2012年04月30日 (月) 08:10
ガンガン鳴る頭。
焼け付くように痛む喉と肺。
苦しい。苦しい。苦しい。
唯一、揺らめく青い光だけは、美しいと感じて――僕の意識は途切れた。
「……ぃす……いと……っど」
薄っすらと意識が戻ったのは、誰かの声を耳にしたからか。
逆に、意識が戻ったからその声を耳にしたのか。
「ばっ……なざぁ……でぃ……」
鈴が鳴るように耳に心地よい声質ではあったが、途切れ途切れにしか聞こえないのは、まだ意識がふわふわしていたせいだろう。
(生きてるのか、僕は)
そうと気付き、すごい安心感に包まれた。非常にだるくて、全身に力が入らなかったものの、重い瞼を何とかこじ開ける。
光が目の奥に突き刺さった。暗いところから急に光の下に出てきた時の痛みだ。
どうやら間違いなく生きているらしい。
冬の海で溺れたって言うのに、運のいいことだ。
「Oh. You awaken?」
僕が目を覚ましたことに気付いたのか、今度ははっきりと僕に向けた呼びかけが聞こえた――んだけども。
「え? なんで英語?」
目をしぱしぱ瞬かせるが、まだ光に慣れない。声からして女性なのは間違いないんだが。
「Hum? Your language's not English? ……と言うか、日本語か。日本人の魂魄に相違ないな、これは。やれやれ、妙な縁(えにし)があることよな」
すぐさま日本語に切り替えてくれたのは助かるが、発言内容はまったくもって意味不明だ。
そうこうするうちに、ようやく目の焦点が合ってきた。
「…………え?」
まず目に入ったのは、腕組みしてこちらを見下ろす少女の姿だ。見た感じ十歳は超えてそうだけど、中学生だ、とか言われれば首を傾げたくなる背格好。
フリルを多用したミニの白ゴスドレスを着込んでいるのはまあ個人的趣味の範疇としても、何本もの赤いリボンに飾られた、膝くらいまでも伸びたストレートロングの髪は、明るい紫色。
かなりありえない色だ。染めてるにしては、どうもそう言う不自然な気配が薄いように感じるし。
顔立ちは、はっきり言って整っている。ものすごい美少女、いや美幼女か? と言っていいんじゃないかな。すいません女の子の容貌をどんな風に形容するのかなんてよくわかりません。まあとにかく、そこらのチャイドルなんぞ目じゃないくらいの美形だ。
表情は一言で言って『不敵』。根拠はわからないが、えらく自信と自尊に満ちている。
「えーっと」
まあよくわからないが、彼女が僕を助けてくれたってことでいいんだよね?
とにかくお礼を言わなくては。
まずは体を起こそうとするが、どうにも全身がだるくて、力が入らない。腕ぐらいは何とか動かせそうだったので、根性で肘を立ててみたものの、今度は首が据わらずぐんにゃりと上を向くばかり。
ダメだこりゃ、本気で死にかけてたんだな。体力の消耗がハンパじゃない。
身を起こすのは諦め、失礼ながら横になったままお礼を言わせてもらおう。
と、口を開きかけた機先を制するように、向こうから声をかけてきた。
「汝(なれ)、名は何と言う」
妙に尊大な上に、何だか古風な喋り方だ。
「え、な、名前? 僕は……アリシア・テスタロッサ。って待て待て。誰だそれは!? アリ、あ、あー……あきら。赤羽明(あかばあきら)。19歳大学生。そうそう、そうだよ、うん。って、何だか声が甲高いんですけど!?」
自分で自分がわからなくなり、恐怖感がこみ上げてきた。勝手に目元に涙が浮かんでくる。えー、いくらなんでも涙腺ゆるすぎじゃないか僕。
何がどうなってんの!?
「落ち着け。アリシアと言うのはその体の名であろう。脳に記録された知識が引き出されてきたのだ。魂の記憶は移ろいやすいからな」
何やら説明してくれるが、余計わからない。彼女は涙目で見上げる僕の前で、顎下に手を当て、数秒考えてから頷いた。
「この方が早いか。――ニトクリスの鏡」
ぱちん、と指を鳴らすと、突然彼女の隣に楕円の全身鏡が現れた。支えるものもなく宙に浮いている。
と、思ったのだが。
「鏡? ……じゃないよね?」
だって。
そこには。
顔だけこちらに向けて僕と視線を合わせる、5~6歳ほどの金髪幼女が、全裸でぐったりと横たわっていたんだから……。
※ 天然鏡コントが展開されております。しばらくお待ちください ※
……約1分後、僕は否応なく、この金髪赤目幼女が僕自身の今の姿であることを理解させられた。
納得はしてないけど。
がっくりと倒れ伏す僕に、今まで黙って奇行を見物していた紫髪少女が再び声をかけてくる。
「あー、そろそろよいか?」
そうですね。いい加減現状把握をしないといけないですね。体がこうなった原因とか、聞けるかもしれないしね。
そう思って気を取り直し、のろのろと顔を上げた。
改めて目線を左右に動かすと……。
…………。
いや、どこでしょうか、ここは。
直径3~4メートルくらいの球状の空間。球の下4分の1ほどに平らな床があって、僕と少女は今そこにいる。壁は、青と黒の不思議な印象の紋様に覆われていて、継ぎ目とかはない。
ふらふらと視線をさまよわせてぽかんと口を開ける僕に、少女が咳払いをして注意を喚起した。
そして、最高の爆弾発言をかましてくださいました。
「まずは自己紹介と行こうか。妾(わらわ)の名は、アル・アジフ。世界最強の魔導書の精霊だ」
は?
「えーと……アル・アジフ、と言うと、『死霊秘法(ネクロノミコン)』の原典の?」
「む、その通りだ。なかなか博識だな?」
「で、少女型の精霊ときたら、アレだよね?」
「……何の話をしておる?」
「とすると、ここはもしかしてデモンベインのコクピット? あ、それともアイオーン?」
「なッ!?」
耳にした情報のショックでほとんど思考のままに言葉を駄々洩れにしていると、アル・アジフと名乗った少女が驚愕に目を瞠った。
あ、いけね。
てか、これって、デモベ世界にトリップ? 行きたくない世界ランキングで、僕的にトップ10にランクインしてたりするんですけど……。ちなみに他には、他のニトロ系世界とか、きのこ世界とか西尾世界とかマブラヴオルタ世界とかがエントリーしてます。読み物としてはどれも好きなんですが。
アル・アジフ――アルの目つきが鋭くなり、いきなり空気が重くなったような感覚に襲われる。
「アキラ、と言ったな。汝、何者だ。何をどこまで、何故知っている?」
ひい!? 怖いから威圧しないで! 何でもお話しちゃいますからっ!
ヘタレとか言うな。こちとら一般的な日本人です。非暴力・コトナカレ主義万歳。
「え、えーっと。説明する都合上、まず確認させてもらいますけど、ここはデモンベインの中ってことでOK?」
「……そうだ」
「それで九郎クンがいないってことは……アルルートかな? じゃあ……あー……C計画。ムーンチャイルド計画。覇道鋼造の正体。シャイニング・トラペゾヘドロン。知らないものはある?」
「C計画とシャイニング・トラペゾヘドロンは知っておる」
「なら、ここは邪神の箱庭の外ってことで合ってる?」
「合っておるが……本当にどこまで知っておるのだ、汝は!?」
おっけー、状況の把握は大体できました。アルルートで、旧神ENDじゃない。最終決戦が決着して、九郎ちゃんを送り出した後。ってとこですか。
ちょっと安心。宇宙恐怖的大破壊に巻き込まれる可能性はだいぶ減りました。
……なお、世界的な問題はなくとも、もっとミニマムな大問題が存在するのに、この時点での僕はまだ気付いてなかった。
「あー。落ち着いて聞いてね? 僕の世界のPCゲームで、『斬魔大聖デモンベイン』ってタイトルのソフトがありまして……」
うん? 『機神咆哮』じゃないのかって? だってソレ、コンシューマ版だもの。Hシーンが見れないじゃないですか。コンシューマ版も買いましたけどね。フルボイス化されてたから。でも声優さんで一番印象に残ってるのが山崎たくみさん(Dr.ウエスト役)ってのは我ながらどうなんだろう。ドラマディスク(アニメ○ト版)の『言霊』はもう何と言っていいやら。抱腹絶倒しました。実に至芸でございました。
まあそれはともかく、ゲームの内容を簡単に魔導書の精霊さんに説明していく。詳しく話す必要はないので、楽と言えば楽だ。
ゲームのオープニングは、地球の衛星軌道上でアイオーンを追撃するリベル・レギス。最強の魔導書の鬼械神と言えども、担い手のない状態では如何ともし難く、敗れ地球に落ちていく。
そして、それから数十年の時が流れ、北米東岸の大都市アーカム・シティにて貧乏探偵を営む大十字九郎の元に、若くして大財閥の総帥を務める少女・覇道瑠璃から魔導書探索の依頼が持ち込まれることで、物語は始まる。
九郎とアルの出会い。魔術結社ブラック・ロッジ。狂気の天才科学者ドクター・ウエストと破壊ロボ。アーカムの守護者メタトロン。デモンベインとの邂逅。大導師マスター・テリオン。アンチクロス。黒の天使サンダルフォン。次々に起こる、激闘また激闘――。
戦いと破壊。傷付き倒れる者達。悪意と戦意のぶつかり合いの果てに、明かされていく邪悪なる企み。
そうして、物語はいくつかの道に分岐していく。
壮大な邪神の陰謀に戦いを挑み、ついにはそれを打ち破ることになるアルルート。
一代で大財閥を作り上げ、デモンベインを建造して邪神の信奉者に挑み続けた謎の人物・覇道鋼造の正体に迫る、瑠璃ルート。
白き天使メタトロンと黒の天使サンダルフォンの因縁に主軸を置いた、ライカルート。
主としてこの三つ。そしてその中でも、選択によって異なるエンディングを迎える。
「……待て」
と、その辺りまで語ったところで制止を受けた。
「ん、何? ……ひぃ!?」
見れば、精霊サマは据わった眼で笑みを浮かべているのだが、何やらえらくドス黒い気配を背負っていらっしゃいます。
「小娘とシスターの……『ルート』? ちょっとその辺を、詳しく話してもらおうか」
無論、邪悪な魔術師(マギウス)や外なる神々(アウターゴッズ)と壮絶な殺し合いを繰り広げてきた精霊サマが醸し出すプレッシャーに、平和ボケした日本人(少なくとも精神は)が抗えるはずがなく。
僕は素直にアルの要請に応えたのだった。……だらだらと冷や汗を垂らし、やたら噛みまくってたのは、まあ、見逃してください。
そうして、主人公たる九郎が、気高き令嬢・覇道瑠璃、及び教会の巨乳美人シスター・ライカと結ばれるパターンについて語るのを、アルは腕組みしたままプルプルと震えて聞いていた。
「ふ、ふふふふふ……。く~ろ~~う。浮気者めがーーーー……」
地の底から響いてくるような不吉な声音。背筋に怖気が走る。
いやいや、彼、一旦惚れ込むとすごく一途ですから。ここの九郎クンは貴女一筋です、多分。
大体、アーカムに送り返したってことは、他の女性と家庭を築いて幸せになってくれるのも織り込み済みじゃないんですか?
と指摘してみると。
「む。それはまあ、そうなのだが。……だがムカつくものはムカつくのだ、仕方なかろう!」
なんてワガママな。アルらしいけど。
放っておくとこっちに被害が来そうな予感がひしひしと感じられたので、必死になだめる。その甲斐あって、しばらくすると落ち着きを取り戻してくれたようだった。
「ともかく。汝の世界では、妾らの戦いが架空の創作物として物語られておるわけだな?」
「いえすまむ」
「やたらとこちらの事情に詳しいのはそう言うわけか。相わかった、納得したぞ」
納得しちゃうんだ。いや助かるけど。
「えーと、それで。いいかげん、僕の身に何があったのか、教えてもらえると嬉しいかなあ、と思ったり……」
我ながらちょっと卑屈な物言いな気はするけど、もはや彼女に対してすっかり腰が引けてしまっているのでしょうがない。
「む? うむ、そうだな。……とりあえず、後ろを見てみるがよい」
へ? 後ろ?
そう言えば、そっちはまだ見てなかったような。
い、よ……っと。
苦労して体をごろりと転がし、反対側を向く。
みいら と めが あった。
…………。
「うひぃいいいっ!?」
反射的に後退ろうとして失敗。この体は、その程度の力も出してはくれなかった。
「ししし、したい、した、死体ぃいい~~~~!」
「やかましい」
「ぐえ」
お腹を軽く踏まれた。何らかの魔術でも使ったのか、それだけで声が出なくなる。
僕の後ろにあったのは、女性のものと思しき干からびた死体だった。ドレスと長い髪からの印象だけど、まあ間違ってはいないだろう。
嫌だけど、おっかなびっくり観察を続ける。うん、確実に死んでいる。『妖蛆の秘密』とかT-ウィルスとか持ち出さない限りは動き出したりはしないな。死後どのくらい経っているかは判別できないけど、水分を失ってカラカラになってるだけで、欠損部位は見当たらない。要するにまだ人間の形は保っている。人相がわかるほどじゃないが。
僕のびくびくした態度が気に障ったのか、アルは僕を踏んづけたまま、ぶつぶつと何やら呟いた。
と、唐突に恐怖が消え失せた。
うわ不自然。
精神干渉系の魔術でも使ったらしい。
……おっかないな、魔術。狂気をもって狂気を制する外法の業、だっけ? なら、こう言う真似はお手の物なんだろうけど……。
さて、強制的に落ち着かされて見てみると、後ろにあったのは死体だけではなかった。死体のインパクトが大きすぎて目に入っていなかったが。
何やらSFっぽい、円筒形の透明カプセルがゴロリと転がっている。インキュベーターって言うのかな? 薄緑色の溶液が満たされているが、中は空だ。サイズは、人間でも中に浮かべておけばちょうどいい感じ。
死体は濃い紫を基調にしたドレスをまとい、ウェーブのかかった黒い髪を長く伸ばしていた。傍らには、先端に翼状の飾りのついた錫杖が転がっている。
冷静になってよくよく見てみると、ミイラさんの服装や髪型に微妙に見覚えがある気がしてきた。
……うーむ?
考え込んでいる間に、アルが話しかけてくる。
「もうよいか?」
「あ、はい」
気を取り直すまで待っていてくれたらしい。
「うむ。では、汝のことについて説明してやろう」
ああ、そう言えばその話だったんですね。
「九郎を送り出した後のことは知らんのだったな。この場所では時を測る術がないので、それからどれだけ経ったのかは妾にもわからぬ。おそらく年単位の時間が流れておるだろう。で、その間、非常に暇でな」
「でしょうね……」
何せ魔導書の精霊サマだ。簡単に死ぬこともできなかろう。
「なるべく寝て暮らしていたのだが……気付くと、何処からかその死体とその体の入ったカプセルが近くに流れてきていてな。蜘蛛糸で引っ掛けて回収した。何せ暇だったのでな」
僅かな変化でも大歓迎なわけですね、わかります。
「何処から来て、どのくらいの間、このどこでもない空間を漂っていたのかは知らん。しかし、そっちの女は干乾びていてどうにもならんが、カプセルの中の子供は、肉体的にはほとんど生きているのと変わらん状態を維持していたのだ」
すごいな。死体がミイラ化するほどの時間放置されていたのだろうになあ。……いや、この外の空間って死体がすぐにミイラ化したりするのかな? 人間を宇宙空間に放置するとどうなるんだっけ。体液が沸騰して破裂? よく知らないけど。
「ただ、魂魄が抜けていたので、蘇生は不可能だった」
「なるほど。……ん?」
この体の魂魄――つまり魂が抜けていて、で、この現状ってことは……。
「気付いたか。暇すぎたので話し相手が欲しくてな。暇に飽かせて色々試して、結局、無作為に召喚した魂魄をその体に放り込んで蘇生させたのだ」
「魂だけ? ってことは」
「うむ。アキラ。汝はもう死んでおる」
……あ、やっぱり。助からなかったわけね。冬の海に放り込まれたんじゃ仕方ないっちゃ仕方ないけど……。
でも、こうやってはっきり突きつけられると微妙にショックだった。
そのまま数分。黙り込む僕に痺れを切らしたのか、アルがぱちんと指を鳴らすと、唐突に気分がフラットに戻る。
「もうよかろう? 済んだことをいつまでも引きずっても仕方あるまい」
……だからって魔術で強制的に落ち着かせるのは、なんか気持ち悪いんでやめて欲しいんですが。怖いから抗議はしないけど。
まあ、冷静になれば、死んだのに生き返れたってラッキーだよな。
TSだけど贅沢は言えない。
なら、タナボタで得たこの第二の生を楽しまないと損と言うものだ。
よし! 頑張って楽しく生きるぞ!
「ではアキラ。ほんの数日ではあろうが、妾の暇潰しの相手となれ」
「はあ。まあいいですけど。……ん? なんで数日?」
「決まっている。ここには水も食料もないし、デモンベインが稼働しておらんから、空気の補給もないのでな。餓死が早いか窒息が早いかは知らんが、もってその程度であろう」
…………。
えぇえええ~~~~!?
せっかく前向きになったのに、そう言うオチ?
「な……何とかならないの?」
「ん? そう言われてもな。術者がおらねば、妾と言えどもそう大きな術は使えん」
術者? そ、それだ!
「それ、僕じゃダメかな!?」
勢い込んで訊く。
「……お主か? うーむ、あまり素質は感じぬが。まあ、ものは試し、やってみようか」
意外に前向きな答えが返ってきた。彼女としても、話し相手がすぐに死んでしまってはつまらないだろうしね。
確か、覇道瑠璃もあまり素質はなかったのを、気合いで無理やり何とかしていたはず。このルートじゃないけど。
うまくいく可能性は低くても、確率なんてのは単なる目安。あとは勇気で補えばいい!
そう自分に言い聞かせていたところで、アルからツッコミが入る。
「自己欺瞞は済んだか?」
……無粋な指摘は勘弁してください。
「では始めるぞ。アカバアキラ。妾は汝と契約する。我が名はアル・アジフ。汝の魂に我が名を刻め」
屈み込んだ魔導書の精霊は、僕の頬を両手で挟み、その艶やかな唇を重ねてきた。
「んっ……」
うわ、柔らかい……。
美幼女同士のキス。
……当事者でなければ萌えるモノがあったんだけどな……。
――久遠に臥したるもの死する事なく怪異なる永劫の内には死すら終焉を迎えん――
何処からともなく、誰のものとも知れない詠唱が聞こえた気がした。
バサバサバサッ!
乾いた紙、いや羊皮紙か、それらがほどけて広がり、僕の体に絡みつく。
術式戦闘形態、マギウス・スタイル。
他の魔導書がやっているのを見た覚えがないから、アル・アジフ独自の機能なのかもしれない。魔導書を読みこなしていない主の戦闘をサポートするための。アル・アジフは怪異を狩る怪異、外道を以って外道を制するものであり、その性質上、邪悪との戦いは至極頻繁に起こらざるを得ない。大十字九郎ほど極端でなくとも、魔道を研鑚する時間の余裕が不充分な主が危険な戦闘に巻き込まれる機会は多かっただろうと思われる。だから、そういう戦う準備が足りていない主をサポートするための機能が、このマギウス・スタイルなのではなかろうか。
などとつらつら考えていられるのは既に魔導書による思考補助・思考加速が行われているためだろう。多分。
「お。体が動く」
先ほどまでぐったりしてロクに力が入らなかった体が、いとも簡単に動かせた。
ひょいと立ち上がり、未だ展開中だったニトクリスの鏡に向き直る。
そこに映っているのは、黒ゴスノースリーブミニワンピに黒ニーハイ、黒ロンググローブ、フリル付き黒チョーカー、フリル付き黒ヘッドドレスと、ある意味統一された装いの金髪美幼女(5歳児)の姿である。瞳の色はルビーのように透き通った紅。
黒衣に金髪紅眼とくれば、即座に連想されるものは一つだった。
「おー、ロリフェイトだ」
グローブに包まれた両手で長い金髪を頭の左右に掻き上げ、ツーテールにしてみる。
まさにリリなののフェイトそっくりになった。ちょっと幼いけど。
……ん?
いや待て。
最初、僕は自分の名を何と答えた?
――アリシア・テスタロッサ。
ぱっと振り返り、ミイラさんをよくよく観察してみる。ウェービーな黒髪、紫のドレス、ややメカニカルな錫杖。
どう見てもプレシア・テスタロッサです。ありがとうございます。
道理で見覚えがあると思ったわけだよ!
てことはアレか。無印最終話で、虚数空間に落ちた後、ここに流れてきたってことか。ある意味正解だよ、プレシアさん。貴女は正しかった。きっちりアルハザードの知識の結晶であるところの、アル・アジフに辿り着いたわけだからね!
「もうよいか?」
すぐ耳元で響くロリボイス。見ると、3頭身のちびアルが腕組みして僕を聘睨している。考えをまとめるのを待ってくれていたらしい。偉そうな態度の割には優しいよね、アルって。
「あ、うん。大体状況がわかったかな」
「それは重畳。では、そろそろ覚悟を決めておく方がよいぞ」
「へ? 覚悟って何の、って……あぐっ。く、ぅぁああぁぁぁああぁぁっ!?」
何かが頭の中に雪崩込んでくる。それは知識。圧倒的なまでに膨大な、そして、普通の人間が知るべきではない知識。
外道の、外法の、異形の、怪異の、あまりにも歪んだ、だが人間の脳では把握不能な埒外の法に則った知識、知識、知識。
それはおぞましく、それは邪悪で、それは狂気に満ちた知識だった。だが一方で、それは邪悪でも何でもなかった。人間の脳が辛うじて理解できるほどに翻訳されているものの、ただただ異質で、異次元的で、超越的であるだけなのだ。
それが、わかった。否。わからされてしまった。
本来、人間としての本質的に理解不能な知識を、強制的に理解させられてしまう。
そのプロセスこそが邪悪であり、狂気的であり、おぞましい代物なのだ。
何せ、それをされている僕が、こんなにも気持ち悪く、狂おしく、冒涜的で、凌辱される乙女のような気分、いや、それを数百倍にしたような異次元的おぞましさを味わっているのだから。
ん? お前、凌辱されたことなんてないだろうって? まあそうだけど、そんな感じなんだと察してください。もうツッコミにリアクション返す余裕もないわ。
気絶できれば楽なのに、気持ち悪すぎてそれすらできない。僕はただ震えながら、この知識の奔流が僕を吹き飛ばし、押し流し、押し潰し、引き裂いていくのが終わるのを待つことしかできなかった。
「……つまり、汝はやはりあまり素質はなかったようなのでな。外法知識の流入の反動が色々と大変なことになるだろうが、覚悟しておくのだな、と……お、もう終わったか」
うげぇ、き、ぎぼぢわるい……胃の中に何もなかったからいいものの、そうでなければ盛大に吐いてたからね。先に言ってよ、そう言う可能性があることは。
「ふむ、だがまあ、発狂してないだけ、それなりには優秀だぞ? 魔導に親しい者特有の闇の気配はいっさい嗅ぎ取れぬから、汝の脳味噌そのものがかなり素地がいいものと見えるな」
まあ、この脳味噌、大天才にして大魔導師の人の娘さんの持ち物だからね……。確かアリシアにはリンカーコアがなくてミッド式魔法の素質はないって話だったけど、脳のスペックは母親譲りで優れてたってことなんだろう。それに助けられたわけだね。多分僕の本来の体だったら頭パーン!で終わりだったような気が、今ならするよ。
覇道瑠璃のスペックも、ゲームからじゃよくわからなかったけど、実は相当高かったんだね。アレを気合いでねじ伏せるとか、あり得ないから。
「……それで、僕はこれで魔術が使えるようになったのかな?」
よろよろと身を起こし、ちびアルに訊ねる。
「んむ? んー……素質がないから、大きな術は使えんだろうが、妾だけよりかはマシか……」
「マジか! よし、これで勝つる!」
一気にテンションを上げた僕だったが、世の中そんなに甘くはなかった。
「よし! じゃあ転移で一気に脱出を」
「汝ではなあ……。できたとしてもせいぜい数マイル。そもそも発動せん確率の方が高いな。ましてや、世界間転移など夢のまた夢よな」
「……じゃあ、当面命を繋ぐために、空気と食料を召喚するとか」
「同じ理由でムリだな」
「……物質変換とかは」
「まだしも可能性はあるか。やってみるがいい」
「よ、よーし。イル・アース・デル。《錬金》!」
……。
じゅもん が たからか に ひびきわたった !
しかし なにも おこらなかった !
「……術を行使するならちゃんと術式を組まぬか。気合いだけで呪法が行使できるなら世話はないわ」
「……ごめんなさい」
ほとんど気合いだけでデモンベインを動かした某姫さんが念頭にあったもので。
アルのアドバイスに従い、契約により結ばれた霊的接続(ライン)を通じて『死霊秘法』本体にアクセス。該当する術式を検索する。
ずきり、と頭の芯が痛んだ。我慢して検索を続行、それっぽい呪法を探し出した。
とりあえずインキュベーターの中の謎の溶液を原料に物質変換の魔術を試みる。
「黒山羊の理(ことわり)によりて、変移せよ!」
魔術としてはそれほど難しくない術式のはずだったが、術を起動しようとすると、頭の芯のさらに内側、いや、頭の外? どことも知れない、僕自身とは関わりのないはずの部位が引き絞られるような苦痛と不快感を発した。何を言っているのかわからない? そうだろう。僕自身さっぱりわからないんだから。さすが外法の術。行使の代償がハンパない。
ともかく、何とか魔術は行使できたものの、出来上がったのは何とも表現しがたい、粘液にまみれた真っ黒い肉塊らしきものだった。時折ぴくり、ぴくりと動いている。一言で言って、実に気色悪い。
「……これ、食えると思う? アル」
「……汝が食うと言うのなら止めん。健康には多分悪い」
「……僕もそう思う」
その後も色々試したものの、概ね不首尾に終わった。ちなみに、開き直って元になった謎の溶液を口にしてみたところ、味は薄いがスポーツドリンクっぽい感じで、それなりに栄養がありそうだったりした。くそう、最初から試してみればよかった。
そう言えばプレシアさんの錫杖ってデバイスだったんじゃなかろうかと思い出し、拾い上げて色々調べてみた。
サイコメトリーの魔術を使って情報を検索。かなり高性能のストレージデバイスと判明したが、当然ながらリンカーコアのないアリシアボディではミッド式の術式は起動できなかった。
アルのアドバイスを受けて、プレシアさんの死体からも情報検索してみた。干からびた脳髄からも意外と色々読み取れた。アル・アジフのチートの賜物かもしれないけど。
さて、溶液のおかげですぐさま飢餓に陥ることはなくなったが、問題は空気だ。放っておけば早晩窒息死は疑いない。
……そう言えば、アルは何て言ってた? 確か、「デモンベインが稼動してないから空気の補給がない」とか言ってなかったか?
つまり、機能を一部でも動かせれば空気を補充できる可能性があるってことではなかろうか。
「そこんとこ、どうなの?」
「そうさな……」
探査魔術を起動して調べた結果。
デモンベインが動かないのは、心臓部たる銀鍵守護神機関がほぼ焼き付いているため。手持ちの手段では修復不可能。副動力みたいなものはない。空気浄化装置はあるにはあるが、デモンベイン全体は気密構造になっておらず、コクピットブロックが気密を保っている現状が既に奇跡的。で、空気浄化装置はコクピットブロックの外部に取り付けられている。
つまり、単独で作動するよう改造することはできるかもしれないが、その作業のためにコクピットブロックを開いたら気密が失われてアウト。
「手詰まりじゃん!」
「うむ。マギウススタイルでならば真空中も活動できるやもしれぬが、当然生存環境を割り込んだ状態でムリヤリ活動するためには魔力消費が激しくなろう。つまりは、魔力がなくなった時点で汝はお陀仏だな」
「れれれれーせーにゆーなぁあああ!」
「落ち着け」
「落ち着きました」
魔術で強制的にだけどな。
しかしマズいな。窒息死カウントダウンだよ。徐々に空気が汚れていくのは凄まじく苦しく恐ろしいらしいし。それくらいなら低酸素気体を吸引して一瞬で意識不明になったほうが楽だ。ちなみに一撃ノックアウトだよ、マジで。
何か抜け道がないものか……。
魔術ダメ、魔法ダメ、魔導科学ダメ。あとこの場で頼れるものは……。
見回した僕の目に、プレシアさんの死体が映った。
ふと、リリなの最終回が思い出される。
崩壊する時の庭園。虚数空間に落ちていくプレシアと、アリシアのカプセル。青い輝きと共に……。
あ!
「アル! 広域探査術式のサポートをお願い!」
「む? 何か思いついたのか? よかろう」
僕の窒息死がかかってるのに冷静ですね貴女は! ……どうせ暇潰しのタネでしたね、僕は……。
内臓がねじれるような不快感をこらえて呪術を行使する。
「風に乗りて歩むもの。疾く駆け、蒼き宝玉を探し出せ!」
急速に僕の中から失われていく何か。
目眩がする。膝から力が抜ける。
「くっ。……何、コレ……」
「魔力が消費されておるのだ。元々汝の持つ魔力量など大したものではない。消耗も早かろう」
冷静な解説ありがとうございます。つまり、早いところ見つけないとアウトってことか。近場にあるといいな。
「! ヒット!」
1、2、3、4……くう、限界だ。
「咥えて……戻れ……っ!」
目の前の空間が歪み、菱形の青い宝石が4つ現れる。確か全部で9個だったとおもうが、結構な広範囲に散らばっていたみたいで、残りは見つけられなかった。もっと時間と魔力があれば全部見つかったのかもしれないけど。
願いを叶えるとされる魔力結晶。失われた技術で作られた遺失物品(ロストロギア)。
そう。ジュエルシードである。
無印の最後に、プレシアと共に虚数空間に落ちたはずだったと思ったのだが、間違いではなかったようだ。
「アル。これ……制御できる?」
「ふむ? ふん……なるほど。侮るでない。この世にあらざる法則を操る妾にかかれば、このようなシロモノ、何と言うことはない」
「おおお、頼もしい……!」
その後、アルは十数分でちょいちょいとジュエルシード制御用の術式を組み上げ、僕と彼女はこのデモンベインのコクピットから脱出する仕儀となった。プレシアさんのデバイスは一応もらっていくことにする。取得した知識の中にはデバイス関連のものもあったから、実物があれば色々助かりそうだし。
最後、3頭身ながら寂しげな面差しを浮かべたアルは、小さく呟いた。
「さらばだ、デモンベイン。汝のことは忘れぬ。……ありがとう」
術式起動。
転移。
……現在位置が不明なので、ランダム転移(しかも一度きり)だけどね!
神様仏様旧紳様! どうか、人間の生存可能な環境に辿り着けますように! あと邪神だけは勘弁な!!
――――――――――
神様転生(憑依)系で、あまり不自然ではない導入部を模索していたらこんな感じに。
この後、ネ○ま世界に転移して技術&術式チート(ただし体力ナシ・戦闘能力ほぼゼロ)にしようかと思っていたところ、例のアレでポシャりました。
メモリの整理をしていて発見したので、とりあえず形にしてアップしてみるテスト。
後半がやや駆け足なのはやっつけで書いたからです。
すいませんでした。