覚してしまうほどの美貌であった。妖魔の美を極限まで練り上げられた剣士の美とするならば、女のそれは何ものも切り裂く剛剣の美。紫の髪と目が暗黒の陽光の中でも明瞭に浮き上がる。その肉体はあらゆる意味において整っており、尋常であれば存在する些細な欠点さえ見つけられない。そして女は、そのたおやかな手の中に、髪と同色の剣を握っていた。
シュテンが居住まいを正した。つまり逆説的に、この妖魔は今まで雑な動きしかしていなかったということに、猛者たちは気づかされた。恐ろしい気迫が闇に満ちる。剣鬼と紫色の女は、向かい合った。
妖魔が踏み込んだ。途轍もない流麗さ、そして速さ。無駄という無駄を排した所作で、シュテンは踏み込み、そしてそれよりも早く斬り終わっていた。斬空。虚空に描かれた太刀筋に重ねるように、前進しつつ二の太刀を放つ。宙空に浮かぶ十文字が、紫色の女を襲った。
と、女がいつの間にか上げていた腕を、上から下へ振り下ろした。妖魔のそれとは対極的な、技も何もない力任せの動作だった。しかしその先にあった紫剣がもたらした一閃は、妖魔の二撃を剣と腕ごと粉砕し、そのまま肩から腰を斬り裂いた。
妖魔の上半身がずるりと落ち、次いで下半身が倒れるのを、女は冷ややかな目で見下ろした。
そして不意に歩き出したかと思うと、妖魔の死骸に腕を突きこみ、魔宝石を引き千切ったのだった。猛者たちがあっと驚く暇もなく、女は口を開き、それをガリガリと噛み砕いた。顔色をまったく変えることなく飲み下す。
その魔性をあっさりと従えてしまったのが、傍目からもわかった。
男たちは驚愕する。噛魔の法ーー。冷や汗の中、彼らの顎がかくんと落ちた。
それは外法ではあったが、試した者は生きて帰らぬという意味での外法であり、むしろ成功した者は賛辞を持って迎えられる。あわやというところで命拾いした三人の猛者たちも、女に涙交じりの感謝を述べ、是非とも我が家で礼をさせていただきたいと頭を垂れた。女は鷹揚に頷き、こうして四人は森の外へと行く運びとなったのである。
紫色の女ーー無論、成長したアブソリュートである。彼女は久方ぶりの森の外に感慨を抱く暇もなく、豪勢な歓待を受けた。猛者たちは後進を育てており、部下あるいは後輩とでもいうべき存在が大量にいたのだった。つまりそれを収めるだけの巨大な屋敷に彼女は招かれ、まずは生還できなかった猛者たちの追悼。そしてその後、アブソリュートは祭りの主役となったのである。
この顛末は噂となり瞬く間に広がっていった。何せ、名高いガセルポ一団が危機に陥ったところを、通りがかりの女性剣士が救ったという美談である。噂は領主の耳に入り、そしてそこから貴族たちの知るところとなり、ことが起きてから暫くも経たぬうちに王が興味を持つに至ってしまった。彼はかつてガセルポ一団に私事を依頼しその仕事様に感服した経験があったのである。その彼らにして「これぞ英傑」と称える女とは何者か。王はひどく心惹かれた。何か召還するに相応しい理由はないものか、と彼が唸っていたところに、噂の人物が森から現れた悪竜を退治したーーという報せが届いた。
王城に呼ばれたアブソリュートは、またもや祭りの主役として扱われることになった。大妖魔を単独で撃破するつわものである上に、空前絶後の美女である。出席した貴族たちの誘いの言葉は絶えなかったが、彼女はそのすべてを取り付く島もなく却下した。祭りは連日連夜催され、何が気に入ったのかアブソリュートは毎回出席したが、彼女に魅了される者は後を絶たなかった。年頃のお坊ちゃんは勿論、妻帯者の当主、果ては少女までもが誘蛾灯に対する羽虫のように惹かれ、焼き尽くされた。そんな中で、好色で知られる王の息子が動かぬはずがなかった。
四日目の夜、事件は起こった。宴も酣、腹も満ち弛緩した空気の中、皆が穏やかな表情を浮かべて談笑していた時である。酒を嗜んだ王子がなけなしの理性を失い、アブソリュートに手を出そうとしたのだ。彼は彼女に向かって居丈高に愛人となれと命令した挙句、その瑞々しい唇を奪おうとした。それはまだ経験と落ち着きの足りない少年じみた情緒に不相応の権力を持ってしまった青年の、いうなれば若気の至りであった。しかし容赦はなかった。
ことが成る直前、アブソリュートの白い拳が王子の顔面に深くめり込み、吹き飛ばした。宙空で、白い歯が燭台の炎のもとに煌いた。
かくしてアブソリュートは追われる身となった。
王族とは面子で生きる者。それが潰されては国の一大事である。彼女は指名手配され、賞金をかけられた。数多の追っ手が紫色の女に挑んだが、しかし精鋭と謳われる王宮騎士でさえ歯牙にもかけられなかった。彼女の白い肌に傷一つつけることも出来ず、誰もが敗れていった。驚くべきことに、このような状況にあって、彼女は都の一角で普通に家を構えていたのである。度を越えなければ人殺しは為されない、というその行動則が酷い嫌がらせを抑止した。アブソリュートが外出する度に、律儀に門前で待ち構えていた騎士たちや賞金稼ぎたちが闘いを申し込むという光景が毎日のように繰り広げられた。
そんな中、彼女は時折森に潜っていくことがあった。当然のように生還し、ひょっこりと都に顔を出す彼女は、その度に凄みが増していくように人々には感じられた。事実、彼女は無数の妖魔を打ち倒し、その魔宝石が蓄えた魔性を己の力として吸収していた。
彼女は年をとらなかった。国が流した悪名は時間と共に形骸化していき、反対に彼女は幾つもの勇名を轟かせていく。魔人、滅竜の剣士、逆理の徒、紫水晶。そして……|絶対者《アブソリュート》。
彼女は他者を寄せ付けなかった。友人、恋人、仲間。そのすべてを価値なしと吐き捨てて、アブソリュートは生きた。
その生き様、まさしく孤高。弟子もとらず子も設けず、差し伸べられる手を斬り払い、紫色の女の瞳はただ強さのみを追い求める。童話に名を連ねるような妖魔は、歴史の舞台に彼女が登場してから百年を待たずに全滅した。完全を求めて闇を喰らう者、それがアブソリュートという生き物だった。彼女は後に闇の太陽をも落とすことになるのだがーーこれは完全な余談である。
幾百の歳月が過ぎて……この世界に飽いたアブソリュートは、別世界へと旅立った。


紫水晶の魔人は、更なる強さを求め数多の世界を彷徨う……。




後編 トライデント/奪空のアルラスト 
へ続く(つづかない)




(  ´・ω・) いきてます。

(  ´・ω・) いやあ。息継ぎせずに喋りきったみたいな文章っすね。
これはですね、説明すると、前編/後編/後後編 の予定だったはずの……うん、そいうのはどうでもいいね……その……なんだ……あれです。じかんかせぎっていうか……。
はい。
色々のはチマチマ書いてるので近いうちに更新できると嬉しいなって、そう思っております。踏破とか。剛刀2は……その後かな。プロットが昨日やっとでけたのです。

(  ´・ω・) 待っていただけているといった感想をくださった方々は……どうもすみません。本当にありがとうございます。エタる気だけはまったくないです。はい。

(  ´・ω・)ノシ では、次の更新でお会い……できたら幸いです。








後編 トライデント/奪空のアルラスト
***@


「うっひょおおぉぉぉおおおおおっ!」
鈴の鳴るような少女の声が響く。
喜悦に満ち満ちた、幼げな声調。
魔界エステゲリアーー砂の混じった風と凶悪な魔物が支配する世界。過去は一般的な人間界であったとされるが、現地人たちの行いによって環境は破壊され今の惨状に至ったという。空は灰色に濁り、澱んだ雲の合間から細く散発的に差し込んでくる陽光でさえどうしようもなく腐敗しているよう。大気は害されている。
そんな荒廃した大地に、鋼の塊が奔っていた。後方に砂煙でできた長大な尾を曳き、三機の機械兵器が砂上を疾駆している。
その後方には、巨大な肉塊。長く細い、芋虫のようなフォルム。青黒い肉の塊が、全身の筋肉を蠢かせながら、その外見からは想像できない速さで機械たちを追跡している。
そんな、総勢四の集団が砂漠を猛進していた。彼らの道路となったラインには足場として弾き飛ばされた砂塵がもうもうと舞い、澱んだ日光を遮る。
肉の塊が鳴いた。金属を共振させる怪音。頭部と思しき、無数の肉腫と触手を備えた先端部が仰け反る。
瞬時、すべての肉腫が数倍に膨れ上がった。触手が小刻みに震え始める。前進速度は微減した。しかし、それを帳消しにして余りある何かが起きようとしていた。
反り返りが遂に限界に達し、肉の塊が何事かを為そうとした、その瞬間。
「やらせなぁぁーーーーぁぁあああいッ!」
いつのまにか転進していた機械の腕が、その剥き出しの腹に突き刺さった。込められたあまりの運動エネルギーに、命中部分のみならず、その周辺の肉もがごっそり消し飛ぶ。
化け物のものでも明瞭にそれとわかる明確な悲鳴が、澱んだ大気を震わせる。
しかしこれで終わりではない。ごぎゅ、と世にも不気味な音を立てながら、機械の腕はその先端を更なる深奥へと回転・穿孔させた。仰け反る肉の塊の体が、Z字に折れ曲がる。
まさか、このまま背面まで貫通せしめるつもりなのか。観る者がいればそう思っただろう。
否、これはただの固定であった。
「破壊拳!」
高らかな、少女の声。
機械兵器の背中側へ引き絞られていたもう一方の腕が、唸りを上げた。猛然と空気を穿ち、朱色の光を纏いながら、突き刺す片腕の隣に着弾するーー。発光。爆発。大音響。眩い光が過ぎ去った跡には、両腕を前に突き出した機械兵器と、砂上に転がる二つの肉の塊があった。
二つ、といっても繋ぎ合わせたとしても元通りの姿にはならないだろう。そうするには失われた体積が多すぎる。これが、機械兵器の一撃が為した結果であった。
撒き散らされた膨大な体液で固まった砂を崩しながら、二機の機械兵器が集まってくる。
芋虫型の魔物を撃破した機械兵器の操縦者ーーカサネは、機械兵器の操縦席で、満面の笑みを浮かべた。
「やった!」
二機の機械兵器が停止すると共に、前面のスクリーンに二人の少女の姿がポップアップする。
「やったね」
と寝ぼけ眼の少女。
「さっすがさすが」
と表情が乏しい幼げな少女。
「ハーク、レム、もっと褒めてもいいよ!」
カサネは太陽のようなーーそれこそ、この世界の澱んだ太陽よりも余程輝かしい笑顔を見せる。
カサネ。短めの茶髪に、橙色にも見える茶眼。
ハーク。薄紅色の長髪と半眼、浅黒い肌。
レム。青と赤に輝く髪、くりくりとした金眼。
三人とも、無数の世界にありふれた大多数的価値観でいえば恐ろしく麗しい少女だった。しかし彼女たちは何も、逸脱して容姿に優れているわけではない。あくまで一般的な可愛らしさである。
「少女帝国」の民は他世界の人間と比較して、異様に容貌の平均値が高いのだ。
|少女帝国《アルラスト・セリオ》。
近隣世界群における支配者。元々は一般的な人間世界を構成するただの一国家であった。しかし偉大なる「祖」、セリオルーナが生誕したことで瞬く間に発展、元世界を掌握し「世界の外」に進出。その強大な軍事力で数多の異世界を実質的な支配下においてきたのである。この不毛なる世界エステンゲリアも、少女帝国が伸ばす侵略の手に覆われたうちの一つーーというわけだった。
カサネ、ハーク、レムの三人は少女帝国の兵士であり、お国のために蔓延るモンスター駆除の任務を負っているのである。
といっても、少女帝国が持つ、他世界の追随を許さぬ超科学力の前では、大概の障壁は無いも同然なのだが……。しかしそれでは兵士たちの能力を向上させたい少女帝国としては困るので、機械兵器を始めとした武装の性能に制限をかけ、侵略と訓練とを同時に行わせているのだった。
そしてたった今、彼女らはノルマを終えたところであった。


続く(つづかない)
コメント全11件
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一ヌキ末
2015年01月03日 23:45
>100㌔ 氏

(  ´・ω・) あれは色々な意味で問題作でして……軽々しく出すべきじゃなかったなと反省している次第です。面倒くさい真似をしてどうもすみません。

(  ´・ω・) ちなみにノクターン級ではありませんね。はい。


>shez 氏

(  ´・ω・) ありがとうございます。

(  ´・ω・) そして待たせてしまって申し訳ない。

( 〃´・ω・) でも待ってくれて私うれしい。
若葉
2014年12月12日 13:36
凄く面白かったです(小並感)

踏破の続き、心よりお待ちしております!
100㌔
2014年12月07日 23:19
発情兎はノクターンに引越しかな?(ニッコリ
一ヌキ末
2014年12月06日 20:58
>いりじうむ 氏

(  ´・ω・) とても嬉しいお言葉です。そのお一言で十年は戦えます。……いやマジで。

(  ´・ω・) これはちょっと自信作だったのでガッツポーズな感じです。ぺっこりん。



>SH 超絶大明神様

(  ´・ω・) 続きます(つづきません)



>まかべ 氏

(  ´・ω・) 過分なお言葉、光栄です。これからも精進していきたいと思っております。

(  ´・ω・) ほほう、アブをですか……興味深いです。

一ヌキ末
2014年12月06日 20:42
>丘/丘野 優  氏

(  ´・ω・) はい……



>ユー 氏

(  ´・ω・) そうですよね。いきなりなにかって話ですよね……。私もそう思います。

(  ´・ω・) ご丁寧にありだとうございます。がんばります。はい。



>sina 氏

(  ´・ω・) ありがとうございます。励みになります。
まかべ
2014年12月05日 20:15
あなたがTS神か
どれも面白いがアブソリュートが特に最高に好き
SH
2014年12月04日 19:04
えっ?
つづかないの!?

えぇぇーー!!
いりじうむ
2014年12月03日 20:59
剛刀2はよとか色々あった気がするけどなんかもう一ヌキ末さんの作品読めればそれでいい気がしてきた

面白かったですぅ(ビクンビクン
sina
2014年12月03日 20:12
待ってます
ルーナ
2014年12月03日 19:46

いきなり何かと思いましたが踏破の更新とか剛刀2とかも至極楽しみですがこれはこれで至極面白かったです。

次回の更新をお待ちしていますね。
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