(仮)38話
2024年11月03日 (日) 20:00
他視点で主人公を書くのが好みなんですけど、この作品は姫香視点で書くのが一番楽しいです。素直になれないツンツンキャラ大好き。

(仮)38話『タイトル未定』視点:姫香
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 最上階からの絶景が望めるルーフバルコニーを正面に、広いアイランドキッチンに向かう夏妃が、朝ごはんを作りながらふんふんと歌を歌っている。おなかが減る理由をいろいろ考えるっていう変な歌。たぶん幼児向けの歌だと思うんだけど、私は聞いたことがない。

 サクサク、トントン、タタタタタ……と、普段の行動がのんびりしている夏妃からは意外なほど鮮やかな手つきで、野菜や油揚げ、薄切りの豚肉をカットしていく。まるで楽器を演奏しているみたいだ。

 朝からしっかり食べる夏妃は、今朝は豚汁を作っているらしい。ごま油でじゃっじゃっと炒めて、大きな鍋に移す。そしてだし汁をたっぷり注いだところで、琉生が声をかけてくる。

「何か手伝うことねえか?」

 使った調理器具を食器洗浄機に並べながら夏妃が答える。

「大丈夫だよー。あとはお味噌溶かすだけだから」
「……ふーん」

 上機嫌で歌い続けている夏妃はくるりと向きを変えて、背後の巨大な冷蔵庫の扉を開けた。この冷蔵庫は、この部屋に引っ越してきたときに、琉生から夏妃へのプレゼントだったものだ。業務用だとかで庫内はかなり広く大容量なのだそう。夏妃は悲鳴か雄叫びみたいな奇声をあげて、大喜びしていたっけ。

 ちなみにこのマンションの部屋に最初に入ったときの夏妃の反応は、全然嬉しそうじゃなかった。むしろちょっと引いてて、「広すぎる」とか「部屋が使いきれない」とか「壊したり汚したりしそうで怖いインテリアがいっぱいある」って言って、びくびくしていた。

 そんな夏妃の印象を一変させたのが、この巨大冷蔵庫だ。これがあることにより夏妃のなかで「なんか落ち着かない部屋」から「この部屋サイコー!」に一瞬で格上げされた。

 もっとも、それは全部琉生の狙い通りだったんだろうけど。

 まだ歌を歌っている夏妃が、冷蔵庫から大きなマスカットを二房取り出す。そしてそれをお皿に並べていると、背後から琉生が抱きついてくる。

「セックスす~ると、へるのかな♪」

 背後から両胸をわしづかみされた夏妃が悲鳴をあげる。

「ひゃあああっ!?」

 あー、もう。
 男って、ほんとバカ。

「る、琉生っ!」

 怒った夏妃が背後を振り返り、げらげら笑う琉生の顔が見えた。世間ではクールだとかセクシーだとかのイメージで売ってるみたいだけど、この男の腑抜けた素顔を知ってる私からすれば「はあ? 誰の話?」って感じだ。

 っていうかコレ、夏妃が元いた世界の歌かと思ってたのに、琉生も知っている歌らしい。そう気づいて、少しモヤっとした気分になる。

 まあ、私は就学前までママの仕事に合わせてヨーロッパを転々としてたから、幼稚園にも通っていないし、一般的な幼児がどんな歌を好むかなんて全然知らないけど。

 ちょっと考え込んでいたら、いつのまにか夏妃と琉生がめちゃくちゃ濃厚なキスをはじめていた。

 夏妃が「火を切らなきゃ」って弱々しくつぶやいて、どうやら琉生が代わりに火を止めたっぽい音がする。そのまま朝日がさんさんと差し込む部屋で、チュッチュチュッチュチュッチュチュッチュチュッチュと盛りあがっている。夏妃が目を閉じたせいで、私の視界も真っ暗になる。

 昨日の朝はちょっと険悪なムードだったけど、今朝は二人ともずっとこんな感じでデレッデレしてる。正直もう充分ってうんざりしちゃうけど、夏妃はここ最近落ち込み気味だったから、ちょっとだけホッとしてもいる。

 琉生は仕事で地方に出かけることがあって外泊が多いから、自宅に帰ってこない日も結構ある。だからこのセキュリティ万全なコンシェルジュ常駐のマンションを買ったんだろう。だけどいくら豪華で安全な部屋だって、さびしい気持ちには関係ない。琉生が不在の夜に夏妃が眠れない時間を過ごしているなんて、琉生はきっと知らないだろう。

 だいたい夏妃は私が言ったことを真に受けすぎなのだ。あんなの、ただの言葉のアヤだったのに。互いを好きなくせに、うじうじしててじれったかったから、ちょっと焚きつけてやっただけなのに。 

 私だってそんなに都合よく、夏妃の子として生まれ変われるなんて思ってないし。

 やれやれと息を吐いてみたけど、視界はまだ暗い。
 ……いつまでヤッてんだろ?

 夏妃が「だめだよ、朝ごはん食べたら出勤しなきゃ」って、一応諫めるような言葉をかけているけど、琉生は聞こえないふりをしている。一瞬だけ開いた視界であたりを確認したところ、どうやら夏妃はキッチンから連れ出されて、ゆうべと同じくリビングのソファに押し倒されているようだ。

 朝っぱらから何やってんのよ。それに夏妃は味噌汁を作っている最中で──って、火は琉生が止めたんだっけ?
 呆れながら、自分の両親のことをふと考える。

 私はパパとママが会話をしている姿さえ、ほとんど記憶にない。私という互いの血をひいた娘がいたから、かろうじて家族の形をとっていただけだ。それさえも私が落ちこぼれだってわかってからは、最低限の世間体を保つだけになっちゃったけど。

 夏妃なら自分のこどもが勉強ができなくたって、ぐずだって、呆れたり見捨てたりしないはず。琉生は夏妃のことが好きすぎて時々ちょっとアブナイ感じになっちゃうこともあるけど、まあかろうじて愛妻家の範疇に収まっていると思う。この二人のあいだに生まれてくる子は、きっと幸せだ。

 なのになんで妊娠しないんだろう。
 本当に、世の中は理不尽だ。

 だってそのせいで、私との約束が呪いのように夏妃の心に刺さってしまっている。

 バカップル、じゃなくてバカ夫婦がいちゃいちゃしている間に、リビングの電話のコール音が鳴り響く。

「琉生……」
「ほっとけ」
「でも事務所からの電話だったら……」
「後でかけ直せばいい」

 琉生に無視された電話が、留守番電話に切り替わる。そしてスピーカーから、少し焦ったような声が聞こえてくる。

『松田匡です。琉生くん、起きてるならすぐに事務所に電話を入れてほしい。ちょっとまずいことになってる。今から俺がそっちに向かうから、それまで絶対に自宅から出ないように。夏妃ちゃんもだよ。部屋から外をのぞくのもダメだ。窓からは離れてて。いいね? これに気づいたらすぐに事務所に連絡を入れるんだよ。それじゃ、後で──』

 ガチャッと通話が切れた。夏妃が目を開けたせいで、視界がぱっと明るくなる。夏妃の目の前で、琉生も戸惑った表情を浮かべている。

「……どういうこと?」
「わかんねえ。とりあえず事務所に連絡してみる」

 夏妃をひっぱりあげて起こした琉生が、ソファから下りてリビングの電話に向かう。そして電話をかけて、すぐに応答したらしい相手と、何やら抑えた声で話しはじめる。

 部屋をぐるりと見渡した夏妃は、同じくソファから下りて、慎重にルーフバルコニーから距離をとりつつキッチンへと移動する。その間に通話を終わらせたらしい琉生が、「夏妃」と声をかけてくる。

 振り返った夏妃の視界に、すごく不機嫌な琉生の顔が見える。

「……どうしたの?」
「自宅がバレた。週刊誌のカメラに撮られたらしい」
「え? でも、なんで?」

 夏妃の疑問はもっともだ。だって琉生はいつも地下駐車場から出入りしていたし、車の運転も別の人間任せるほど慎重にしていたのに。

「夏妃」

 琉生が真剣な顔で夏妃の手を取る。

「俺の熱愛スクープと併せた記事になってるって言ってる」

 夏妃と一緒にいたのがバレたんだろうか。でも二人は極力外出を避けていたし、たまの外食も、あの松田とかいう男が選んだ信頼できる店に限っていたのに。
 私と同じく疑問に思ったらしい夏妃が訊ねる。

「相手は……?」

 琉生が苦々しく答える。

「……新人グラビアアイドル、らしい」

 なんだ、ゴシップか。
 くだらない。

 アレ?
 でも、ならそれと自宅バレがどうして同時記事になるわけ?

(続)
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