2021年10月06日 (水) 20:10
新型コロナウィルスのワクチンを、打ちました。
打つつもりは、無かったんです。
どうも情報収集した限りでは、ワクチンの作用に「重症化する確率は下げるが、重症化した場合の症状を悪化させてしまう」という落とし穴があるようで。マスク手洗いで対応できる可能性はあるもののブレイクスルー感染を起こしやすいデルタ株が出てきた現状は、リスクがメリットを上回るのでは、と。
また元々の値が低いとはいえ、重篤な副作用が起こる確率も「50代以下の男性」はそれ以外に比べて高め。
めったに起こることでは無いとはいえ、不安になります。
待っている間に罹患して重症化するリスクはあるものの、現状使われているワクチンは見送りして新しいものを待つ方を選びたい。そう考えていました。
そんな判断を曲げた理由は、母に「打て」と言われたから。
「どうして打たないの」から始まった訳ではなく、いきなり「打ちなさい」。
昔からそうだった。必要なものはくれても、話を聞こうとしてくれない。「自分がどう思っているのか」だけ一方的に言う。
医療機関勤めで、家族がワクチン未接種で重症化したら困る立場なのは理解できる。理解できるけれど、自分の口で伝えて欲しかった。
そういう人になったのはおそらく、母が小さいころに父親を亡くしているから。基本的に自分のことは自分でどうにかしてきたようで、母自身も祖母とはろくに話をしなかったそうです。それが母にとっての普通、なのでしょう。
父もまた、母とは違った形で性格に難のある人で。
そういう家庭の事情から、自分でもそれが何なのかよく分からない苦しさのようなものを抱え続けてきました。
何故苦しいのか。
どうすればより楽になるのか。
生きていく中で考え、答えを求め続けてきました。
答えは未だに出ていません。けれど、この問いこそが創作における自分の原点なのだと思います。私の作品の私らしさは、この問いによって形作られた。
答えが出ることは、無いのかもしれません。
摂取当日に飲酒ですか、ロックですね。
私は母にこれ以上ああだこうだ言われたくなかったので、そういうことはできませんでした。
もし、私に重篤な副作用、副反応が出ていたら。そうなったら摂取しろと言った母はどんな顔をしたのか。
今後一生見られないであろう顔。健康や命と引き換えにしてでも、見てみたかったと思う自分がいます。
先のことを見通す術を普通の人はもたないので、後悔せずに済みそうな選択を選んでいくしかありません。
形にすることは遅々として進みませんが、誰かへ何かを残せるよう頑張ってみます。