2015年10月27日 (火) 21:12
そう言えばこんなコンテンツもあったのよね、と正月以来超久しぶりにこっちに来ました。
ハイディン神殿の朝は早い。
夏であれば日の出と共に、冬ともなればまだ暗いうちから起き上がり、身支度を整えた後はまずは清掃である。これは七柱の神々に仕える神官の大切な仕事であり、また修行の一環であるため、下は見習いから上は最高責任者の大神官まで全員一致で立ち働く。神殿によっては高位の者たちはこれを免除されているところもあるのだが、ハイディンの大神官は生真面目な性格をしており、更には次席もその目を光らせているために基本に忠実な行動となっている。
昨日戻ってきたばかりのオルフェン巡行の参加者だけは特別にこの朝の日課を免除されていたが、それ以外の面々はいつものように忙しく、しかし神殿らしく静かに整然とした動きで清掃が行われていた。のだが――。
「おはようございます、大神官様。もう祭壇を清め終わられたのでございますか?」
仮にも大神官である。いくら修行の一環とは言え、流石に見習いたちの様に床に跪いての拭き掃除などさせられない。その為、神殿に於いて最も重要な場所である大聖殿の祭壇が彼の受け持ち区域と定められていたのだが――そこを綺麗に清め終わったちょうどその時。背後から声をかけられ、ぎくり、とその体がこわばった。
「ち……いや、次席殿、おはよう。其方も担当個所は終わったのか?」
「はい、先ほど恙なく――しかし今朝はいつもよりも少々早めに終わりましたもので、大神官様のお手伝いをしようと参った次第でございます」
絶対に嘘だ、単なる口実に違いない――そう思いはしても、それを口に出すほど大神官も命知らずではなかった。
「そ、そうか。その志は嬉しく思うが、私も終わってしまったのだ。無駄足を踏ませて済まなんだな」
「左様でございましたか。ならば――朝餉までには少々時間がございます。それまでの間、わたくしの部屋でお茶などいかがでございましょう?」
完全に逃げの体勢になっていた大神官であるが、それで見逃すほど次席神官を務める老人は甘くない。言葉だけを取ってみれば軽いお茶のお誘いであるのだが、実質は有無を言わさぬ強制連行宣言である。
「う……そうか。では……言葉に甘えることにしよう……」
思わず周囲を見回して助けを求めるが、勿論、そんな命知らずがいるわけもない。斯くして、表面上はゆったりと――内心は屠殺場に連行される子羊の心境で大聖殿を後にしたのだった。
次席神官の私室は、彼が使用している執務室と同様、質素を絵に描いたような場所である。それでもお茶の用意くらいはできる設備が整っており、程なくして薫り高いお茶が大神官へと饗される。
「ささ、どうぞ、大神官様――心配なさらずとも毒など入れてはおりませんよ」
親子ではあるが、神殿内では息子の方が身分が上だ。自宅(実はある)に戻っているのではないのだからと、当然のように上座を薦められ、父親手づからの茶を出された上にこの台詞である。ここに至って『もしかすると、本当にお茶に誘われただけなのでは?』という大神官の楽観的観測、あるいは希望は見事に打ち砕かれてしまった。
バレている。
何が、とは今更言うまでもないだろう。しかし、昨日の今日、というか朝一で連行されるとは予想外である。いったいどれだけの情報網をもっているのだろうか、戦慄を禁じ得ない。
大神官ともなれば信仰心の他に政治力というのも必要になって来るし、そちらについてもそこそこの力量を持っていると自負しているが、到底、目の前の小柄な老人には敵いそうもない。故に、早々に白旗を上げることにする。
「その……申し訳ありませんっ」
「おや、いきなりでございますね。それは何に対しての謝罪でございましょうか?」
突然の大神官の詫びの言葉に、不思議そうに問い返す次席神官の様子は、小柄な体躯に加え、柔和な顔立ちと白く長い髭のおかげで好々爺そのものである。にっこり笑いながらの言葉なのだが、生憎とその目に宿る光は鋭い――ぶっちゃけ、かなり怒っている。
「父上がお持ちの『つる』がどうしても欲しかったのですっ。なれど、父上はどうしてもお譲りくださらないし、新たに作って頂こうにもレイガ殿はすでにハイディンを出られてしまわれていてどうにもならず――思いあぐね、あきらめかけていた時に、オルフェンに逗留されていると聞きまして……それで、その……つい……」
ちびちびと小出しにして余計に怒りを煽るよりも、全部吐いてさっさ叱られてしまおう――と思ったかどうかは定かではないが、一気にすべてを告白する大神官であった。
「つい、ではございません。そもそもが巡行は神殿の公の行事でございますよ。それにかこつけて私用を済ませようなどとは……」
「し、しかしっ。巡業の折に、あれこれと頼みごとをするのは皆やっていることではありませんか」
「その者たちと貴方様では立場が違います! 皆の範とならぬ立場の方が、率先して私情に走って如何さないますかっ――しかも、事によっては此度の件はレイちゃんのお立場にも影響するかもしれぬのですよ。あのお方は、ごく普通に生きていくことをお望みでいらっしゃいます。それがもし、あのような貴重なお品を作れることが広く知られましたら、あの方の意に添わぬ事態になりかねません」
「いや、それについては、内密に極秘に、と言いつけておいたから大丈夫――」
「そもそも、そこでございますっ! わたくしが推挙いたしました若者をお取りたてくださったのは感謝いたしますが、清廉潔白であらねばならぬはずの神官――それもあのような前途有望な者に、内緒事の片棒を担がせるなど! それも我らの信仰の要であられる御方の、片方の現身ともいえるあの方に関する秘密でございますよ。もし万が一にも他に知られることになりましたら、レイちゃんにもあの者にもどう影響するか……大丈夫等と、どの口がおっしゃいますやら」
「そ、それなら、もう一度、固く言いつけて――」
「そんなことをすれば、余計な不審と不安を与えまする。あの者は心根が真っ直ぐな良い若者です。これからもその素直な心で神々にお仕えしてもらわねばならぬのに、その心を曇らせるような所業を貴方はなさるおつもりですか?」
「う……ならば、その……どうしたら……?」
「それを考えるのが、元凶である貴方様の仕事でございましょう?」
「……はい、父上のおっしゃる通りです」
青菜に塩、とはまさにこの事である。大神官としての威厳も貫禄もあったものではない。
しかも、朝餉と礼拝を挟んで、昼近くまでみっちりとそのお小言が続いたのである。
「――と、ここまで申し上げますれば、大神官様の事でございますし、わたくしの懸念することを重々ご承知くださったと思うのでございますが?」
「はい……それはもう、肝に命じました。私の不徳の致すところです。金輪際、このようなことはせぬと神かけて誓います」
「それほど大仰におっしゃられなくともようございますよ。わかってくださったのならば、わたくしはそれで十分でございます」
「はい……」
そして、やっとのことでお説教が終わると思ったその時である。
「そうそう、一つお尋ねし忘れていたことがございました」
「ま、まだ何か……?」
「いえ、念のためでございます。わたくしの話をじっくりときいてくださった大神官様には申し上げるまでもないとは思うのですが、老人は心配性でございまして――あの『つる』についてでございます。あれ程の物をハイディン神殿が、しかも二つも所有しているなどと、他の大神官さま方に知られましたら大変なことになりまする。故にこれ以後、あの品とその由来については今後一切他言無用、ハイディン神殿より一歩たりとも持ち出させない――と、そのようにしていただけるのですよね?」
「え? それ、は……」
「おや、どうなさったのですか? まさか、他の大神官様方に自慢しよう等とお考えに――いえ、失礼いたしました。まさか我が神殿の大神官様ともあろう御方が、そのような軽挙をなさるはずがございません。年寄りの世迷言と、どうかお忘れくださいませ」
「む、無論です――それに『つる』の扱いについても、父上のおっしゃる通りにするつもりです」
「おお、やはり大神官様でございます。重ね重ね、このおいぼれの失礼な言の数々、どうかお許しくださいませ――ああ、それと、もう一つ。先ほどから気にかかっておりましたが、何やら大神官様のお言葉が乱れている気がするのでございますが?」
「え? 今更……い、いや、其方もこのハイディン神殿と私を思ってくれての事であろう。気にするでない」
「ありがとうございます。これで我が心に差し掛かる厚い雲が晴れた思いが致しまする。重ねて、御礼申し上げまする」
「私はもう気にしておらぬ故、其方ももう忘れよ――それでは、私はそろそろ執務に戻りたいのだが……?」
「おお、これは――無論でございます。年よりの繰り言にお付き合いくださいまして、真にありがとうございました」
「うむ。ではまた、な」
「はい、大神官様」
昼餉前に解放されたときには、すでに虫の息(心情的に)となっていた大神官である。
金輪際、父親に内緒であれこれと画策することは止めよう、と思ったのも無理は無い。
斯くして、ハイディン神殿の二体の『つる』はその存在を固く秘匿されることとなる。一つ目の持ち主が没した後は、もう一体の持ち主がそれを受け継いだのだが、彼が亡くなった折には二つ共にハイディン神殿へと密かに寄贈された。以来数百年、その『つる』はハイディン神殿の機密とされ、神像の手のひらの上から人々を見守り続けることになったのだった。
即upしていただいていたようで。。。
父子のやり取りサイコーでした!
もう想像以上です(。´Д⊂)(嬉し泣きデスヨ
アレフ様ステキ過ぎです。。。
私もこんなお茶目な方に会いたいですわぁ