ノーマン・ロックウェル
2012年04月13日 (金) 11:47
 はっきり言う。
 私には詩の才能もからきしないが、それを言うなら芸術部門における知識も才能もまったくない。
 だから、音楽もわからなけりゃ、絵もわからない。まったくの素人。
 なにかこう、突出したものがあったらいいのになぁ~……、と学校に行っていると真面目に残念に思うことが多い。なにせ、クラスメイトの方々はなにかときらめく才能を持っている人が多いから。それってね、すごく得なことですよ。だって、それで書ける。
 というか、そのうえ小説まで書きますかぁ~~~??? ちょっとは私のスペースも残しておいてくださいよ、と本気で思ったりもする。

 でも。

 昨日から新しいクラスが始まりましたが、チューターはそんな私でもちょっとは嬉しくなるようなことを言って下さいました。
「大学なんて、文学という芸術には邪魔ちゃうか、と思えるぐらいなんやね」
 おお~~~~!!
 心強いぞ。頑張って書こう。

 それはさておき。

 そういうわけで芸術的才能は毛ほどもないし、芸術的知識もからっきしないが、それでも私は絵や音楽が好きである。
 この「好き」は、それがあったら心地がいいか悪いかだけが判断の基準。絵でいえば、構図がどうのこうの、色の組み合わせがどうのこうの、革新的技術がどうのこうの、はどうでもいい。自分がそれを好きか、嫌いか。
 はっきりしていていいよね。

 で、タイトルの「ノーマン・ロックウェル」

 おそらく絵を見たらきっと、誰もが「ああ! あの作家!」と合点するはず。それぐらい一般的に知られている画家さんです。
 私もこの人の作品が好きだったりする。絵柄が暖かいし、なによりも古き良き時代のアメリカをありありと感じられるのがいいですよね。
 が。
 好きだけど、それを家に飾ろう、とは思わないんである。

 なぜか。

 余韻がないんだよ。余地がない、というか。小説で言うと、ノーマン・ロックウェルはエンタメ小説なんだよね。それも、良質のエンタメ小説っていう感じ。すごくわかりやすくて面白く、作品世界の奥行きも感じられるし個々のキャラクターも間違いなく際立っているんだけど、それからさらに先に踏み込むのはちょっと難しい、という感じ。
 だけど、じゃあノーマン・ロックウェルを誰もが描けるか、というとそれは無理ですわ、みたいな。

 そういうわけで、我が家の壁はほとんどすべてが抽象画に埋まっている。

 でもって、抽象画のなんたるか、という知識も審美眼もない私の場合は、それらを選ぶときにはやっぱり「眺めて心地いいか悪いか」だけなんだな。
 だって、家ってそういうもんだと思うの。

 たとえば我が家ではどの部屋も「くつろげる」ことに重点を置いて雰囲気を作ってある。それはまあ、部屋によってエスニック風だったり、北欧風だったりロッジ風にしていたりはするけれど、要はそこで寝転んでいいか、座っていられるか、がもっとも大事。
 そういう部屋に飾るには、ノーマン君はちょっとね、なんだな。

 ちなみに私の仕事部屋には出窓を覆ってしまうほどのでかさの、真っ赤な丸が描かれた抽象画を飾っている。眺めるに、どうも日の出の風景を表しているらしい、と思えるんだがそれはどうでもいい。ともかく、その絵を眺めると元気が出てくる。

 もちろん、複製ですよ(笑)
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