2023年03月29日 (水) 18:59
愚痴をひとクサり。
ファルケンシュタイン将軍がハノーファー軍を追ってヘッセン選帝侯国に入り、プロシア領のランゲンザルツァ周辺に至った経緯を調べていると、参照資料に「Ottmanshausen」という地名が出て来ます。ファルケンシュタイン将軍はバイヤー将軍にこのヘンテコな名前(「トルコ人の住む場所」)の土地へ急ぎ向かえ、と命じているわけです。
ではここはどこかいな、と調べてみると、この地名は現在1ヶ所のみ、エアフルトの東、「戦間の共和国」で有名なヴァイマール(ワイマール)の北にある寒村でした。で、Gの地図で見てみればここがかの悪名高いブッフェンヴァルトの北隣という、目を引く場所(もう少しオタっぽく言えば、かのドライゼ氏の故郷ゼンマーダーにも近い)だったため、筆者は矛盾する記述(突然90キロも離れた場所で軍事的にも何も益がない場所へ急げ)に目を瞑り記してしまいました。
もうひとつ、「Allendorf」も出て来ます。で、これがドイツでは「鈴木さん佐藤さん」並みにどこにでもある地名で、ウィキ・ドイツ語版では20ヶ所も出てくる。で、カッセル領内の適当そうな場所(フリーレンドルフ市のアレンドルフ部落)を選んでしまったから、次がおかしくなる。本隊から50キロ以上離れた場所に「前衛」がたった一日で進むし、その後隊長さんが戻ってこいというと、1日で戻って来る。秀吉の中国大返し並み・凄い脚力の将兵たち。おかしいなと思っていると、おいおい、西に10キロいかないとこにも「アレンドルフ」があるぞ、と……
こういうこと、「モルトケの功罪」を書いているとよくあったんですよね。フランスの地名で同じ発音だけどスペルが違う、なのにごく近くにある、とか。「昔の名前で出ています」(昭和生まれなものですみません)のパターン=今はポーランドやチェコになってドイツ名が消えた街で、ドイツ名で書いてある古い資料を当たると、いや、これ今ドコ?って。だから勘違いもいっぱいあると思うんですよね、特に普墺戦争編では。
すみません、随時直させてください。
で、「Ottmanshausen」ですが、ひょっとして「昔の名前で」パターンか、と思い調べますが、それもない。仕方なく、当時の普軍が徒歩行軍で動ける範囲(およそ30キロの円内)を19世紀の地図を使って隈なく調べると、あるわあるわ「何とかhausen」が至るところに。その中でもスペルが近く、軍事的に見てもアイゼナハに向かうとしたらここ通るだろ、というところを見てみると…ありました!「oetmannshausen」!!
カッセル市から東へ進んだヴィーレタールの地にミュールハウゼンに向かう街道とアイゼナハへ向かう街道の分岐点「エートマンスハウゼン」が!
こういう誤植っぽいのに巻末の正誤表でも訂正もされていないのがよくあるんですよ。大佐が少将だったリ逆だったりなんかしょっちゅうです。
アレンドルフの方も古地図でじっくり見てみると、ありました、エッシュヴェーゲの北にアレンドルフが。現在はバート・ゾーデン=アレンドルフという地名で、二つの街が合併してこういう名前に。日本でもアルアルということで、なんだか、日本の戦国大名と合戦を研究しているドイツのミリさんが「シンジョウ」てなんだよ!と嘆いている姿が浮かんだりして(そう、旧・長篠村。鳳来町を経て今は新城市です)……
そういうことで、しょっちゅう訂正入ります。申し訳ございません。
「シロートの慰み」ということで、どうかご寛恕願います。
いつもありがとうございます。
「ミリオタで」にある元来「モルトケの功罪」普墺戦争編に入っていた「オスウォーシムの戦い」もこの類ですね。あれはちょっとショッキングでしたが。
今後もどうぞ御贔屓に♪