2025年06月23日 (月) 10:13
私が自分の弟子とも言えるのかわからない存在、阿部千代に伝授したかったのはこういうラインなのであるが、阿部千代は自分は面白いと本気で思っているのらしい。いや。それは違うんだ。たまたま、なんだから、本当に油断しない方がいいと言っても、奴は、自分が面白いと思ったことによって、この「なろう」から卒業はなくてはならないハメになった。私自身も少し浮かれていたようだ。私なんぞが、「面白い物」をかけるはずがない。ただ、つまらないものなら、書けるかもしれない。なぜなら、常に上質のつまらないものに触れているからだ。ふじわらしのぶ氏の作品のことである。しかし、これは訓練されたつまらなさ、ということを忘れてはならない。彼は、心から自分の作風を面白いと思っているはずだ。しかし、それは周りの笑いを誘発しない。その距離感、空気感、これを学ばないといけない。私はかなり真剣に、この現象を考察している。問題は、もはや、面白くないなんて、ことではないのだ。それは、「つまらないもの」ということなのだ。この言葉は、日本人がよく「つまらないもの」ですが。とお出しするものであるが、それがつまらなくなかった試しはないが、本当につまらないものであったためしもない。そこそこ、つまらなくは作ろうとしているのだろう。だが、面白さには決定的に足りない。そこに、ヒントがあるのだ。というのも、面白さというのは時代性とリンクしている。時代から外れるものは、しかし、一時代経っても、見返しても平気なものばかりなのだ。それは、つまらないの源流に沿っているからだろう。面白さが時代性なら、つまらなさは反時代性なのである。ここで勝負するしかないっ!
ただ、29話あたりで、ふじわらしのぶさんのエッセイにチャットGPTで、ツッコミをつけたんですが、こっちの方が、圧倒的にわかりやすいって!ツッコミがずれている部分もあるけど。今度、エッセイを書く時に、チャットGPTに、突っ込んでって、頼むのも一法ですよ。