花束を君に

2018年 02月15日 (木) 00:26


〈 花束を君に 〉

この国のバレンタインは、お菓子というよりも花だ。

「こんばんは」
早足に入り込むとドアに取り付けられた大きなベルがからんからんと愉し気に鳴る。いつの間にか聞き慣れたその音と共にいつものように向けられる朗らかな笑顔。
「こんばんは。待っていたわ」
笑って、待ってて、というジェスチャーと共に一度姿を消した店主は、ーーー綺麗に包まれた花束をひとつ抱えて来た。
「はい、注文の花束よ。どうかしら?」
「いつも通り、最高です」
でしょう、と笑う顔馴染みの花屋の店主の女性は五十代。週に一、二回会社帰りに寄る内に親しくなった。「あなたとても素敵ね、うちの主人とうちの子とうちの孫の次に」という言葉をかけられたのがきっかけだ。
最愛の妻に送る一輪の花。送る度、ふは、と幸せそうに微笑んでお礼を言う彼女に今日送るのは、何週間も前から構成を考えていた花束。
彼女に似合う花を。彼女にぴったりの、自分の愛情が伝わる花束を。ーーー考えて考えて、店主と何度も相談した末出来上がった花束が眼の前にあった。
「しっかし、こんなに愛されてる奥さんも幸せ者だねえ。今度連れておいで」
「はい。ーーーああでも、ちょっと違う」
「ん?」
香る芳香に顔を寄せて、やわらかく。
「俺が幸せな夫なんだ」



「みーさんただいま!」
駆け込むようにして帰った彼女との家。灯の付いた部屋は明るく、あたためられた室温は心地良く、おいしそうな料理の匂いであふれていた。
「おかえりなさい、ともり」
キッチンからぱたぱたと寄って来た彼女が自分を見上げてうれしそうに笑いーーーその笑顔がもっともっと見たくて、勿体ぶることすら出来ないまま、背中に隠していた花束を差し出した。
「みーさん。ーーー貰って、ください」
彼女は深い深い色をした眼をまん丸にし、そしてーーー思わず微笑み返してしまうくらい、幸せそうに微笑った。
「うれしい。ーーーありがとう、ともり。すっごくすっごく、うれしい」
傷の走る右手と傷のない左手がそっと花束を抱きしめて。
花の向こうで、彼女が何よりも幸せを顕す。ーーー自分がこの笑顔を齎したのだと思うと、自分の生が全て肯定されたのだと思える。
白、ピンク、やわらかな赤ーーー色とりどりの花を前に微笑う彼女がふわりと顔を自分に寄せて。
そっと、長い睫毛が伏せられる。ーーーその合図に応えるようにして自分も眼を閉じ彼女の頬を手で包んで。
愛おしい温度が触れた。
「ーーーふは」
そっと、呼吸を呑み込み合って。
ゆっくりと離れて。ーーー同時に、眼を開けて。
至近距離で、彼女が。ーーー照れ臭そうに、ふは、と微笑った。
「ーーー」
堪え切れず抱きしめようとした腕からするりと彼女が抜け出す。ショックを隠し切れず呆然と彼女を見つめると彼女は大事そうに抱き込めた花束を示して、「潰れちゃうから、あとでー」と楽しそうに言いるんるんでダイニングへ向かった。……あとでがあるならいい。
そっと彼女がテーブルに花束を置き、傍の大きな花瓶を取った。……シンプルな白いガラスで出来た花瓶。品良くセンスもいいが、はて、こんな花瓶があっただろうか。
「みーさん、そんなのあったっけ」
いつも買って来る一輪は、彼女が趣味で集めた洒落たガラス瓶に活けていた。これは花束専用の大きさだ。首を傾げて問うと、彼女は、
「ん?」
「こんな花瓶あったっけ?」
「ん?」
「そんな花瓶あったっけ?」
「ん?」
「……いつからあるっけ?」
テーブルの角に綺麗に畳まれた包装紙。
解体され纏められた箱。
「……え、なに、読まれてた?」
「……みたいだねー?」
「カードは?」
「チェストの上」
従い見るとそこには一枚のカードがあった。たった、一言。



『役に立っただろう』



記されたサインは世界屈指の名探偵の名。……読まれてた、と嘆息する。いや、この国のバレンタインで女性に花束を送ることはそう珍しくないけれど。
「脈絡が全くない」
「署名があるだけコミニケーションを取ろうとしている意思を感じられるよ」
「大人の話をしてるんだよね?」
「ひねくれ者の話をしてるんだよ」
楽しそうにくすくす微笑う彼女が、鼻唄を歌いながらその花瓶に花束を活ける。……花束と花瓶の相性はバランスといいデザインといいばっちりだった。お互いがお互いの良さを引き出し合っていた。
「ふふー、素敵」
複雑な顔をする自分の前で、彼女が完成した花束を見つめ幸せそうに微笑う。
「すごく素敵なバレンタイン。ーーーともり、どうもありがとう」
うれしそうな笑顔に。
幸せがこぼれる笑顔に。
ーーー自分の全てを肯定されて。
「ーーーみーさん、愛してる」
今度こそ、と。
最愛の妻を抱きしめた。



〈 花束を君に 花よりも美しい君に 〉


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