2016年04月21日 (木) 01:12
前回の活報を書いたときには、まさかその数時間後にこんなことになるなんて思ってもなかったですよ。
そんなこんなありまして被災しました(わお)
一休が熊本に移住したこととか誰も覚えてないだろう、その先どこかにまた移り住んだと思われてるだろうと思って、変にご心配おかけするのもなと、通常営業で沈黙してましたが、
どうやらなろうの旧い同志の方が覚えていてくださっていたようなので、ガチの生存報告をさせていただきます。
一休、生きてます。無事です。元気です!
インフラの業者さんや物流関係の人たちを始めとする、生活の復旧に全力を注いでくださるみなさん、
ご自身だって苦しいなか、患者さんや避難生活の人々を体を張って支えてくださる医療、福祉関係のみなさん、
崩れた土砂や倒壊した家屋、孤立した土地へ足を踏み入れ懸命に救助活動を続けておられる自衛隊のみなさん、
止まない余震と次々に起こる諸問題に息つく暇もなく対応しておられる警察、消防やお役人のみなさん、
そして県外からの温かいご声援、ご支援に、涙ぐまない夜はありません。
普段の生活はこんなに多くの人々に支えられていたなんてことをしばらく忘れていました。
まだ働きに出ていない自分の無力さ、見識の狭さをひしひしと思い知っています。
そういえば一休は五年前の東日本大震災のときも横浜にいましたから、計画停電とかは経験しましたけど、東北に比べれば深刻ではなかったのでどこか当事者な気はしてなかったのですよね。
直撃するとこうも感じ方は違うものかと。
一発目は益城、二発目は阿蘇、あとあまり騒がれてませんけど三発目の湯布などは特に大変なことになっちゃって……自分も自分で一度はライフラインが絶たれました。
一応、東日本の経験から初日の地震直後に水や食料の備えを始めたり、居所が熊本市内だったお陰で真っ先に復旧が進み今のところ生活を立て直してきてますが、市内でもまだまだ苦しい車中泊や避難所生活を送られている方が大勢いることを思うと、被災者の中でも稀有なくらいに恵まれている方だと思います。幸い自宅も無事でしたし。
それもこれもこんな時でさえ一休の生活を支えてくださる大勢の仕事人の方々のお陰なんですよね。
こんなに恵まれているのになにも恩を返せずに実家に逃げるなんて嘘だと思い、一休は身軽な立場と持て余した元気を居合わせたこの地で役立たせたく、熊本に留まることにしました。まあ、最初は単に県外に出る術を持っていなかっただけなのですが。
どうやらようやく空の便と鉄道が動き出してきてるので、できることがなくなったり限界がきたら身の程を弁えて即帰省するつもりです。
なろう民の皆様におかれましては、いつも通りになろうに溢れる物語を楽しんで欲しいと思います。
一部では楽しいこと、嬉しいことを大っぴらにするのは不謹慎、自粛すべきなんて声もあるそうですが、被災者はそんなこと求めてません。むしろ逆です。
作者様ならいつも通りご自分のペースで物語を綴って欲しいです。それが被災地にいるかもしれない読者に元気をくれます。
読み専の方なら、ブラウザに広告バナーが表示されれば少なからず経済が回り、巡りめぐって一つでも多くのパンが飛行機に乗って被災地に届くかもしれません。
……単なる生存報告のはずが随分と生意気に代弁者ぶってしまいましたね。申し訳ありません。
今回のコメントは全て一休個人の思いの丈であり普遍的に正しい意見ではないです。
とにかく一休は無事である。書きかけの物語はまだ綴る気でいるとだけわかってもらえれば後は聞き流してください(笑)
……モンハン二次もね! い、い、いつか書きたいんだからね! 諦めてはいないのよ!? ホントだよ!
こほん。えー、では。
元気な調子でお会いできることを祈りまして。
忘れた頃に更新されましたら、その時もどうぞよしなにお願いいたしますm(__)m
ホントに無事でよかったです。
自分が活動しなくなってから久しいですが、今回の地震で真っ先に先生が熊本にいるということが頭に浮かんだので迷惑を承知で連絡しました。
ここではモンハン小説を乗せることはできませんが、自分が掲載していた下書きはまだ残っているのでいつか日の目を見る日が来ることを願って消さずに残しておこうと思います。
お身体に気を付けてください。