2013年06月18日 (火) 22:26
現在冥王星の少女第十章プロット製作中。700文字ほど書いた。たった700か、と思われるだろうが、プロットである。ちなみに7000文字ぐらいの短編『らめっこ』のプロットも700文字だった。そのぐらいの話ができているとお考えいただきたい。
よく小説は始まりの一文が大変だという意見を聞くが、僕はそれにくわえて場面転換も大変だといいたい。内容自体よりもつがなりをどうするかのほうが考えるのが大変なのだ。へんなつながりかたにするとブツ切り感が出るし、かといってたかがつなぎの文章をそんなに書き連ねるわけにもいかない。さらっとさりげなく読む人間の苦にならず、それでいて場面が変わったり時間が動いたことを理解させなければならない。正直なところネタや設定、ストーリーを考えるよりこのあたりを苦心するほうがよほど多いのである。
さて、以降はちょっと違うことを書こう。『萌え絵で読む虚航船団』というウェブ漫画がある。筒井康隆氏の著作『虚航船団』を美少女絵で漫画化した二次創作である。
紹介しておいてなんだが、その漫画自体の論評はしない(すごく面白いよとだけ言っておこう)。途中に一箇所、意味がわかりにくいギャグが存在する。今回書きたいのはこれのことである。
非常にシリアスな会議の場面なのだが、突然それまでとは毛色の違うキャラクターが乱入してくる。初登場であり、自分の名前を名乗る。そのキャラクターについて、作中のだれもしらない。なんだこいつは、とばかり場の全員がぽかんとしているなか、そのキャラクターは「さしたる用もなかりせば、これにてご免」と言い残し去っていく。
このギャグの意味、おわかりだろうか。わかるひとは教養が深い。僕は最近までわからなかった。
原作の筒井氏はこのギャグを複数の自作のなかで多用している。ドタバタが得意な作家なのでそういう滅茶苦茶なのだろうと思っていたら、じつはこれ、由緒ただしい出展があった。義経である。
源義経といえば、日本人は知らぬもののない……どうだろう、最近はそうでもないかな。まあ織田信長とか豊臣秀吉がS級なら最低でもA級の上位に入るぐらいには有名な歴史上の人物だろうと思う。
その義経だが、かつての人気はいまの比ではなかった。勧進帳という義経が登場する歌舞伎の演目をはじめ、いくつもの義経テーマの演目が作られた。そしてそれらの人気の高さから、なんの関係もない演目が行われているときも、なぜか義経がゲスト出演するのが慣例化してしまったのだ。
といっても、そういうストーリーが作られるのではなく、劇中突然義経が現れて「さしたる……」と言い残し去っていくのである。非常にシュールな図であるが、昔の人にはこれに大うけだったようだ。『小説家になろう』の小説で例えるなら、普通にまじめな場面が展開されているなか、いきなり高校生ふうの男性が登場し「内密にな」と言い残して去っていくような感じだろうか。
しかし、言ってはわるいが、結局はただの内輪のお約束ネタである。歌舞伎というと歴史の重みと風格を感じるが、とどのつまり人間が面白がるポイントというのは昔の歌舞伎見物客も現代人もそうちがいはないようだ。創作をしていると、自負からみょうなプライドを持ってしまいがちではあるが、あんまり気張らないほうよさそうである。