2023年04月14日 (金) 09:06
真理の破壊力は、なんにも勝る、なにもかもを超絶する刺激的なモンだからなぁ~~~~~
今日は、なぜ俺が皆に戯言(エッセイだけでなく投稿小説も似たようなモンなので含む)を、ネットで(疑似的なって意味でニュアンスで)馬鹿みたいに大声で言って、送り届けて、提供しているのかというと?その理由について話したいと思う
まず俺の原体験として、こういうのがあるんだわ
男女比5・5くらいのオフィス勤務の事務職とか、想像して欲しい、典型的な奴で良い
そこで俺は夜勤で働いている、深夜の2時、サーバー管理など、異常系のエラー監視みたいな、分かり易い例でいいや、俺の仕事はそういうのね
モニターを見ているだけ良くて、異常があれば煩いビープ音が鳴る感じ
俺はギャルゲーをしてるわけよ、そしてプレイ中に女の子のキャピキャピ声が部屋に響き渡る
ビルの監視カメラもモニターしてるのよ、誰か新しくビルに来るのは深夜は例外的な数名で、もし来れば注目して、この部屋に来る可能性がある奴か即座に見極める
だから俺は仕事スペースで堂々とギャルゲーを大音量でプレイできるって寸法
しかし見逃しは存在する、俺が一瞬目を離した隙に監視カメラを素通り、通り抜けて、カチャとオフィスの扉のロックを外す音
なにか忘れものでもしたのか、女上司とかが、その日は俺にとって運悪く来たわけよ
すぐさま音量を消して、クロームとかブラウザを立ち上げて、ぱっと見なにもしてない風を装う事に成功する
俺はギャルゲー声が女上司に聞こえてないか、内心ひやひやよ、でもそれが良い、この緊張感、迫真の現実感、リアリティーは、達人の間合いのたまの取り合いよりも心地よい
そんな感じ
俺は、そんなような感覚を得る為に、みんなに共感性羞恥を催すような(?)、刺激的なエッセイを、俺の振る舞いとしてブレンドして、提供しているわけよ
分かった? つまりはそういう事です
タイトルで言っている事を繰り返すが
「春になると変な人が湧くように、道端で裸で踊っているような奴がいたりすれば、それは楽しいから、やっているんだなと、俺は思う」
うん、そんなの延長線上でしか、”コレ”はない行為なんだな、って再確認した
そして強く俺の中で”ソレ”関係の、自認や記憶や再確認などなどの強度を深めたいと、考察や発展・応用、脳の日々の使い方として
まあ色々と理由やら何やらあるのだが、そういう事を思ったの、想う、ただそれだけ。