2010年12月11日 (土) 23:28
えー、小説も書かずに何をやってるのかと自分でも思うのですが、可決がほぼ決まったも同然といわれる都青少年健全育成条例改正案・・・と言うより都知事氏の言葉にちょっと思うところがありまして書いてみました。
オッサンの書くものなので説教臭く感じた方がいらしゃったら、申し訳ありません。
ちばさんらの表明に石原慎太郎知事反論
都青少年健全育成条例改正案 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/101130/tky1011302135012-n1.htm
石原都知事「区分陳列で制限することが何で表現の自由の侵害につながるのか。
子供の目に触れさせたくないということで書きたければ書けばいい」
今回の規制が区分陳列での制限というならば、なぜそれがマンガ、アニメに限定されるのか。
都内某駅前の某書店では写真集の棚にAKB48の写真集と、元AKBメンバー出演の成人向けDVDが並べて陳列されていたが、これは明らかに現行の規制による陳列区分に違反している(注:これは一月ほど前の話であり、現在陳列は行われていない。都からの注意勧告が行われたか否かは不明である)。
また同書店では、実用書と同じ棚のならびに成人向け官能小説のコーナーが設けられており、そこには「成人向けコーナー」等の表示もされていない。
マンガのコーナーに目を向けると、新刊マンガの棚にアニメ作品の成人向けパロディ集が、さすがに平積みではないが区別されるでもなく棚に収まっている。これは成人向けに該当すると、表紙に用いられたイラストでも明らかであるにもかかわらずである。
以上の通り、区分陳列における現行の制限が遵守されていないのは、マンガ、アニメ作品限ったことではない。
リサイクルショップに目を転じればこれはそれ以上で、店内の棚の構成上陰になってはいるものの、趣味、ホビー関係の棚と同じならびに、平然と成人向けマンガやアダルトDVDの棚が設けられているショップは多い。
これらが物語っているのは、都が現行の規制を実施後に状況推移確認を怠り、それに則っていない区分陳列の事実を見つけても勧告を行うだけで、その後の確認と規制徹底を進める為の対策を行っていないという事実である。
石原都知事「自主規制が徹底していないから。氾濫に近い形だから制限せざるをえない。
みんな我欲だよ。我欲でみんな反発する」
上記での書店における区分陳列に関する規制が徹底されていれば、今規制問題において表現上あいまいとされるものについても、書店側から出版社側に「陳列上問題がある」との声が上がっていて当然である。
そうした声をデータとして利用することで、都には出版社側へ方向転換を図るよう働きかける機会を作ることが出来、出版社側にも自社製品を取り扱う書店に考慮する必要性から歩み寄りの姿勢を見せる可能性はあったはずである。
それが成されていない事自体、前回の規制も、今規制も、臭いものにはフタの発想から生まれたものであり、「氾濫に近い形だから」と言う理由で「規制せざるを得ない」という知事の弁からは、はるか遠いものでしかないことは明らかである。
石原都知事「君の利益立場があるだろうが、おれは都民、国民のためだ。
君は出版の利益を考えているだろうが、偏見でしかない。世間では通用しない」
上記二点により、今規制は前回の規制の不徹底を糊塗する為に、権利団体が体を成していないマンガ、アニメに対してあえて集中的に規制をかける意図があることは明白である。
これは作家や出版社がその利益を考えるのと同様に、都議会、都政、ひいては都知事、そして今規制案に関わる各種団体の利益が優先されており、都民やひいては国民の利益は蚊帳の外どころか体裁を整える為の看板でしかないことを表している。
この事により、上記した知事の弁はまったくの詭弁であり、知事が非難したちば氏への言葉は、そのまま知事自身へと跳ね返るものと断じて良い。
ここまでは都と都知事の発言について批判を連ねてきたが、翻って書店、出版社と言った今規制案に関わるもう一方の要素についても言及して見たい。
都内各書店が取扱商品と現在施行されている規制について不勉強なのは、少々注意深く各書店を観察して見れば、上記したとおり明らかである。
どんなモノが規制の対象になるのか、その理由は何なのか、そして規制の対象となる「可能性のあるモノ」は何なのかについて、今現在の都内各書店を見る限り、先の規制について全く眼中に無いのか、それともあえて無視しているのかと思わざるを得ない。
少なくとも、現行の規制の目的を理解しているなら、都内某大型ビル内の書店で成人向けコミックスのコーナーが『成人向け』との札をつけるだけで、カーテンなどで仕切られていないという事はあり得ないだろう。
コミックスそのものにはビニールをかぶせて内容を確認不可能にしていても、成人向けコミックスの表紙は大方が扇情的なイラストである。こうした大型の書店には親子連れも頻繁に訪れるのだから、そんな表紙を目にした子連れの親がクレームを都に送るという事態を憂慮してしかるべきなのに、である。
そして出版社側のあまりにも「売らんかな」に過ぎる姿勢が、現行規制上で曖昧な位置付けとなる作品を多く生み出し、今規制案を生み出した原因の一つであることは言うまでも無い。
出版不況といわれる状況で、各社がしのぎを削って「売る」為の努力をしなければならないのは理解できる。
だが「売る」という目的を免罪符として、一つの表現形式と、それによる市場の未来を危機に陥れているという責任を、出版各社は自覚しているのだろうか?
「売る」ために作家が望むと望まざるに関わらず、いわゆるギリギリなエロチック表現を描かせたり、逆に作家の暴走をあえて見逃したりと言うのは、一般的な企業なら管理責任上の落ち度と言われ、責任感の欠如を指摘されるものではないのか。
彼ら出版社は、先の規制が施行された時にそれを潜り抜けることしか考えず、そのワクの中でいかに新たな方向性を見出すかという「企業努力」を放棄してしまっていたのではないだろうか。
単なる私の妄想であって欲しいものだが、もしそれが事実だとすれば非常に嘆かわしいとしか言いようが無い。
断言しても良い。
今回の規制案を生み出した最大の要因は、都、書店、出版社の「怠慢」と「責任感の無さ」である。
今規制案を推すことで子供への躾という「親の責任」の放棄を宣言したも同然の都内PTAもそれは同様だ
その為に、書き手であり描き手である作家と、読者であり購買者である都民、さらに規制の影響が全国に波及することも考慮すれば全国の国民が持つ「読む、読まない自由」「見る、見ない自由」「書き、描く自由」、さらに「選ぶ、選ばない自由」が『規制による制限』という形で否定されるのである。
今規制案は、前回の三月期に反対に回った民主党都議の間でも「賛成せざるを得ない」と言われている事から、ほぼ確実に成立してしまうだろう。
しかしここで忘れてはいけないのは、これを成立させたのは上記三者の怠慢と責任感欠如であり、それは引いては私達一人一人にそのまま跳ね返ってくるということだ。
石原都知事を支持し選んだのは、少なくとも東京都に住む都民の責任である。
そして、出版社や書店での上記のような怠慢や責任感欠如は、そこで働く、またはそこに客として訪れる私達と同じ一人の人間の抱える問題なのである。
例えば同人イベントの帰り、電車の中で購入した同人誌を堂々と広げて読む。この行為を慎む人が増えるだけでも、オタという人種への偏見を多少は緩和するだけでなく、感情的にオタクを憎んだり利権目当てで標的にする相手に「弱点」を晒さずにすむはずだ。
私達一人一人の行動が、趣味というワクを超えて一つの表現手段と市場、文化を守ることにつながると、自戒を込めてここに記しておきたい。