2014年04月02日 (水) 00:46
またまた、ラジオ放送されるんですね~♪
だめもとですが、私も応募してみました(*`・ω・´*)
まぁ、いいじゃん!お祭りなんだし!
ちょこっとPRにもなるかな?(^^)
ところで黄金山物語めっきり更新されておりません^^;;;
書いてあるのは、あるのですが、なぁ~んか違う。
う~ん・・・。私の知識不足によるもので、筆が進まないとうのもございます。幕末の頃の北陸&東北の様子がイマイチ解らない。私、雪が降らない地方なので、雪国の苦労がわからないのも原因の一つだと思うのです。(雪掻きが大変というのは、よく聞きますが)
そして、幕末の資料は読めば読むほど面白い!今のお気に入りは“岩瀬忠震”(ただなり)さん。この人、誰だか皆さんご存知ですか?
ハリスと日米修好通商条約の交渉をやってのけた方ですよー。
一方的に押し付けられたイメージが強いですが、以外やそうでもないのです。京都と大阪は絶対に譲らなかったし、港も10箇所の開港を迫られたが現状維持の後、横浜、神戸の開港を提案。ハリスの書いた日記にも、岩瀬の用意周到な準備による答弁に、次々と論破されていったとあるそうで、舌を巻いたことは間違いなさそうです。
そんな岩瀬も、最後のところで躓きます。朝廷が調印してくれなかったのです。朝廷や公家達は世界情勢に疎かったのでしょうね。隣の清国は、阿片戦争でヨーロッパにから食い物にされ、またもアロー戦争でボロボロにされていたのに。ハリスが来ていたのは、まさにアロー戦争の真っ只中。
友好的に条約を結ぼうとしていたアメリカと違い、ヨーロッパ諸国は植民地化を目指していました。その彼らが日本に来るとの知らせを受けると岩瀬はこの条約で万が一の時は、アメリカに仲立ちをお願いする覚書を書かせます。
上司の堀田は朝廷の調印が取れなかった時に失脚、その後老中首座になった井伊直弼に岩瀬も同僚の井上も左遷され、その2年後に岩瀬氏病死。
朝廷調印に関してはまぁ、そもそも幕府が政に対し、いちいち朝廷にお伺いを立てるなんて事は今まであまり例が無かったからでしょうか?生類憐れみの令で朝廷からオッケーもらったなんて聞きませんしねwしかしここに来て爪が甘かった;;
安部正弘(堀田の前)がよく出来た人で、身分が低かった岩瀬を用いて彼に一花咲かせてやれたと思えば、惜しくもあるがまぁ仕方ないかなとも思ったりします。うーん。幕末は奥が深い!!!