2015年01月03日 (土) 23:39
( ´・ω・) あしたかあさって、しあさって。
( ´・ω・) そのくらいに、更新するよ。
(侘 ´・ω・) それと、ずっと前に書いたtsについての記事ですが、あれはなんとも不完全でありました。今は少しマシなts境地にあると自負しております。しかし長くなるのでそれはまた別の機会をお借りすることに致しまして、ではごめんなさいのアレです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
混沌の新天地
.
くすんだ空が視界に広がっていた。
曇っているのに無闇に高い位置で蠢く空の灰色。塵と水分とに憂鬱と退廃とを混ぜ合わせたような色。
上下を目蓋に、四方を黒ずんだ建造物に囲まれた、狭い空。
空に手を伸ばしても届かないのは当たり前だが、この空はそうしようという気すら浮かんでこない。
そんな視界。
「あ……?」
喉が上下して、裏返った声が漏れた。
少し、苦しい。
まず最初に頭に浮かんだのがそれだった。
次は疑問。
(なぜ?)
錆び付いていた脳みそが、疑問という油を浴びて回り始める。
なぜって、それは……。
(それは、上を向いているからだ)
そこで俺は、自分が仰向けに寝転がっていることに気づいた。
息が詰まる。ごほごほっと咳き込んで、身を起こす。
いや。
正確には、起こそうとした。
片手をついて、首をもたげて、眉をしかめながら。
目に映ったのは、視界一面の蛙の顔面だった。
思考が停止する。
俺と向き合ったその蛙は、げこげこげこと鳴いた。
俺はぽかんと、そいつを見つめていた。意味のわからない展開に、驚愕や恐怖といった諸々の感情がついてこない。代わりに、心の奥底からふわふわと湧き上がった感想が頭の中をいっぱいにした。
大きい。大きいな。とんでもなく巨大な蛙だ。俺よりも明らかにでかいぞ。
いや、蛙じゃない。人間のように両足で立っている。二本足で立って、半分体を起こした俺にずいと身を寄せているのだ。
なんだこれ。特殊メイクか?
思うが、両生類独特の光沢を見せるその肌は、あまりにもリアルだった。
呆然としていると、蛙が再び鳴いた。さっきと違う鳴き方だった。
何かしらの意味を含んだと思しき一繋ぎの発声は、俺には理解できない。
げこげこげこ。
げこげこげこげこ。
「……わっかんねぇよ!」
戸惑いの言葉は、ヒステリックに響いた。
きんきんと震える、少女の声音だった。
自分の唇から出た音の聞きなれなさに、意識が二度目の空白に染まりあがった。
突然、衝撃が胸を突いた。息ができなくなる。蛙の顔面からくすんだ空へと視界が移り変わる。
背中に痛みが奔ったかと思うと、また蛙の緑色の面が視界に入ってくる。
近い。
臭い。
蛙が俺に圧し掛かってきていた。
空気という空気が肺から追い出される。折れる寸前の小枝のように骨が悲鳴をあげた。痛苦から逃れようとしても、でっぷりとした腹の質量が、俺の腹部を踏みつけて固定している。
痛みに顔を歪ませつつ、俺は眼球を動かす。つらいことはつらいのだが動揺し損ねた感じだった。心から剥離しかけていた怒りとか恐れとか驚きとかいうものが、さっきの衝撃で喉元から口の外にすっぽ抜けていた気もした。
蛙は、ここは普通の人間のような片手で、俺の体をまさぐりながら、もう一方の手で自分の股間辺りをごそごそとやっている。というか、俺は裸だった。病的なほど白い肌が、蛙の巨躯を包む薄汚い布の下に広がっている。
俺は、俺のものとは思えないその華奢な体と心配になるほど白い肌を今気にしてもしょうがないので意識の外に追いやって、蛙の隠れて怪しい動きをする腕を注視することにした。不気味な脂肪の振動と共に、それは小さく動いている。
パチン、と金具が外れるような音が響いた。
蛙が俺の体を撫で回していた片手も動員して、両手を腰に回す。その太過ぎる腹を覆う布が、ぱさりと地面に落ちた。
そこからずるんと肉の塊が垂れ下がるのが、辛うじて見えた。
だいぶ不気味な感じにひしゃげているが、位置とか仕草とか色々なことから考えるに、それはおそらく陰茎だった。
俺はちょっと考え込んだ。なんだか状況に反していやに冷静なのは自分でもわかっていたが、別に損してるわけでもないのでまあよかった。
冷静な俺が言う。そうするとだ。こうなるわけだ。今の俺は何故だか女みたいな具合で、裸で、蛙のような何かに押し倒されて、そそり立った一物を突きつけられようとしている。
ドカン。衝撃は理解より随分遅れてやって来た。
頭蓋骨の中の脳みそを、血の色をした刃のような電撃が貫いた。それは轟音と共に俺の中にあった大事な何かを消し飛ばした。押し潰される痛みも新たに追加された鼻が曲がりそうな臭みも、綺麗さっぱり全部どこかに洗い流された。
げこげこげこ。
今、蛙は両手両足を広げる俺の下腹部に覆い被さるようにして鳴き声を高らかにあげている。
やや前屈姿勢で俺に体重をかけていた蛙は、両手で股間をごそごそやりながら、少し身を離した。圧迫感が失せる。横に割れた瞳を俺の下腹部に向けて、蛙はまたげこげこと鳴く。
俺は渾身の力を込めて、右足の膝で「それ」を横から蹴り飛ばした。
喉に巨大な異物が詰まったような声を出しながら、蛙が姿勢を崩した。ひらいた空間を縫うようにして、俺は蛙の股間の下をくぐる。一瞬先まで俺がいた場所に、蛙の巨躯が倒れこむ。俺は両足で立って、それを見下ろした。
ここから見れば、先ほどまで俺が寝転んでいたそこは、焦げた木片から蝿がたかる生ゴミ、煤けて破れた布まで積まれたゴミ山だった。
俺は蛙の両足の隙間から僅かに覗く肉の塊に、力の限りの踵落としを送った。踵落としなんて真面目にやったことは勿論これが初めてだったが、白くて滑らかで見覚えのない足の角は、狙い過たず潰れてない肉を潰れた肉にした。俺は下げた脚を上げて、今度は足の裏で踏みつけるようにして振り下ろした。
一回。二回。三回。四回。とにかく沢山。
いけないことだ。度の過ぎた暴力だ。正当防衛の域はたぶん大幅に超えちゃってるだろう。勿論、こんなことしたこともない。できなかったし、やれといわれても無理だった。でも俺をそんな感じにしていた何やかんやは、さっきの衝撃で全部消えてしまったようだった。
気づけば、足の下にはハンバーグの種じみたものがべっとりと広がっていた。違うのは水気の多寡だろうか。べちょべちょで美味しくはなさそう。でも、新鮮さではこちらのほうに分がありそうだ。そんなことを考える自分に驚く。驚いたとはいってもやはり上滑りした感情の動きで、なんだかまだ半分寝ているような夢心地での緩慢なびっくりというか、そんな感じだった。口から飛び出した感情の塊が収まるべきところに収まらなくて空中でぷらぷらしてるようだともいえる。
蛙はごみ山にうつ伏せのまま痙攣している。少し背伸びして見てみれば、その目玉は裏返り、開いた口元には異様に長い舌と流れる夥しい唾液があった。血の気は、引いているのだろうか。蛙の顔色などわからない。ただ、しばらく目覚めないであろうことは確かだった。
俺は蛙を横目に、ゴミ山を物色し始めた。肌寒いし、裸でいるのは得策ではなさそうだった。
比較的悲惨ではない布を探し当てて、想像もつかない汚れでまだら模様に染まったそれで体を包む。どこの風来坊かといった格好だった。平時なら大金を積まれてもごめんだが、裸よりはマシだ。俺は前屈姿勢を止め、顔を上げてあたりを見回した。
俺の思いつく言葉で例えれば、そこは薄汚い裏路地だった。左右を、乾燥した質感の背の高い壁が防ぎ、長い直線状になっている。直線にはところどころゴミ山が築かれていた。どうやらゴミ捨て場として利用されている場所の様子。
前と後ろに、裏路地の出口が見える。少し迷って、俺は人影の多い前方へ行くことにした。分厚い皮のようなものを足に巻きつけ、鋭い木片や釘を避けて出口へと到達。顔だけひょっこりと路地から出す。
雑踏、を何倍かに希釈したような人の数だった。開けた道路。露天商と思しき者たちが風呂敷を広げるだけの店を構え、やる気のなさそうな様子で人の流れを眺めている。いかにも荒事慣れした風体の男が殺伐とした空気を漂わせながら歩いている。豊満な体つきの女が肌も露な格好で秋波を送っている。軽薄な格好と笑みを纏った人間が泥と麻薬の混合物のような瞳を細めて闊歩している。人ごみと呼べるほど多くはないのだが、雰囲気はまさしく雑然としている。音もタイミングも違う足音が忙しなく響き、小規模な繁華街の様相を呈していた。
俺は顔を引っ込め、踵を返して来た道を戻り始めた。理由は幾つかある。
まず、蛙ではないがあからさまに人間ではない生物が先ほどの光景に紛れ込んでいた。翼が生えた者、巨大で毛むくじゃらの者、比喩でなく枝のように細長い者。第二に、言語。言語が知らないものだった。まったく耳慣れない響き。そして露天商の一人が掲げていた看板の文字。同じく見たことがない。
ついでに、衛生観念の発達していない地域特有の薄汚れた地面と雰囲気。
まだ色々とわからないことだらけだ。でも確かなのは、ここがまったくの別天地でどうやら治安が良くないなということだった。いつもならパニックになっているだろう脳みそは、熱する感情がないせいで相変わらず冷えたままだ。幸いだろうか。幸いだろうな。考えながら、引き返して元のゴミ山まで戻ってくる。俺はいまだ倒れている蛙に歩み寄り、その懐を探った。
足首に引っかかっているズボン、背中のポケット、生ゴミと蛙肉に挟まれた胸ポケット。見つけられたのは幾つかの金属貨幣、くすんだ色合いの懐中時計、そして一振りのナイフだった。ナイフなどは、ほとんど短剣といってもよい大きさのもので、錆びひとつなく、同じくよく手入れされた鞘に収まっていた。元の持ち主には似つかわしくなく美しい。
左右から誰も来ないこと、蛙がよく寝込んでいることを確認して、俺は考え込んだ。手には先ほど入手した大振りのナイフがある。
目の前はこいつは目が覚めたとき、自分の股間を潰した相手に復讐しようとするだろうか? その時の危険性は? そうできなくした場合、こいつが所属している組織のようなものが存在して、面子を守るとかそのような理由でそこから追われたりはしないだろうか? それから身を守る方法は? 誰が殺したかわからなくすれば、あるいは失踪したように見せかければどちらの可能性を考慮しても大丈夫だろうが、その手段は? 俺はどうするのが一番正解なんだろう?
顎元を手で擦りながら、馴染みのない思考に、俺はしばらく没頭した。
まあ、そういう組織があるとして、俺みたいな人間に復讐の手が来るのは舐められないためだろう。何故舐められたくないかといえば、こいつは攻撃しても反撃しないぞと見なされれば後は奪われ続けるだけになるからだ。では俺の行為は「舐められた」に該当するだろうか? しないだろう。裸の女を強姦しようとして股間を潰されたというのあまりに間抜けで、かつ個人的な顛末だ。組織に損害が波及するような話ではない。馬鹿が馬鹿したというだけの笑い話で済まされるだろう。組織の一員として動いている人間を殺したというのなら殺し返すしかないだろうが、プライベートなお楽しみに失敗したメンバーの尻拭いは流石にすまい。
何もしないのだベストだ。
殺してしまえば特大の反撃が返ってくる可能性がある。そうしなければ、こいつがびびってくれる目もあるかもしれない。俺が事の顛末を吹聴しなければ、その可能性は高まるだろう。
蛙本人からの復讐だけを警戒して終わりにすることにして、俺はずっと棚上げしていた疑問に、ようやく手をかける。
澱んだ空を見上げて、一言。
「ところで一体、どこだここ」
聞き覚えのない声が空に消えていった。
.
とにかく、さっぱり右も左もわからない。
俺は顎先に指を這わせて考える。ここはどこなのだろう。距離が離れていればいるほど風土や文化が違いが出てくるのは、これは自然の摂理だろうが、地球の裏側でもここまで違ってきはすまい。というかそもそも地球なのか?
再び路地から顔を出し、大通りの観察を再開する。
言葉がわからない。この地域についての知識もない。頼れる知人もいないし、起死回生の良案が浮かぶわけでもない。そう、浮かばなかったのだ。なので、こうなれば道はひとつだ。
なるたけ目付きが荒んでいない人を見つけ出して、ボディランゲージで世話になる。
俺は何もわからない。何もわからないのなら、わかる者を頼れば良い。簡単な理屈だ。
まずは金。金銭を得る術を確立しなければならない。食事に寝る場所、衣服に安全。何を得るにも金が要る。そのためにはまず、堅実な金稼ぎの方法に繋がる情報を与えてくれる人間を探し出さねばならない。
条件その一。並程度に稼げている者。
条件その二。俺に危害を加えない者。
あとできれば条件その三。怪しい女に優しくできる者。
時が流れる。足音と話し声のさざなみ。人影が揺れ、互いに交わり離れていく。
暫く体制を維持してから、俺は体を路地裏に戻した。
(わからん)
条件その一を満たす人間はわりといる。それが平均なのだから当然だ。問題はそれ以外だ。見分けられない。そこまでの人物観察眼は俺にはなかった。優しげな表情の人間というだけならちらほらいるが、本物か偽者かの判断がつかない。運良く本物の優しい人に当たればいいが、もし優しい顔をしているだけの偽者に当たったならば、暗がりに連れ込まれ身包み剥がされーーというお呼びでない展開が待ち受けているかもしれない。そういう輩を不意打ち以外で撃退できるとは思えないので、絶対に避けねばならない。いや、今の俺に剥がす身包みがあるかはおいておいて、対抗や反撃の手段に乏しい現状でそういった状況に臨むのはあまりに危険だ。
妙案が浮かぶでもなく、俺はその場で立ちぼうけた。蛙の様子を定期的に確認しつつ頭を捻るが、出てくるのは小粒な思いつきばかり。
駄目だな。
こういう時は、一度頭の中身を空っぽにするべきだ。
飢えや眠気といった欲求が押し寄せてくる前に急いで考えなければならないあれやこれやの全てを放り投げて、俺は路地に身を戻した。壁に背中を預けて、雑踏の喧騒に耳を傾ける。
さざなみのように、ひいては寄せてくる無数の物音の連なり。砂利と靴底が擦れるあの音。金具同士がぶつかるやかましいあの音。交差する笑い声の浮き上がるような抑揚に、何事かを糾弾する苛立たしげな早口。知らない世界に知っている音を見つけて、俺はいつしか、瞳を閉じて聞き入っていた。
その声が聞こえたのは、いつだっただろうか。
『あら、珍しい感覚だと思ったら』
俺は素早く目を開けて、顔を向けた。
路地の入り口から、ひとりの人間がこちらを見ていた。
ざっと視線を巡らせる。
女だ。大人。健康的で身なりが良い。外套の陰に黄金の装飾品が見える。顔は非凡に整った造作で、瞳がーー赤く輝いている? いや、違う。今気にするべきはそこではない。俺は思考の向きを修正する。
大事なのは、この女性が俺に理解できる言語を喋ったということだ。
『あなた、生まれ落ちたばかりでしょう? どうすればいいのかわからないのね』
俺の口が開こうとするのを、女性の言葉が遮った。その赤い唇は閉じたままだ。どういう原理だ。
考えても答えが出そうにないので、俺は彼女の台詞に集中する。
『そうね……その短剣、私に譲ってもらえないかしら。その代償に、これを』
不思議な声だった。音というには憚りがあるほど澄んでいる。まるで空気を震わせていないかのよう。
女性は懐に手を入れ、何かを掴み出して、こちらに見せた。
短剣。蛙から頂戴したこれか? 考えながら、その白い手元に視線を移す。
黒い短剣だ。
雑踏を歩く誰かの持ち物に反射したのだろう、鋭い光が一瞬だけ路地に差し込んだ。その光が短剣を貫く。艶やかな黒色が紫色に変じ、青い輝きを帯びる。よく見れば影が出来ていない。明らかに普通ではない物品だった。
「これは?」
女性の瞳を見つめながら尋ねる。
彼女は、その宝石のような赤い双眸を暗がりの中で輝かせながら言った。
『神器。神の破片。魔境の宝。魔術の源。……うふふ。これを持って魔境に行きなさい。あなたにぴったりのものだから、魔物もうまく倒せるでしょう』
「それが俺の稼ぎになると?」
『ええ。ええ。そう思うわ』
「この会話はどうやって?」
『あら。うふふ。ごめんなさいね。これは他の誰かに再現できるものではないの。だからあなたには普通の手段で言葉を覚える必要があるわ』
眼前の怪しげな女性が何者か、まだわかったわけじゃない。しかしーー富裕。好意的。知識階級。そして意思疎通が可能。
もうわかっていた。
千載一遇のチャンス。今俺の目の前にあるのはそれだ。
おそらく二度とは訪れない好機に、俺の頭は他のすべてを投げ捨てて回転を始めた。
何を訊くか。最優先課題は、最低限知っておくべき禁忌や常識。次に収入を得る手立てと貨幣の価値。これだ。まずこれだけはなんとしてでも押さえなければならない。今を逃せば、彼女が今まさに言った通り、言語を習得するまでそれらの情報なしで生きていかなければならなくなる。金銭を得る手段とその使い方については暮らしていくうちにわかるものもあるだろうが、絶対にしてはならないとされていて破れば重い罰が下されるだとか、何々をすることは死に直結しているだとか、そういった規則や知識は言葉で説明されなければ理解は難しい。実体験でもって知るというのは御免こうむる。
「綱渡り」から「危ない橋を渡る」程度には転がすことが出来るこの幸運、通り過ぎていくのをただ見ている手はない。
「ということなのですが」
俺は短く言った。我ながら言葉足りずにも程がある台詞だ。普通の人間を相手にしていたなら怪訝な顔をされただろう。そこの雑踏の人間だったなら言葉さえ通じなかっただろう。だが。
『賢いのね。私がわかることに気づいている……』
感心したように、女性は上品な仕草で驚いて見せた。
女性が思考を読むといった超能力めいたことが出来ることは、二言めの核心を突いた台詞と、ここでは俺しか理解出来ないはずの俺の言葉に応答したことから推測していた。蛙が二足歩行しているような世界とはいえ自分でも半信半疑だったが、これで確定だ。目の前の女性には、いわゆる読心能力がある。ここにはそういった類の力が存在する。信じがたいが、そう考えたほうが自然だ。
女性がどこまで「読める」のか定かでないので、俺は、丁寧に文章を読むようにして伝えたい思考を頭に思い浮かべた。ごますりにならない程度に敬いの修飾もしてある。もちろんその下にあるこの考えまで筒抜けならば稚拙に思われるかもしれないが、返事を聞くに気に入ってもらえたようだった。
ああ。頭が冴えている。
やることは簡潔だ。
聞きたいことを聞き出すまで、女性の機嫌を損なわないようにもっていく。
会話が長くなればなるほど地雷を踏み抜く可能性は高まるだろう。彼女はいかにも不敵な雰囲気で何が嫌いな性格なのかが推測できないので、あまり長話にならないようにして、この好感が持続しているうちに今後も話を聞けるように渡りをつけたい。
考えながら、いや、それは叶いそうにないな、と同時に感じる。この女性は会いたい時に会える存在ではない、と直感が告げている。感覚に遅れて女性の外見を改めてみると、確かにこれは雑踏の人間たちとは一線を画す存在だ。貴人が気紛れで俗世に降り立ったという雰囲気が、とてもする。
長話は危険。再び会えない可能性大。
方向性を修正する。最低限の常識だけをさっと教えてもらって終わりにしよう。確実性優先だ。
金銭関連は切り捨てる。後で情報収集をやってやれないことはない。
よし、まとめあげろ。女性をわずらわせないような質問を捻り出せ。それをきれいに整えて、意識的に思い浮かべろ。
できない気はしなかった。かつてない速さで脳みそが駆動する。一秒が永遠に引き延ばされる。
長い長い一瞬の後、俺は尋ねた。
つづく