2012年04月25日 (水) 11:42
土曜日の自主合評会にての、大好きなひとの発言である。作品批評のあいまに、ひょいと飛び出した。
なるほど。
適齢期の男女が恋愛をして、結婚をし、子どもをつくって一つの家庭を形作る。
小説においては、ある男女が出会って恋をし、いろんな山やら谷やら紆余曲折を経てめでたく心を通じ合わせるところまでを描くのが普通の恋愛小説。そこにバリバリの純愛、みたいなものを読者に感じさせると胸きゅんな作品――だった。
過去は。
サラリーマンとOL。年の差は三歳ぐらい? 普通の家庭に育って、学歴は女性のほうが短大卒とか、サラリーマンは大卒? 出会う年齢は三十手前ぐらいか。
まるで政府が考える一般的家庭の基準みたいな話ですね~~~。
でも、そんなのは実情に合わないし、男女の恋愛にじっさいは打算とか妥協とか、いろいろまああるよね、なんていうことに誰もがもはやわかっている――という、思うにその発言にこめられた意味っていうのは「純愛などない」ってことかと私は考えさせられた。
だから――。
だから、なんだな。
普通の設定ではもはや読まれない。それらは面白い作品になりえない。
だから
ひょっとしてBLだったら、ということなんじゃなかったろうか。
もはや男女の恋愛に夢など見ようがないから、BL。
そう考えると、現実味のない設定にも納得がいくし、書き手のほとんどの人が指摘されるたびに「だって、ファンタジーだから!」と叫ぶ気持ちが理解できる。いや、本当にね、初めて理解できた気になったよ。
現実なんて、必要がない。あったらむしろ興ざめなんだね。(私はちがうんだけど)
BLの設定をそのまま男女にあてはめても、面白くないのはそのせいだ。書き手のなかに男女だと萌えない、とか、むしろ女キャラは邪魔、と言い切る人がいるのもそのせいだろう。徹底的に現実から乖離した作品のほうがいいらしい。
それと同じライン上にあるのが、トリップ物だと思う。
どこにトリップするんでもいい。ともかく現代の、この場が舞台でなければ。
皆よほど、現実に幻滅しているらしい……。
もっとも、いまの世の中、もはや身分違いの恋も成り立たないしさ。かといって病気ネタは創作するには現実のほうが酷すぎる。すれ違い、といってもだいたい現代人にはもはや「いちずに誰かを思い続ける」などという素地もない。目の前に新しい人が現れたら乗り換えられる。現実生活に情報が蔓延し、連絡もあっというまについてしまうから、余白がない。
文通、というふた時代ぐらい昔のあの時間のかかるやりとりを、いま、誰がせっせとやるんだ? 余白があるから、手紙を書く時間、それが郵便屋に運ばれる時間、そうして返事がくるまでの時間、という小説になりそうだった、あんな余白の時間はもう、どこを探したってないもんね。
いまは、メールだ。
そのメールも、同世代、仲間内しか通じない言語がつかわれちゃったりして(笑)
情報化社会となった現代が、じつはいちばん恋愛小説がしんどい時代なのかもね。
昨日は午後から文校で、すっかりお礼が遅くなっちゃってごめんなさいです!
「チート仕様」について、ほんとにありがとうございました~~~♪ ふむふむ、なるほど、ですね。つまり、こちらの世界ではこれといって目立つところのない主人公が、異世界にトリップすることでそれまでとは変われるのですね。
無敵で便利! かぁ……。
正直、それは小説としては面白くなかったりして(苦笑) もちろん、私の年齢とかも関係あるんでしょうね。
そうそう。
人の愛の形って、ずいぶんえらいことになってるんですよ!(笑) ある意味ショックですよね。だけど、それを読むに堪えうる作品として完成させるには、作者の力量が問われるたいへんなジャンルだとも思います。なんかね、ただ書いているだけじゃ絶対だめで、それも真似して書いているだけじゃ到達できなくて、もっともっとえぐるように書く覚悟がないと、下手するとポルノで終わっちゃう危険性もあって。
つまりは、私には無理なことです(苦笑) そんな覚悟はできないですから。(BLに限らず、です)
でも、すごい作品が出たら、ぜひとも読んでみたくはありますね。そういうの、きっと新人賞も獲れて、おまけに芥川賞なんかの候補にもなりそうです!