2023年04月26日 (水) 11:07
日々をだらだらと過ごしていれば、ついこの間始まったと思われる2023年4月は、もう月末を迎えようとしている。日本国において典型的に採用される暦――即ち太陽暦においては、だいたい30日に一度の頻度で月末時期を迎えるので、それを避けることは出来ない。少なくとも、現代の科学技術においては、そのはずだ。
もしかしたら、私が知らんだけで、何処かでは時間を逆戻ししたりするような技術が存在していたとしてもおかしくはないが、とはいえ私などよりも余程頭の良い人が、そういう荒唐無稽な、それでいて「想像の余地が現に存在する」事柄について、真面目に研究やら計算、仮定と仮説をもってこれを顧みて、かつそれが成功しているという話を聞かない以上、やはりそれは「存在しない」のだ、と考えるのが自然ではある。もちろん、それは未来永劫にわたり達成し得ないものである、という断言ではなく。
何にせよ、物事の実在性というものは、かくも不明瞭で曖昧なものであり、それが現にあろうとも、誰かが秘匿するだけでそれは「ない」ものであるかもしれないし、一方で実体の存在しない概念であろうと、広く知れ渡って「ある」と共有されているものというのは、自体存在するものでしかない。具体的に言うと、「心」とかがそれにあたる。まぁ、その心にしたって、あるいは誰かが実体を観測している、という可能性がなくもないのだが。私には出来んだけで。
このあたりまでを序文として、今回「活動報告」として記載する内容については、以前のように随筆としての側面を強く出すことを目的としたものではなく、字面の通りの活動報告…… つまりは執筆中の自創作の今後の予定に関して軽く触れる、ということにしておこうかと思う。それで、前回たまたま月末近くに書いたので、今月もまた月末近くに書こうと思った次第である。
そんでまぁ先月の分(あるいは文)については、また正式に私小説という扱いで出しておくのもありかもしれない。そんな大層な文でもないが、それを言い始めると、私の書くものに「大層なもの」など特にあるわけでも、それを求められているわけでもない。そもそも、概念的な高効率を求めるのなら、創作活動などさっぱりと辞めてしまって、ついでに生命活動も止めてしまう方が、基本的には熱効率も良好なのである。
だが、そうはならない。私は別に死にたいわけではないし、むしろあらゆる生苦が我が身を苛むことになろうと、どこまでも生に意地汚くしがみつくことであろう。死は逃れ得ぬ宿命ではあるが、それを先取りしたいほど、私は自分自身の人生に絶望していない。どうせなら楽しく生きたい、あると思います。
同様に、創作活動についても、究極的には私の私自身の満足のため、ただ行われるものであり、誰に価値を認められなかろうと、私がやりたい内は続くものである。可能なら死ぬまで続けたいが、早死したいということではないです。
これは偏見ですが、そもそも字書きが「大層なもの」を書いたという評価は、原則として死後にしか生じないものであって、どちらかというと知名度のある人物が、死後に祀り上げられることによる、成果物へのボーナス評価もあるんじゃないですかね。
ただ、つい先日、オモコロの高杉未来之進さんによる、太宰治の『トロッコ』読書の記事を見て「やっぱ太宰って凄えんだな」と影響受けまくりの感想を抱いたので、死んでようと死んでなかろうと、凄え人は凄えんだと思います。もちろん、太宰はもう死んでんだけども。
私も精進せねばなりませんな。どこを目指すかは置いといて、生きているうちに。死んでからは、現世に作品は出せんでしょうし。
……いつも通りの疾走感(疾走感はない)で、要らんことを撒き散らして満足したので、活動の見通しについて、ざっくりと。
『魔王グレンゼルムの憂鬱』
まぁそのうち書きます(てきとう)
『浪漫の探求者』
当面は克己獲星編の完結を目指して書き切って、その後は一旦しばらく放っておくかも
短編も書きたいっすよね
『超訳聖書』
もうちょい考えて書いていきたい気持ちはあります
最低限ノアの方舟のあたりくらいまでは……
『随筆』
なんかあったら適宜ノリで書きます
以上、近況報告として。