二宮さんの真実 エッセイ転載です
2018年05月30日 (水) 19:48

 S社長は、「好景気の今こそ報徳・今こそ尊徳」をスローガンに、報徳仕法の実践に心血を注いでいた。

 遅ればせたが、「報徳」とは学校名ではなく(後づけで、あやかり命名されるが)、二宮尊徳の人生訓の根源となる思想である。当然、報徳会は、尊徳の理想を追い求める同士の集団、勉強会が表向きの趣旨となる。
 また、「報徳社」を名乗る団体も数多く存在することを明記する。

 さて、報徳の概要を極めて乱暴に解説すると、石田梅岩の心学などで肯定された商売人の利潤を求める思考から、一歩宗教道徳寄りに昇華した思想と言える。仏教儒教などの既存宗教や家訓などの「いいとこどり」だと断定できる。


 『勤(勤労)倹(倹約)分(分度)譲(推譲)』


 ・つまり浪費を戒め節約するのは、一大事が勃発した時に義援金を供出するため。
 ・「牛になろうとして破裂したカエル」のように、分不相応な行為(医者志望の農民の子息の希望を反対している伝承がある)を慎む。
 ・天道には逆らわない。

 これは特に儒教を日本人嗜好的に翻案した思想でもあり、尊徳が仕えていた幕府が崩壊しても道徳訓に採用された理由として〝国家政府にひたすら消耗部品か働きアリのように働け〟のメッセージが込められている。

 もっとも後世整備される「報徳思想」としては「至誠」が勤労に交代しているが、尊徳本人は勤倹分譲を唱えていたと私は二宮先生から教わっている。


 閑話休題。
 S社長は、実際は個人商店主。当然、声かけで集まったメンバーは私の家族を含めて全て自営業であった。

 時はバブル。
 一個の商品。一個の配達で頭を下げ汗を流していた「社長さん」たちは、あれよあれよと億万長者になっていた。東京のチベットと侮蔑されていた地域の住人、しかも借家だった我が家は当然除外だのだが。

 だがその中でS社長は、だからこそバブル期の日本を真剣に憂いていた。
 私個人は疑問符が大バーゲンではあったのだが、日本の良い時代を取り戻そうと躍起になっておられた。良い時代を具現化した一つが、報徳。二宮尊徳だったのだ。

 更にS社長は口先だけの夢想家ではなくヘビーな投稿マニアで、一流紙のみならず、報徳関連の雑誌やあらゆる雑誌に投稿をされていた。もっとも、正直打率は低く、バブル期に尊徳の高邁な思想など見向きもされなかったのが実情だったのだが。

 で、勉強会の栄えある某報徳勉強会発足第一回目の会合で、回覧された冊子の一つが、読書をする当時の金次郎少年。

 繰り返しになるが、薪か柴の束を背負いながら読書をする金次郎の像は、幕臣二宮尊徳に昇格してもぬぐい去ることは出来なかった。

 むしろ、明治政府などが、
『勤勉・奉公・国家の忠誠(=親孝行)』などの代名詞的キャラクターとして推奨したとも言われているが、ググったところ、富山の薬売りの販路と銅像の普及が一致しているそうだ。

 ともかく冊子には、

『松の木らしい樹木に背もたれして、切り株に腰掛けながら読書をする金次郎少年の絵が描かれている』

 この表紙絵は、S社長の妹婿氏が手がけていて、素人目にはなかなか達者で、二宮先生とS社長の関係から婿殿の勇み足ではないと断言できる。
 否、冊子を手に取りながら先生もS社長も口を揃えていた、

「尊徳は自分にも周囲にも危険や迷惑を被らせる行動などしない」と。

 まだこの頃は携帯どころかポケベルも勉強会に顔を出した社長さんたちの年代には普及しておらず、
「金次郎像が歩きスマホを助長する」とは誰も思いつかなかったのだが、
「真似をして交通事故に遭ったらどうする?」といった指摘はされていたことは間違いない。
 私自身、何かを手にとって「二宮金次郎」と自称した記憶があるし、バブル期の段階で年配者の漫画家では歩きながらの読みを「二宮金次郎」と呼びかけた場面はあった。


 だから、勉強会の第一回会合で、こうした誤解を正したいお気持ちも理解できる。


 だが、これでいいのだろうか。


 子供は確かに真似をする。

 学校に「二宮金次郎像」があってそれが歩き読みをしていれば、歩きスマホを注意されても、反論に利用される可能性は否定できない。
 でも、そんなレベルの反論は、像があってもなくても「やるやつはやる」ものだ。

 宗教オタクで勉強会オタクだった亡父が、
「第一回から、あれはないよな」と呟いていた表情を私は忘れていない。

 先程簡単に触れたとおり、勉強会に参加した我が家以外の社長さんたちは、「財政再建・財テク・利殖」の知恵としての報徳を期待しており、温度差どころか目指すゴールが違い過ぎて、S社長主催の報徳会は後日瓦解している。

 歩きスマホを戒める為に銅像を撤去させる父兄と、そんな低次元かつ木に縁りて魚を求めるような筋違いに、「歩き読書はしていない」と反論する集団の思考は意外と似て非なるではなく「非ならず似る」だと小声で突っ込んでしまうのだが。

 江戸末期、小田原の農村ではながら歩きをした少年が一人二人と珍しくなかったはずだし、ただその中身が春画や猥談ではなく大学などの経書であり、そしてやがて幕臣に取り立てられる才覚と実績を称えるのが大人だろう。

 スティーブ・ジョブが毎日教会の窓ふきボランティアだけの少年期を過ごしていたわけではないのだから。実際に、ボランティア活動するほど真面目な少年だったのかどうかも私は知らないけど。

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