(仮)37話
2024年11月02日 (土) 20:54
実はこの連載を始める前、なろうとムーン、どっちにしようか迷っていたんです。でもムーンで連載できるほどえちシーンは多くないし、かといってなろうではカットしなきゃいけないし。帯には短いし、たすきには長いしって感じです。もどかしい。


(仮)37話『タイトル未定』視点:夏妃
*********************

 琉生と合流後、三人で松田さんの伯父さん夫婦が経営するカレー屋さんで晩ごはんを食べた。話すことが好きな松田さんが一緒だったため、私も琉生も会話の主導を松田さんに渡し、今朝のやり取りについては互いに一切触れなかった。

 松田さんが私と琉生の今朝のやり取りを知っていると思ったのは、どうやら私の勘違いだったみたいだ。けれども私たちの仲の良さを強調してくるような言い回しが何度かあったから、私と琉生の間に気まずい空気があることには気づいていたのかもしれない。

 自宅マンションまで送ってくれた松田さんとは地下駐車場で別れ、琉生と共に居住階に上がるエレベーターに向かう。二人きりになっても琉生は一言も話さず、私も黙ったまま琉生の後から庫内に乗り込む。でもこれはいつものことで、自宅マンションの共有エリアでは、琉生はいつもサングラスとキャップで顔を隠しているし、極力声を出さないように気をつけているから。

 とはいえ、自宅に戻ればこれ以上先延ばしはできない。けれども一体何から話せばいいか、私はまだ決めかねていた。

 そんな私たちの後から、中年の夫婦らしき男女が乗り込んでくる。身なりや雰囲気も上品な男女は、琉生の身長の高さや体の大きさにちらりと目を向けたものの、じろじろ観察するようなことはなく会釈だけを寄越してくる。私と琉生も同じく会釈だけを返す。そして互いに黙ったまま、上昇するエレベーターの中で静かに過ごす。こういうとき、ここの住人のマナーの良さや気遣いの高さにいつも感心してしまう。

 男女が先に降り、私たちは最上階でエレベーターを降りた。このフロアには琉生が購入した部屋しかない。だけどエレベーターフロアにはいつも豪華な生花が飾られているし、目の詰まったふかふかの絨毯が敷き詰められている。ここに受付カウンターがあれば、今日訪れたYAMATOの社長室があるフロアと同じくらいの豪華さだ。

 これが自宅なのだから、感覚がおかしくなってしまう。
 ふっと嘆息していた私に、琉生が声をかけてくる。

「夏妃」

 すでに玄関の扉を開けて中に入りかけていた琉生が、突っ立っていた私をじっと見ていた。専用のフロアに入ったため、サングラスは外されて、胸ポケットにひっかけられている。

「あ、ごめん」

 たっと駆け出し、琉生が押さえてくれていた扉を通って中に入る。けれどもそんな私を琉生がちょっとびっくりしたみたいな顔で見てくるので戸惑う。

「……え、なに?」
「いや……」

 扉を閉めた琉生が、わずかに視線を下げる。

「……入るの、ためらってんのかと思ったから」
「え?」
「今朝、お前を脅すようなこと言っちまったし」
「あ……」

 脅すというか、アレはどちらかといえば熱烈な……

 どう返せばいいか困っていた私の前で、琉生がキャップのツバをつかんでぎゅっと下げる。琉生がバツの悪さを感じているときの仕草だ。

「その、悪かった。いろいろ言い過ぎた」
「ううん、私のほうこそ……」
「いや、俺が全面的に悪い」

 琉生はキャップのツバをつかんだままで、目が見えない。

「琉生」

 一歩踏み出した私は、ぴたりと琉生にくっついた。そして身長差を利用して下から琉生の顔をのぞきこむと、キャップの下で琉生の目が大きく開かれる。

「何……」
「すぐに返事できなくて、ごめんね。他の誰かと結婚しようなんて、考えてないよ」

 両腕を精一杯伸ばして、琉生の腰にしがみつく。そして頭をこつんと琉生の胸の押しあてた。

「……だけど琉生は私のためにいろいろなことを変えてくれたのに、私だけ何も変わってなくて。だからちょっと、焦ってたんだと思う」
「夏妃……」
「あのときどうするべきだったのか、これからどうするべきなのか。考えれば考えるほど頭がぐちゃぐちゃになっちゃって……」

 数時間前のやり取りを思い出す。琉生は松田さんに、私のことをタフだと言い切ってくれた。私が大丈夫だと言ってるなら本当に大丈夫なんだと。

 でも実際には、琉生は昔から私の「大丈夫」を一度も信用しなかった。私がどれだけ「大丈夫だ」って強がっても、呆れながら、時には不機嫌になりながら、ずっとそばについていてくれた。

 そんな琉生の行動に、最初はかなり戸惑った。

 たしかに姫香についての協力は求めたけど、私のことまで心配してほしいなんて、微塵も思っていなかったから。

 以前の自分の体にいたときは、「大丈夫」って言って笑ってないと駄目だった。泣いている暇も落ち込んでいる暇もなかったから、何でも自分でやるしかなかったから。お母さんは自分のことばっかりで、おばあちゃんはお母さんのことばっかりで、私のことは誰も心配してくれなかったから。

 誰かに支えてもらおうなんて、考えたこともなかったから。

「……不安なんだよ」

 弱音を吐いた私の腕の中で、琉生の体がぴくりと震えた。そして次の瞬間、両腕を回してきた琉生にぎゅっと抱きしめられた。

「お前は、悪くねえからっ」
「でも私が姫香に約束したんだよ。なのにその約束を全然守れてなくて──」
「だったら俺も同罪、いや、俺の方が重罪だ」
「え?」
「お前と姫香の約束を利用して、自分の欲を通したんだからよ」

 抱きしめられているせいで、琉生の顔は見えない。けれども身をかがめてきた琉生の顔が、私の頭にぴたりとくっついたのはわかった。

「……俺にとっては、お前たちが言ってることが可能だろうが不可能だろうが、どっちでもよかったんだよ」

 琉生の息が熱い。

「姑息な手だとわかってたけどよ……これしかお前を手に入れる方法はねえってこともわかってたから」

 硬い胸板の向こうで、琉生の心臓がせわしなく鼓動しているのがわかる。その琉生の口調が、ふいに硬くなる。

「──姫香」
「?」
 
 琉生が人前で私を呼ぶ時とは違う。

 一瞬の違和感の後、琉生が今、本物の姫香に話しかけているのだと気付いた。

「もう少しだけ猶予をくれ。……後でいくらでも、お前の気が済むまで償うから」

 琉生にばかり話をさせるのはフェアじゃない。私も慌てて口を開く。

「っ、姫香っ」

 姫香が今も、私の声を聞いているのかどうかわからない。だけど私も必死で姫香に訴えかける。

「なかなか約束が守れなくてごめんね。姫香のこと、絶対に忘れたりしてないから。だから……もうちょっとだけ待って。お願い」

 私がそう言った後、琉生も口をつぐんだため、しんと静かになる。けれどもこどもの頃のように姫香の気配を感じることはできなかった。

「……聞いてると思うか?」
「わからない」

 琉生からの問いかけに首を横に振ると、琉生は「そうか」とつぶやいた。

「とりあえず、中に入るか」

 琉生にうながされて、リビングに移動する。こどもの頃に住んでいた姫香の部屋も大きかったけど、今住んでいるこの部屋はさらに大きくて、インテリアもプロのコーディネーターに選び抜かれた一流品ばかりだ。

「ちょっと、話せるか?」
「うん」

 リビングの真ん中にどんと鎮座する、私のお給料では一年かかっても買えないであろう大きなソファに並んで腰かける。

 琉生が肩に腕を回してきたので素直に体を預けると、すっと顔を下げてきた琉生がくちびるにチュッと触れるだけのキスをしてきた。そしてすぐに顔を離して、視線を合わせてくる。

「今朝、話しそびれたことだけどよ」

 ぽつぽつと話し始めた琉生によると、以前からあがっていた、海外に活動拠点を置く話は断ることにしたらしい。もともと琉生は乗り気ではなかった話なのだけれど、先方の熱心な勧誘を無下にするわけにもいかず、忙しいスケジュールを調整して渡米していたのだ。

「本当に、行かなくていいの?」
「ああ」
「でも、ちょっとは憧れとか……」
「ねえよ。お前がいればいい」
「なっ──」

 不意打ちで甘い言葉をささやかれて、動揺してしまう。そんな私の反応に、琉生が楽しげに笑う。今朝起き抜けに見たのと同じ、屈託ない笑み。ホッとすると同時に、つい見とれてしまう。

「いつまでも、慣れねえのな?」
「だって……」
「結婚して何年経ってると思ってんだよ」
「……逆に琉生はなんで平気なの?」

 恨みがましく訊ねた私の言葉に、琉生がふと考えるような表情になる。

「……琉生?」
「一度、お前を手放した経験があるからかもな」
「え?」
「お前がいなくなったって知ったとき、お前に頼まれたことをちゃんとやらねえとって頭ではわかってたんだけどよ。気持ちは簡単には整理つかねえし。こんなことならもっと早く伝えておけばよかったって、めちゃくちゃ後悔したから」

 十年前に一度、姫香に体を戻したときのことだと察する。

「……あんな思いは二度としたくねえ」 

 再び顔を近づけてきた琉生に、今度はしっかりとくちびるをふさがれる。

「ん──」

 さっきと違い、息もつかせない激しいキスと、互いの唾液が絡みつく音に、体がかあっと熱くなる。身を乗り出してきた琉生が覆いかぶさってきて、あっけなくソファに押し倒されてしまう。

「あっ?」
「……今日は朝からずっと最悪な気分だった」

 くちびる同士のわずかな隙間で、琉生がささやく。そして慣れた手つきで私のシャツのボタンをぷちぷちと外していく。

「琉生……待ってっ」

 海外の有名家具メーカーのものらしい高級ソファはすごく広くて、座面は琉生が横になっても充分な広さがある。だけどここであれやこれやしてしまうと、この真っ白なソファを汚してしまう。
 焦った私は琉生のキスからなんとか逃れて訴えた。

「る、琉生っ。ここはだめ」
「……んでだよ」
「よ、汚しちゃうかもしれないし……!」

 そう訴えると琉生の顔ににんまりと笑みが浮かぶ。昔と変わらない、私をからかって遊ぶときのいたずらな笑みだ。

「汚れる? 何で?」
「だからっ……その、汗とか」
「汗と、何?」

 再びキスしそうな距離で、琉生が意地悪く訊ねてくる。居たたまれなくなってきた私は、琉生の肩をパンチした。

「~~~もういいでしょっ! ベッドに行こうよ!」
「うわ、すげえ大胆。そんなに欲求不満だったのか?」

 わざとらしく目を見開いてくる琉生の反応に、顔がカーッと熱くなる。

「別にそういう意味で言ったわけじゃないから!」
「やれやれ、仕方ねえな」
「ひゃああっ!?」

 軽々と私を抱き上げた琉生が、すたすたと寝室に向かって歩いていく。

「愛しの妻に満足していただけるよう、夫として精一杯努めさせていただきますよ」

 にやにやと笑いながらキスしようとしてくる琉生の顔を、両手でぐいっと押し上げる。

「そういうのやめてっ。ほんと、無理だからっ」
「知ってる。だからやってる」
「意地悪!」
「今更かよ」

 こどもっぽい反応だってことはわかってる。こういうときにどう返すのがスマートなのか、誰か教えてほしい。

 ジタバタしているうちに寝室に連れていかれ、そっとベッドに寝かされる。さっきまでさんざんからかってきたのが嘘みたいに丁寧で、不覚にもドキッとしてしまう。そして同じく丁寧な手つきで服を脱がされるあいだ、顔中にキスが降ってくる。

 今朝の職場で、琉生がCMのなかでほんの少し笑みを見せただけで、大騒ぎしていた同僚の反応を思い出す。そしてあのときは答えられなかった田中さんの言葉に、心の中で答える。

 松任谷琉生? もちろん知ってますよ。
 めちゃくちゃかっこいいですよね。

 それだけじゃなくて、いつでも私のことを優先してくれる最高の夫なんですよ。

「夏妃」

 琉生の体温に包まれて頭がぼうっとしていた私の耳元で、そっとささやかれる。

「今日は、これ使っていいか?」
「え……?」

 ぼんやり目を向けると、琉生の手に小さな箱があった。
 避妊用のアレが入った小箱だ。
 私たちは当然、今まで一度も使ったことがない。

「え──」

 なんで、と言いかけて気づく。

 ヒトがこういう行為をする理由は大きく分けて三つあって、一つは子孫を残すため。それからもう一つは快楽を得るため。そして最後の理由は……

「愛してる」

 至近距離から見つめてくる琉生の熱っぽい視線にとらえられて、私はこくりとうなずくのが精いっぱいだった。こどもを作るために結婚したのに、私たちはあえて無駄な行為をしようとしている。

 姫香に向かって、心の中で「ごめんね」と謝罪する。

 今夜だけでいいから、私たちのわがままを許してほしい。

 いつもと同じ行為だけど、今夜は絶対に成功しないとわかっている。けれども今夜の私と琉生には、この無駄がどうしても必要だったのだ。

(続)
コメント
コメントの書き込みはログインが必要です。