【活動報告連載】剣闘士の花嫁(1)(2)
2013年09月08日 (日) 14:55

(1)

何気ない昼下がりの定例会議の後に、事件は起こった。

「ブルウ、少し良いですか」
「…なに、ルジエ兄さん」

会議の資料をチェックしていると声を掛けられた。
会議の内容は、今後の闘技場の運営方針についてだった。昨年より着実に増えている剣闘士とシステムの増築に伴う開場日数の増加の他に、個別で渡された有休日数消化要請の通達。それを見る度にキリキリと胃が痛んだ。いやいや、どうやってこのクソ忙しい中で有休を取れと?取ったら取っただけ書類が溜まるし、その分他の職員の作業が滞るじゃないか!

(…でもこれ以上有休溜めると否応なしに連休取らされるし…だったらこっちで適当に休みを指定した方が…ああでも、それだと仕事が…)
「再来週の水曜日(テタル・デイ)に有休を頂く予定なのですが。宜しければブルウもいかがですか、先ほどオーナーの秘書に有休の催促書類を頂いたのでしょう?」
「うぐっ…」

思わずペラペラ捲っていた書類を握りつぶしそうになった。
くそ、態々見られない様に直ぐ茶封筒に隠したのになんで当然の様に知ってるんだこの人…。苦い顔で隣を見れば、ニコニコと良い笑顔を浮かべた通常運転の片割れの兄がいる。見えない花がこちらまで飛んでくる気がして、思わず口角が引き攣る。

「…僕は良い。兄さんが休むのに僕まで休んだら、仕事回らないだろう」
「そんなことばかり言っているから何時までも有休が消化されないのですよ、ブルウ」
「……」
「ふふ、真面目で仕事熱心なのは貴方の長所ですが、時には柔軟になりなさい。わたし達の部下は中々どうしてみな優秀ですよ」
「知ってるよっ」

思わずムキになって言葉を返してしまった。
強くなってしまった言葉に慌てて兄を仰ぐも、肝心の兄は露ほども気にした風なく部下と話していた。何時の間に…てか僕と話してたんじゃないのかよ。

込上げる百万語を溜息でやり過ごして、僕は僕で退席準備を始めた。ふん、双子歴27年を舐めるな。このどうしようもなくマイペースで気分やの兄との付き合い方は、誰よりも熟知している。そりゃもうクラスでいうならエキスパートを通り越してマスタークラスだ。ルジエ使いのマスタークラス……あ、なんか考えるだけで頭が痛い…

「おや、どうしましたブルウ。冷たいものを飲み過ぎてお腹が冷えてしまいましたか?」
「どこの子どもだよ!もう僕は27だよ!?おっさんだよ!」

色々悲しくて振り上げた拳が机を叩く。ドンッと水滴でびっしょり濡れたコップががたんと躍った。ちなみに兄さんのコップは空っぽで僕のコップは二口程度しか減ってない。当然だ、この水冷たすぎ!飲めたもんじゃないよ!僕は冷たすぎるもの飲むと胃の調子が崩れるんだって!!

「~~っ、それより兄さん。なんで再来週の水曜日(テタル・デイ)に有休を?なんか用事でもあるの?」

話題を変えるために適当に選んだ題材だった。
だがその話題が予想外の兄の表情を引き出して、僕は少し困惑した。

「え、ああ~…」
「?」

何時も言わなくて良い事までぺちゃくちゃと喋る兄さんが、珍しく言い淀んだ。口元に指先を当てて、少し斜め下を見る。それは兄が深く考え込んでいる時の癖だった。

(珍しい)

感想は簡単なものであったが、内心すこし動揺した。なんだ、なんだ一体。____この人こんどはどんな面倒をやらかすつもりだ…!?

興奮と恐怖の所為でキリキリ痛む胃を摩ると、思い出したように兄さんが続けた。

「すみません、すっかりブルウに話すことを忘れていました。そうですよね、なによりも一番に貴方にお話しするべきでした」
「はあ? …僕に話すべきって、なに?僕にも関係あること?」
「はい、多少」
「多少?」

「実はわたし、来月結婚します」

ピシリと、会議室の空気が固まった。

「再来週は式の段取りやらの打ち合わせがありまして有休をいただこうと…もうあまり日がありませんしね」
「…」
「あ、式当日はブルウにもろもろ担当して頂くかもしれません。ふふ、その時は流石に有休を頂いてくださいね」
「…」
「おやもうこんな時間…このままでは次の会議に遅れてしまいます。ではブルウ、わたしは先に失礼します」

言うだけ言ってスタスタと出て行ってしまう兄さん。目の前で呼吸も忘れて硬直する双子の弟も、顔を真っ青にしてグラスの水を零している職員も、書類をバサバサと落としている先ほどまで話していた部下の存在も、どうやらまるで眼中にないらしい。

パタンッ…と、時間が止まってしまった会議室の扉を兄さんが閉める。それから一拍置いて、僕は叫んだ。文字通り叫んだ。衝動を、抑え、切れなかった。


「結婚って誰とだよぉぉぉおおおおおおおおお!!!!」


ブルウ・ゲルマニスク(27)
彼が双子の兄に振り回されることがなくなる日は、あの銀河よりも遠い未来のことかもしれない。




(2)


始まりの大陸の東に位置する中立都市ドムス・アウレア。
『黄金の宮』と称される都市の中央に、大陸最大規模の闘技場(コロッセオ)アンフィテアトルムがある。大陸を越え、世界中からその腕に覚えがある猛者が集うそこは、まさに剣闘士の聖地である。アンフィテアトルムには幾つかの『専門(クラス)』や『等級(グレード)』が存在する。

例えば、剣を使う剣闘士がこの地に来たとしよう。
彼がこのアンフィレアトルムでエントリーできるのは、主に『普通闘技場‐Ⅰ(ブロンズ)』か『剣専闘技場(ソード・クラス)』だ。普通闘技場で勝ち残れば、等級(グレード)が上がり次はⅡ(シルバー)へのエントリー権が得られる。剣専闘技場で勝ち残れば、その後は『専級剣闘士(クラスマスター)』として剣専闘技場のボスとして多額の報酬と安定した地位・生活を約束される。

剣闘士は皆が賭けの対象だ。暇を持て余した中流階級の農民の他、仕入れに訪れた商人、博打好きの地主、享楽に耽る貴族、軍人、王族……様々な思惑が交錯し、大金が湯水のように流れ出るアンフィテアトルム。目に見える汚泥に侵されながら、それでもこの地に剣闘士が集まるのは理由がある。その一つと言えるのが、アンフィテアトルムの“不屈の双璧”だ。

闘技場の移り変わりの激しい長い歴史の中で、最も長くその名を残している『特級剣闘士(マスター・グラディエーター)』の二人がいる。挑み来る幾多の剣闘士を余すことなく返り討ちにし、闘技場の頂点へと上り詰めた双子の兄弟。彼らが残した伝説はその年数よりも多く、その戦歴は一大陸の戦争の英雄に匹敵するとまで言われている。

何時しか彼らは等級外の『等級-Ⅵ(レジェンド)』と呼ばれ、アンギテアトルムの支配者(ルーラー)と崇拝と羨望、そして剣闘士の戦意と殺意を一身に受けるようになる。生ける伝説とまで揶揄される彼らの名はルジエとブルウ。

その名に“赤”と“青”の意味を持つ、“ゲルマニスクの双壁”だ。




……その一方、ブルウ・ゲルマニスクはいま頭を抱えていた。
文字通り、頭を抱えて机に伏せっていた。もし彼の地位や首を欲して血眼になっている奴らが見れば、好機と飛び掛かって来るであろう隙だらけの背中に_____その背を何事かと見守っていた部下一同は固唾を飲んだ。

「…いや、まさかあそこまで落ち込むとはなぁ」

一際大きな巨体を持つ男が、小さな声で呟いた。すわ熊(グリズリー)と見間違う様な大きな男だ。狩人(ハンター)というよりが野盗(ローグ)や蛮族(バーバラ)を彷彿とさせる軽装を身に纏い、良く日に焼けた隆々とした筋肉を惜しみなく晒している。その体には幾つもの生々しい傷跡が残るが、それはむしろ彼の歴戦の勇者たる相貌を際立たせる材料となっている。短く刈り上げられた栗色のウルフカットの髪をがしがしと掻きながら、むんと腕を組んで見せる様は、嫌に堂に入っていた。

彼の名前はリビウス。等級“5(ペンテ)‐3(トゥレイス)‐1(エイス)”の特級剣闘士の一人だ。専門は剣士(ファイター)で愛用している武器の大斧だ。その豪快な一撃から鉄槌の異名を持ち、彼に勝る剛腕はないと言われている。

「ずっと一緒にいた兄が突然の結婚宣言をかましたんだもの、あたりまえだわ。恋人の存在も知らなかったみたいだしねぇ」

リビウスに返したのは、年端も行かぬ少女だった。さんさんと輝く橙の髪を高くに二つに結びわけ、大きな鈍色の瞳をはためかせている。薄い体にリボンとフリルをあしらった開きの大きい真紅のレオタードドレスを纏っている。酷く局部を曝す衣装だが、恥ずかし気も無く堂々としたその居住まいに良くそぐう。

彼女はイーナ・ハークネス。幼い少女の姿ながらリビウスと同じく“5‐3‐1”特級を持つ強者だ。専門はその可憐な容姿とそぐわない武闘家(モンク)で、彼女の容姿に惑わされ現世を離れた男は両手の指では足りないほどだ。数少ない少女ファイターということで闘技場では花形として一部熱烈なファンを持っている。

「でもお目出度い話じゃない、兄弟の結婚なんて。どうしてあんなに落ち込むのかしら」

その声に同意するように、肩に凭れていたカーバンクルが鳴いた。従順な愛玩幻獣の喉を撫でるのはメイザースという男だ。たっぷりとした桔梗色の光沢のある髪は、左に寄せられ月下美人で結いこまれている。マーメードラインのドレスを捩じり上げ月と星を模したブローチで止め、古代の魔女を彷彿とされる唾の大きな三角帽を被っている。見目だけならすわ女性と見間違えそうだが、その低い声に違わず彼は列記とした男だ。

召喚士(サモナー)専門(クラス)の中でも群を抜いて高い魔力と使役獣を所持している。肩にいるカーバンクルも彼の使役獣の一匹だ。自然の力が結晶化した魔法石から生まれる幻獣なのだが、知名度に反してとても希少な幻獣だ。ウサギのような長い耳に狐と猫の合いのこの様な姿をしており、鳴声はリスに似ている。

「取り敢えず声かけときます?上司のフォローも、部下の務めですし」

目深くフードを被った青年が、話の纏まらない面々に提案をする。
半袈裟とフードを合わせた様な帽子を被り、指先から肘までを真っ赤な布で覆っている。簡素な上衣とパンツを纏い、使い古されたワークブーツの踵を鳴らす。猫のように跳ねた茶髪は、彼の雰囲気に良く似合っていた。

ウィル・スカーレット。弓使い(ウォリアー)専門に最近現れた新参の剣闘士だ。だがその実力は、わずか半年で特級剣闘士に上がってきた事実より推して知るべきだ。

「ですが、あの“慈笑の神撃(マーシー・グングニル)”“第二の審判”“人類最凶”…終末的な愛称で親しまれるルジエ・ゲルマニスクが結婚だなんて。ボク的には、ブルウさんの方が先かなーって思ってました」
「あ、それうちも思ってた」
「あたしもあたしもー」

「おい、なに上司で賭け事してんだ。不謹慎だぞ」

キャッキャと騒ぎ始めるウィルたちにリビウスの叱咤が飛ぶ。だが、彼らは知ったこっちゃないという顔で続ける。

「相手どんな人ですかねー。ルジエさんの好みってどんなですか?」
「そうねぇ…。ルジエ様の好み…とは違いけど、ルジエ様の親衛隊はお姉さま系が多いわよ? こう…上も下もボイーン的な」
「あのでっかいコブ付共ねぇ! でもルジエってば全く興味ないって顔で笑ってるじゃない。だからきっとあれとは対極なのが好みに違いなわ。つまりうちよ!」

「いやそれはないでしょう」
「いやそれはないわ」

デデーンっと机に仁王立つイーナに、ウィルとメイザースが手と顔を振って否定した。
「なんでよー!」と自慢の腕力を振るい怒鳴るイーナと、それを楽しげに交わしては逃げる2人を見てリビウスは深く溜息をついた。全く血の気の多い奴らだ、いやここにはそういう奴しかいないが…。と、飛んでくる木材やら石材の破片を片手で払い落としながら思う。

「胸なくても顔が可愛ければいーんだもーん!!」

イーナの拳が岩石を抉った。ドゴン!!というすわ砲弾が墜落したと聞き間違う轟音と共に、ローマン・コンクリートの床に大きなクレーターが出現した。
闘技場で巨人(ジャイアント)の血を引く拳奴を鎮めた一撃に、流石のウィルたちも大きく後退し防御姿勢をとった。

「おおおおい!!ざけんなバカヤロー!!」

一方、一番関係のなかったはずのリビウスの所には畳返しのように抉られたコンクリートの大片が飛んできた。咄嗟に飛びのこうとするが、彼の立つ扉の向こうには絶賛鬱期の上司がいる。今の彼ならこの直撃を受けても正気に戻るか怪しい程だ。リビウスは舌打ちをすると退きかけた足を留め、構えを取る。

ぐるりと腸をかき混ぜる様な感覚____

すうと息を吸う。そうして腸で“練り上げた”気を、一喝と共には吐き出した。

「喝ッ!!!」

吐き出された気はリビウスの口から水紋のように広がり、不可視の障壁となり大片を防いだ。現実界の摩擦力や弾性力といった様々な力が、アストラル界に属する気エネルギーと衝突し幻風を巻き起こした。______それが収まる頃、リビウスたちがいた部屋はまるで底からひっくり返された様な散々たる惨状へと様変わりしていた。

「あー…やちゃった」
「あらあら、誰が片付けるのかしらねぇ」

部屋の片隅に積まれた残骸の上に、端然と腰かけたウィルが言う。それに同乗するように宙に浮いたメイザースがクスクスと笑った。周囲には球体結界が巡っており、何時の間にか彼の傍を二体のシルフが飛び交っている。翅から翠の燐光を散らして、契約者であるメイザースの真似をするようにクスクスと笑っていた。

「そんなの、リビウスがするに決まってるじゃん」

じゃりと、積み上がった瓦礫の上でイーナが言う。

「リビウスが汚くしたんだから」
「おい」
「だってどうでしょー!アンタが発剄(はっけい)なんか使わなかったら、もーちょっと原型留めてたわよ!」
「その自信はどこからでてくるんだー!アァ˝!?」

大の大人でも裸足で逃げ出しそうなリビウスの悪鬼顔にも、イーナの勝気な瞳は一歩も怯まない。腕を組み当然という風にふんぞり返るおてんば娘にリビウスは獣のようにぐるると喉を鳴らした。もう勘弁ならん、毎回まいかい同じ様な会話をして、同じような展開になって、同じように全てリビウスに放られる。

「何時までも俺が大人しく面倒見てやるとおもってんじゃねぞ!!手前らそこになお_____」

「…これ、どういうこと…リビウス?」

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