2024年04月06日 (土) 20:08
概ねその通り。
ただ、個々の内容を見ていくと
・受け狙いで無理な批判
・認識が甘い
・他も一緒は現状そうなんだろうが、方法が無いというのは違う
・看板は入れ替わって良い
・説明が冗長
・新人賞が役に立たないからweb小説が流行しているという現実を無視している
・検索システムを作っても無駄って何言ってるのかな
・選別が間に合わないのではなく、選別できる検索システムが難しい
・元々がアングラだからダメって、今と関係ないやん
・話が極端で説得力がない
といった問題点が見られた。
では、ひとつづつ「敢えて」一度に解説しよう。
・受け狙いで無理な批判
「ユーザーでないと評価できない」
などは、他でも同じ話。
たとえば、ジャンプでの作品評価はジャンプ本誌に付属のアンケートはがきを出す必要がある。
買ってもいない人間の出す「官製はがき」に書かれた感想や、買ったかどうかも判らない人がするSNSのつぶやきが集計に加えられる事は無いだろう。
批判するなら他にはない「なろう独特の問題」に絞るべき。
まぁ、文字数稼ぎには良いだろうけどな。
・認識が甘い
「編集者の能力が低下している」
と言うが、低下などしていない。
元から能力などなかったのである。
昔はあったというのは幻想に過ぎない。
**に持ち込んだらボツ食らった。
それで**に持ち込んだら連載okで、今やアニメ化されて大ヒット。
なんて話の一つや二つ、聞いたことのある人も少なくないと思う。
もちろん、今は大御所級の大先生の「若かりし頃の逸話」だ。
当然、今の話ではない。
編集者の能力が当てにならないのは、別に今に始まった事ではないのである。
銀行マンとバブル崩壊を考えてみよう。
融資先の将来性を判断する能力が無かったから、「土地の価値」の多寡で融資をするかしないかを決めていた。
結果、地価が下がり始めると融資が焦げ付き始め、バブル崩壊へとつながる。
超一流企業で高給取りの「融資担当銀行マン」ですら「評価眼」は持っていなかったのである。
その辺の出版社の下っ端編集者に作品や作者を評価する目がある訳が無い。
そんな彼らが見つけた「土地の価値」が「なろう」なのである。
なろうが流行ってからなろうに依存して「編集者の能力が低下した」のではなく、順番が逆。
なろうが現れる前から「編集者の能力は低かった」のである。
もちろん、中にはヒット職人とか呼ばれてもおかしくない目利きの編集者もいるだろうが、それは多数派ではない。
誰もがそんな目利きに出会う事は期待できないのだ。
まぁ、近年では異業種から参入して電子出版オンリーな感じの所もあるかも知れない。
その場合は会社全体を見回しても、誰も「評価眼」は持っていないだろう。
評価は「なろうに外注」状態な訳だ。
知床で沈んだ観光船の会社の社長も「観光船については素人」な異業種参入組だという。
小説や漫画ならあのような大惨事は無いから、まだマシなのだろうが、業界全体で見れば出版社を運営するハードルが下がった事で「編集者の能力が低下している」という「表面的印象」を強めているかもしれない。
・他も一緒は現状そうなんだろうが、方法が無いというのは違う
評価者を評価するシステムを作ればいいだけの話。
なろうが採用する事が無いから、「他も採用しない」というのは意味不明な論法。
安定のトップは「余計な事をして地位が揺らいだら困る」から挑戦はしない。
だが、追いかける側は話が違う。
今のままでは永遠に追いつけないから、後はやる気だけの話だ。
これだけだと抽象的なので、一つ方法を示そう。
ユーザーにランクを設ける。
適切な評価数・評価内容と経過年数によってランクを引き上げる。
(引き下げる事もある)
基本は1年経つごとにランクが一つ上がり、最大を5とする。
なろう流なら、同じ★1個でも
ランク1 2点
ランク5 10点
としてカウントされる。
ただし適切な評価数をクリアしていないと、昇格は1年延期される。
1年間に10個以上評価する。
極端な評価(★1と★5)に関しては、10個にカウントしない。
評価★数中央値から2ポイント以上外れた評価も同様にカウントしない。
(評価平均ではなく、評価★数平均。 ★の価値がランクにより異なるため)
例:平均★4個の作品に★2を付けると、カウント対象外になる
作品の初回投稿日から1ヶ月以内に行われた評価もカウントしない。
文字数が5万文字に満たない作品に行われた評価もカウントしない。
ただし、評価自体は有効。
「1年間に10個以上評価する。」という条件にカウントしないだけ。
なお、カウントしない評価の回数の1/5をカウント数から減ずる。
つまり条件クリアのため、「累計ランキング」を上から10個選んで、適当に★★★とか付けても、その年の内に「カウント外」評価を50回行えば-10食らって「カウント数は0」になる。
ましてや、「マニュアルを読まない層」はそんな工作すらしないから、何年経ってもランクは1のまま。
そしてランクが低くても「本人には何のペナルティも無い」から、気にする必要も無い。
(逆にランクが高くなっても、特典は無い。だから高めようとするモチベーションも起きない)
単に「評価者として軽視される」だけ。
読むうえで困る事は何も無いし、積極的に「作品をプッシュ」するような面倒な活動もしないだろうから、ライトユーザーは「ユーザーランク」を「気にしない」だろう。
一方、意識が高く、自分の「推し」の評価を高めたい人は、頑張るでしょう。
この結果、スタートダッシュに依存する作品は「低ポイント」評価が沢山となり、余り打ちあがらなくなる。
やがて(ランクが高い読者に支持された)長く読ませる作品に追い抜かれる。
新規サイトだとなかなか「看板」が生まれず困るかも知れないが、既に看板が何作もあるカクヨムやアルファポリスなどの有名どころなら、システム変更しても別段困らない。
まぁ、5倍でいいのか、半年ごとに評価アップで10倍まで拡大したほうがいいかは、やって見ないと判らんが。
・看板は入れ替わって良い
サイト運営にとって必要なのは「看板」であって、看板が他を「どれだけ圧倒しているか」は関係ない。
ライトユーザーは看板になっている事が重要で、看板に踊らされる人は細かい数字なんて気にしていないのである。
書店でレジ前の平積み本を買う人は、その本が「何賞」を取ったのかなんて気にしていない。
話題になっていさえすればいいので、直木賞だろうが芥川賞だろうが、関係ないのである。
なろう系好きなライトユーザーも同じ。
トップで「推されて」いれば、それで十分。実際なろうトップページに表示されるランキングにはポイント数は表示されていない。
1クリックも惜しむ人なら、ポイント数が判るランキングの詳細を見に行く事すら惜しむだろう。
そして看板が短期間で入れ替わっても、困るのは「作者本人」だけで、運営は「困らない」。
ライトユーザーは短時間で作品を消費してしまうので、むしろ短期間で入れ替わったほうが「一覧に行かなくても沢山手軽に読める」から、アクセスが増えて広告収益も上がる可能性があるだろう。
そして打ちあがった作者は「書籍化」などで儲けるので、「過去作」がいつまでも看板になっていなくても「実は困らない」。
(後から新参者がわんさか来る という環境ではないため。ライトユーザーはすぐに飽きて次の作品を求めるのだから)
・説明が冗長
我輩も人の事は言えないのはこれまでの文章や他の文章を見れば判ると思うが、敢えて指摘させてもらう。
読まれない作品の話は文章が長すぎて説明が判りにくくなっている。
これは一言で済む。
「なろう系は一つだが、非なろう系は『沢山』ある」
ついでに、これはこう言い換えられるので、それを加えればより判りやすいだろう。
「山の頂上は一つだが、裾野は広い」
これで説明終了である。
誰にでも判るだろう。
・新人賞が役に立たないからweb小説が流行しているという現実を無視している
なろうに投稿するのではなく新人賞に応募したほうが良いというが、ソレ対策になっていないだろう。
本人自身が上で「編集者の能力が低下している」と指摘しているのだが。
(本人の主張なら)能力が低下しているから「金の卵」と「ただの石ころ」の区別が付かない。
だからweb小説が流行している。
(我輩の主張なら「昔から能力などない」だが、結果は同じ)
傑作と言えども、能力に欠く編集者のフィルターでふるい落とされる事は多々ある。
だが、web小説なら誰も門前払いしない。
だから広まったのである。
・検索システムを作っても無駄って何言ってるのかな
誰かが「ちょっと使える検索システム」を作っても意味がない。
全く持ってその通りで、余程の事が無い限り「個人運営のサイトが公式に取って代わる事は無い」だろう。
だが、その理由がオカシイ。
検索項目が多いと情報の洪水に流される
そもそも面倒な検索などしたくない
これらは「なろう系で満足しているライトユーザー」ならその通りだが、そもそも外部検索サイトはそういうユーザーを想定していない。
現状に満足している人間がわざわざ外部に探しにいく訳が無い。
使うのは「満足していない」ユーザーだ。
上の方で本人もさんざん「検索システムが使い物にならない」と言っているではないか。
「使い物になる」検索システムがあれば、その問題の解消の一助になるだろう。
使い物になっても「意味がない」のであれば、「検索システムが使い物にならない」は問題点として挙げるのはおかしい話。
あっても無くても結果が同じなら、それの機能を指して「欠点」と言うのは「ためにする批判」つまり誹謗中傷でしかない。
だが、実際は「検索システムが使い物にならない」事は真っ当な指摘だと多くの人が思っているはずだ。
ならば、「使い物になる検索システム」は有効なはずである。
それを使うのは、不満の無い1クリックの手間すら惜しむライトユーザーではなく、「自ら手間をかけてでも作品を探したい」ユーザーなのである。
30分かけて探しても、見つけた作品を楽しむのに何時間~何十時間もかかるなら、コスパ上も問題ない。
30分かけて探して5分で読了なら無駄の極みだがな。(だから恋愛短編で満足するライトユーザーは使う意味がない)
まぁ、上述の通りなろう運営がやるならともかく、他所の個人がやっても、問題の解決には遠いだろう。
一応APIはあるから、それで実現可能なら、「使える検索機能」も不可能な話ではない。
その開発と運営にかけられるコストを負担できる個人というのは、想像しにくいけどな。
(その手の外部サイトはいくつかあるが、それらが解決になっていないのは現状を見れば判る通り。 まぁ「使える検索機能」の実現自体APIに公開されていない機能が必要かもしれないけど)
・元々がアングラだからダメって、今と関係ないやん
「web小説はアングラな二次創作から始まった。 だから今のなろうもアングラだからこんなのに期待する方が間違い。」
と主張しているが、昔どうだったかは関係なかろう。
この主張が正しければ以下が成り立つ。
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ニン●ンドー64見ろよ、大失敗じゃないか。
所詮京都のカルタ屋に電子機器なんて作れるわけ無いんだよ。
ファミコン・スーファミなんて「本物」が参入するまでの徒花さ。
こういうのは、電子機器メーカーに任せないと。
プレステ最高、カルタ屋は「かるた」や「めんこ」でも作ってろ!
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だが、実際は後にWiiやスイッチで復活を遂げ、逆にプレステは価格が上がり過ぎて往時の勢いはない有様。
出自を元にディスるのは、そもそも悪手ではないですかね。
・話が極端で説得力がない
70000字の超長文なら「最後までちゃんと読まない」のは別に珍しい事ではない。
紙の本の様に途中にしおりを挟める訳でもなく、「レターサイト」のように1ページに全部詰め込んでいるのである。
「書籍「ゲームの歴史」について」のように12回に渡って連載されているような物ならともかく、1回で全部入れるとか「読まないでください」とお願いしているようなもの。
7000文字が読めないなら大問題だが、7万文字が読めないのは問題では無いだろう。
(ただし筆者の指摘自体は例が極端すぎて説得力がないだけで、言ってる事は正しい。7千文字でも最後まで読めない者は多数いるだろう。この位置で約5000文字。ここまですら読めない人もいるかもしれない)
■余談1 選挙
ライト層の評価を軽くし、よく考えている層の評価を重くする。
これ、選挙制度でも同じだったりする。
TVや新聞・雑誌が起こす「風」や「名前の書きやすさ」「顔がイケオジかどうか」で投票する層
と
「政策を吟味」「所属政党の方針をよく考える」という投票行動をする層
の持つ票の「価値が同一」なため、衆愚化が進んでいる。
どんな世界も「得意な人間」の数は「不得手な人間」より少ない。
このため「民主主義は最悪の政治システムだ」と言われるのである。
(なお、「でもこれまでのどのシステムよりマシ」と続く)
ところで、アメリカの大統領選挙は、実は国民が投票して決めているのではない。
国民(正確には州民と呼ぶべきかもしれない)の投票結果を受けて、大統領選挙人が投票している。
つまり、アメリカの大統領を選んでいるのは「大統領選挙人」である。
これに倣えば、民主主義の基盤とされる普通選挙制度は「不得手な人間」を「議員選挙人」として使うシステムと言える。
で、実際に議員を選んでいるのはマスコミ。
マスコミが選んだ候補者に「議員選挙人」と化した「不得手な人間」が投票している訳だ。
こう言うと誤解する人が現れる。
つまり自公政権はマスコミが支持しているんだな
と
マスコミは反日なのに何で野党が負けるんだ?おかしいだろ
と。
これ間欠支配という考え方で説明できる。
1.普段は敵に政権を取らせておき、それを誹謗して国民の不満を積み上げる。
2.十分積みあがったら、「風」を吹かして子飼いの政党に政権を取らせる。
3.子飼いの政党は政権を取ったら権力に物を言わせて「反日政策」を色々実行する。
4.国民の期待は裏切られ、次の選挙で負けて元に戻る。
5.あとは、1に戻ってこのループを繰り返すだけ。1の期間は15年くらい。
判官びいきという国民性があるので、与党は悪く言われやすい。
常時子飼いの政党に政権を取らせようにも「風」の難易度が高く「圧勝」は難しい。
風を吹かすのもコストがかかるのである。国民の不満を利用しなければ、効果は乏しくなる。
そして圧勝できないと「反日政策」も実施が難しい。
なら、15年に1回で良いから、普段は敵に政権を持たせておいた方がマシとなる。
どうせ一度作った法律は、民主主義の世界ではそう簡単に変更できないし、遅効性の毒のように後から効いてくるものなら、気づかれないから改正される事も無いだろう。
これが間欠支配の構図。
なお、なぜ15年なのかと言うと、ある程度期間が開かないと「騙せる」相手が十分増えないから。
15年経てば、30歳以下は「風要員」として騙すことが出来る。
30歳なら15年前は中学生。政治の事は全く判らない人が圧倒的多数派。
つまり、「前回の酷い政権がやらかした結果」を「知らない」世代なのだ。
あとは現政権を中傷し、前回を「理想的な政治だった」と嘘を吹き込めばいい。(空想ではない。 実際、X界隈では盛んに吹聴されている※)
こうして「風が吹く」わけだ。
※おっさん・おばちゃん世代の人は現実を思い出そう。
実は自分の住んでいる街より、たまに行く街の方が変化が判りやすい。住んでいる街は少しづつ変わるから、変化に気付きづらいからだ。
2009年の小樽は普通に活気のある街だった。
政権交代後の2011年の小樽はえらく寂れていた。街全体が廃墟一歩手前な感じ。
再交代後の2013年の小樽は活気が戻っていた。
ところで、風の影響が無くなればどうだろうか。
風に吹かれる「議員選挙人」の投票結果は低く扱われ、きちんと考える人の投票を重く扱う。
そういうシステムが採用されたら、野党も「考えない人を騙すようなアピール」はしなくなるだろう。
選挙結果に影響の少ない人に支持されても、選挙には勝てない。
そういうバランス調整がなされれば、民主主義はずっとマシな物になるだろう。
これを賢人選挙制度と呼びたい。
愚民の票を軽視し、賢人の票を重視する制度と言うわけ。
実は古代ギリシャでも民主制が衆愚制に落ちる問題は認識されており、哲人政治が提唱されたりしている。
哲人政治は君主を哲人にするという話だが、このままでは君主制の問題を十分回避できない。
賢人選挙制度は民主主義を維持したまま哲人政治の利点を取り込める制度になる可能性を秘めている。
まぁ、誰を賢人と認定するかが問題なんだがね。
あと、既得権益を脅かされるマスコミは猛反対するだろう。
この場合マスコミは当事者なので、報道は歪むとか言うレベルでは済まない。
まさかマスコミが公正公平だとか思っている人はいないと思うが、万一それを信じている人も、「公平な立場で反対している」なんてお花畑な事は言わないように。
■余談2 SEO
実はSEOも話は同じだったりする。
人間に人気がある ×
Googleのシステムに好かれる 〇
この結果、人間に役立つサイトは駆逐され、Googleに好かれるサイトだけが生き残る。
なろう運営と違ってGoogleは人間に役立つサイトを評価しようと奮闘しているが、そうそううまく行かないのが現実。
いろんな話題で人々の関心を集めるサイトは「コンテンツの傾向がバラバラ」として評価を下げられ、同じ話を延々と繰り返しているサイトが「専門性が高い」として評価される。
Googleには天才が集まっているとされるが、天才が寄ってたかってこの程度なのだ。
このままいくと「ググルよりチャットAIに聞いた方がマシ」な状況になりかねない。
GoogleがAIに批判的な態度を取っていたのも危機感の表れ。
流石にマズイと思ったのか、AIシステムのBard(現在はGemini)をリリースしたけど、現状ナンバーワンにはなれていない。