2017年04月02日 (日) 00:31
ある作品で見かけた「のたまわった」という表現が気になっています。
一般的には「のたまった」だろうと思います。
この場合、過去を表す「た」が付いて「のたまわった」だから、終止形は「のたまわる」ということになるのでしょうか。
「のたまわる」でネット検索をすると、Weblioの実用日本語表現辞典がヒットしました。それによると、【「のたまう」(宣う)の誤り。「賜る」との混同による表現か。「のたまう」は「言う」の尊敬語であり、転じて、多くの場合は反語的に軽んじる意味合いで用いる。】だそうです。
私は、「のたまわく」とか「のたまう」の否定形「のたまわない」、あるいは受け身・尊敬での「のたまわれる」から来ているんじゃないかと思います。(「のたまわれる」は厳密には二重敬語ですが)
調べたら古語で「のたまわす」もあるんですね。
Weblioの『大辞林』には【〔動詞「のたまふ(宣)」の未然形に尊敬の助動詞「す」の付いたものから〕「言う」の尊敬語。「のたまう」よりさらに敬意の度合が強い。おおせられる。「この玉取りえでは帰り来(く)な,と-・せけり/竹取」】と書いてあります。
この可能性もありそうです。
一般的ではないものの、上記の辞典に載っているくらいですから、「のたまわる」の用例は青空文庫でも1件見つかります。
道理でな、蓮信上人、忙しくなりだしたとのたまわったよ。(佐々木味津三「右門捕物帖 29 開運女人地蔵」)
少納言でも数件見つかりますし、その中には出版された書籍もあります。
ただ、「のたまわる」という終止形での用例は青空文庫でも少納言でも見つかりません。それどころか「のたまわった」か「のたまわって」ばかりで、他の形の用例は無いんです。
この「のたまわる」の用例がほぼ「のたまわった」と「のたまわって」のみ、という部分が重要なポイントになるような気がします。
「のたまわらない」、「のたまわります」、「のたまわれば」のようには書かれにくいわけです。
もしかしたら、「のたまわった」と書く人も、この語の終止形が「のたまわる」だとは思っていないのかもしれません。
うーん、「のたまう」も「のたまわる」もよく使う言葉ではないので用例数が少なく、この現象について考察するのは難しいですね。
【追記】
小説家になろうの全文検索ができるというので、試してみました。
検索結果の精度があまり良くなさそうでしたが、「のたまわう」という用例が見つかりました。
終止形は「のたまわう」だったのか!
「賜る」との混同説以外の可能性が見えてきます。
小説家になろうにあるのは、実際に使われている生(ナマ)の現代日本語の書き言葉で、色々な現象が見られてとても面白いと思います。